TOKYO niki kai OPERA FOUNDATION NEW STYLE OPERA MAGAZINE

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オペラを楽しむ

Joël Lauwers
演出家ジョエル・ローウェルスが語る、
ジョエル演出とワルキューレの魅力

訳:市原和子


─まずはじめに、簡単に経歴をお話しください。
ジョエル・ローウェルス氏(以下J) 私は20年ほど前からオペラの仕事を始め、最初ブリュッセルのモネ劇場で7年間有名な演出家たちの助手をしながら学びました。1994年、最初に私が演出した作品はアレッサンドロ・スカルラッティのバロック・オペラ『貞節の勝利』で、ヨーロッパのいくつかの都市で上演されました。それ以来ヨーロッパの有名な劇場でおよそ15の作品の演出をしましたが、そのうち特に注目されるのは、ダブリンでシュトラウスの『サロメ』、コペンハーゲンでマンフレッド・ホーネック指揮によるビゼーの『カルメン』、ブリュッセルのモネ劇場で『イドメネオ』、フランスで台詞なしの独創的で奇抜な『魔笛』、最近では再びフランスでオッフェンバックの『美しきエレーヌ』などです。
─日本のオペラのレベルについて、どのような印象をお持ちですか?
J よくは知りませんが……、西洋のオペラは日本ではまだ比較的新しいものでしょうが、それは好都合です。というのは日本の観客は、好奇心が強く、熱心で、前向きだからです。
─飯守泰次郎氏は1972年に二期会で『ワルキューレ』を指揮して以来、我が国のワーグナーファンの強い支持を得ています。いわばワーグナーファンのカリスマ的存在ですが、今回の競演はいかがですか?
J 素晴らしいです。彼の豊富な経験がきっと私の仕事に大いに役立つでしょう。
─日本デビューについては、どのようなご感想をおもちですか?
J もちろん、まずとてもうれしく感じました。このプロダクションを準備するにあたり、お会いした関係者すべての方々が、いい作品を作る意欲に燃えていました。非常に強い普遍的理念やそれぞれの役がとても西洋的な感情を持つ『ワルキューレ』のような作品を日本で作ることは大変うれしいです。日本の歌手達がこれらすべてをいかに表現してくれるか、その進歩を見ようと期待に胸をはずませています。
─ワーグナー作品全般の印象を伺います。
J ワーグナーのオペラを私が演出するのは今回が初めてです。しかし新しい神話を創造し、世界の聴衆が持つ問題意識を深く考察するような能力を持ったこの作曲家にはいつも非常に興味を持っていました。
─『ワルキューレ』はワーグナーの作品の中でどのような地位を占めているとお考えですか?
J これはリングの中で最も叙情的な作品でしょう。また『ワルキューレ』の最も劇的な力は父と娘の強い絆で、その中では“家族”のことがとても多く語られています。継母、父親、まだ父親を知らない子供だとか半ダース以上ものうるさい娘たちとか! そしてワーグナー・オペラの中で最も人間的な作品とも言えます。たとえその中にたった一人の人間フンディンクしか登場しなくとも……。ワーグナーとヴェルディの間には対抗意識がありましたが、それでも二人がお互いにいかに尊敬しあっていたかということも知られています。個人的な意見として、私は『ワルキューレ』をワーグナーが作った最も“ヴェルディ的”オペラだと思います。
─今回は四部作上演構想ではなく楽劇『ワルキューレ』としての上演ですが、一作で上演する優位性と、不利な点を挙げてください。
J もちろんセット・デザインや演出の準備をするにあたり、登場人物たちの性格を理解して、その理念や宿命を考える上でリング全曲をみて作業します。しかし『ワルキューレ』はそれ自体完結した一つのオペラでもあり、『ラインの黄金』の情報のほとんどが『ワルキューレ』の中で再び語られています。私としては、更に未来の神々の終焉まで表したいと思います。ということは『ワルキューレ』は、場合により四作品を一つにまとめたような密度を持ちえるのです。
─ワーグナーは神話を借りて人間ドラマを掘り下げたのでしょうか? それとも人間を借りて神話を構築しようとしたのでしょうか? また、日本ではワーグナーの台本を〈ゲルマン神話〉を基本にしていると認識されているようですが、〈ゲルマン的要素〉はどのように演出に反映されるのでしょうか?
J 神話はすでに人間的なものです。人間的な希望、恐れ、嘘や真実など、人間的なドラマとも言えます。人間や人間の感覚は神話より先にあって、多くの人に強く感じられることが、人に語るべきストーリーになり、また芸術性を加えて神話に発展しました。互いにかけ離れた場所から来た神話が多くの共通性をもっているのは不思議なほどで、ゼウス、オーディン、ヴォータンなどは似通っている面が多く見られます。ドイツ神話は、北欧神話から由来し、キリスト教的思想がすでに混入しています。ワーグナーは、この神話上のキャラクターに信じられないほどの人間性を与え、極端なまでに人間的な性格にしたため、最後にはこの神話が崩れて、残るのは人間だけになってしまう、というように。
─ヴォータンにとっては、家父長的立場による状況対応(謂わば環境論)になるのでしょうか? それとも彼自身の性格が原因ゆえのドラマ(宿命論)となるのでしょうか? 今回の演出は、どういう点に注目して展開されるのでしょうか?
J 彼が状況を造っているので、その犠牲とはなりえません。彼自身の性格は、エゴ(我)であり、そこで間違いからドラマが生じ、それゆえ彼は神々の長であっても、実際には自分の運命の主人にはなりえないことが明らかになります。要するに、“その状況に直面して、ヴォータンの性格が悲劇を招くということが露になる”ということです。
─ジークムントとジークリンデは兄妹と判明したゆえに強く愛し合ったのですか?
J いいえ。それを知ったからではなく、恐らく兄妹だったから無意識に惹かれたのだと思います。
─ヴォータンとフリッカの間に現在も愛情は存在しますか?
J そう思いますし、そう思いたいです! それを表現してみるつもりです。二人の長い対決に、より深みを与えるためにも。
─日本では海外からの招聘公演を含め、聴衆は多くのワーグナー体験をしており、リング四部作だけでも、二期会が20年の歳月を経て上演したのを皮切りに、ベルリン・ドイツオペラ、ベルリン国立歌劇場、キーロフオペラ、新国立劇場が上演しました。日本の聴衆のワーグナー体験を意識しますか? あるいはどの地にても同じコンセプトで演出しますか?
J 『ワルキューレ』の私のコンセプトは、世界のどこでも恐らく通用すると思います。しかし日本画や書、歌舞伎などに親しんでいる日本の観客は、もちろんワーグナーに対してとても敏感でしょうから、私はこの作品を日本で上演するのは特別に意味があることだと思っています。
─日本のオペラファンにメッセージをお願いします。
J 『ワルキューレ』へようこそ!これを、神話的で普遍的思想がたくさんつまった作品とか、人間ごっこをしている重厚な神々の出てくる巨大な“ワーグナーの一作品”とは考えないでください。人間の状況から逃れたくて、神であることを夢見る人間同士の内面的ドラマとして、聞き、見てください、この素晴らしい音楽の中に、嫉妬、笑み、涙や希望を感じてください。それがこの傑作に今日の我々がいかに親しみを感じられるかのカギになるのです。
2001年 ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』ザンクト・ガレン劇場(スイス)
1995年 モーツァルト『イドメネオ』ブリュッセル王立モネ劇場(ベルギー)
1994年 スカルラッティ『貞節の勝利』リエージュ王立劇場(ベルギー)