文:林田直樹
<あらすじ>
聖杯騎士団の長老グルネマンツが森の湖の近くで二人の従者とともに、奪われた聖槍で刺された傷と病に苦しむ王アムフォルタスの到着を待っていると、荒馬に乗った女クンドリが薬を届けに来る。従者たちはクンドリを異教の魔女だといって遠ざける。そこへ、ここを聖域と知らずに白鳥を矢で射落とした若者が引き立てられてくる。
彼は自分の名さえも知らない。グルネマンツは、神託で告げられた「共に苦しむことで知を得る愚者」がこの若者と思い、城へと連れていく。
悪魔と契約した魔法使いクリングゾルは、美しいクンドリを呪縛してあやつり、若者(=パルジファル)を誘惑の罠に陥れようともくろむ。
クンドリは、パルジファルに向かって両親の悲しい運命について語り、慰めようとして抱いてキスをする。その瞬間パルジファルはアムフォルタスの苦しみの原因と自らの使命を理解し、クンドリの誘惑を拒絶する。クリングゾルが現れて聖槍を投げると、槍はパルジファルの頭上で止まり、彼はそれをつかむ。
聖杯城に帰還したパルジファルは、グルネマンツと再会。新王に就任したパルジファルはクンドリに洗礼を施す。先王ティトゥレルは既に死に、聖杯の儀式もできなくなっていたアムフォルタスの傷は、聖槍によって癒される。罪から解放されたクンドリは静かに息絶える。
「舞台神聖祝典劇」と銘打たれ、他の世俗的なオペラと一緒に扱われるのをワーグナーが避けたほど、『パルジファル』は敬虔で繊細な美しさに彩られています。聖杯騎士団の長老グルネマンツが語り部となった、儀式的なまでに壮麗さを誇るこのオペラの魅力とは?
2020年1月フランス国立ラン歌劇場での『パルジファル』公演より。
©️Klara Beck
古今のオペラのなかで、これほど野の花をいつくしみ、無垢で優しく、慰めに満ちた音楽が、物語のクライマックスに奏でられたことがあったでしょうか? オペラ『パルジファル』に、初心者が少しでも糸口を見つけようと思ったら、「聖金曜日の音楽」における春のうららかな気分を味わうのが一番の早道です。
1857年4月のある日、まばゆい春の光の中、小さな庭では緑が芽吹き、鳥たちが歌っている―そんな静寂のなか、ワーグナーは夢のような時間を体験します。25年後に初演されることになる『パルジファル』の核心、第3幕の「聖金曜日の音楽」の着想はここから始まりました。
そこでワーグナーは、自然を愛でるだけではなく、それを奇跡として昇華できるようなドラマを作り上げます。ポイントとなるのは、誰もが人生において抱える「終わりのない痛みと苦しみ」の問題です。聖杯騎士団の王アムフォルタスは、オペラの最初から最後まで、深い傷を負って苦しみ続けています。悪魔と契約した魔法使いクリングゾルを討とうとしたが謎の美女クンドリに誘惑されて罠にかかり、聖槍を奪われてしまい、脇腹を刺されてしまったのです。決して閉じない傷と病。それは肉体の苦しみだけでなく、心の苦しみでもあります。
異教の魔女として忌避されているクンドリも、錯乱のうちに苦しみ続けています。奉仕しようとするのに善行が信じられず、安息を求めるのに眠りさえも信じられない。どこまでも続く深い夜と狂気のなかで、神聖な世界と悪魔的な世界とを彷徨う、自由のない呪われた女。男を誘惑し、嘲笑することはできても、心から泣くことはできない―彼女の苦しみをいかに理解できるかは、とても重要です。
そんな彼らを救う存在として現れるのが、汚れのない愚か者パルジファル。第2幕のクリングゾルの魔法の園で、花の乙女たちから誘惑される中でパルジファルは「かわいくて誇り高いお馬鹿さん」と呼ばれます。それは、何もパルジファルだけのことを指しているのではなく、世の男性はみな同じようなものかもしれません。息子の帰りを待ちわびながら悲しみのうちに死んだ母についてクンドリから教えられ、「僕はどこをうろついていたんだ、母さんを忘れて!」と叫ぶパルジファルの気持ちも、親に迷惑をかけてきた男性であればあるほど、とても共感が得られるところでしょう。
そんな愚者パルジファルが、クンドリから抱きしめられキスされた瞬間、すべてを悟り、知を得るというのも面白い展開です。人生におけるキスの意味を真剣に考えることなど、いまさら照れくさいという人も多いかもしれませんが、劇的なドラマの転換点として、キスの役割が愛や官能にとどまらず、知的・哲学的な意味でも最大限に高められているのは注目すべき点です。
「共に苦しむ」という言葉が何度も出てくるのも重要です。なぜ「共に喜ぶ」ではないのでしょう? それを改めて考えてみるのも、この時代、意義深いことであります。苦しい人の気持ちになってみるということは、優しさの始まりでもあります。『パルジファル』は自然の美しさだけでなく、人間の優しさについてのオペラなのかもしれません。第3幕の終わりでのパルジファルの言葉、これは私たちに向けられた言葉でもあります―。
「あなたの苦しみにも祝福を」。
好調の常任指揮者セバスティアン・ヴァイグレと読売日本交響楽団が管弦楽を担当。これまでに東京二期会では『ばらの騎士』『サロメ』『タンホイザー』を披露している。 ©️読売日本交響楽団
演出家・宮本亞門さんに訊く 『パルジファル』
今回、新制作の『パルジファル』は2020年1月にストラスブールの国立ラン歌劇場で上演された舞台です。
「これを演出したのは、癌で亡くなった国立ラン歌劇場の総裁エヴァ・クライニッツからの強い願いがあったからです。エヴァは僕に『金閣寺』を提案してくれた人。いつも朝から晩まで劇場に来ていて、彼女ほど芸術を愛した人はいなかった。病気で弱っていく中でこう言ってくれたのです。闇と光を両方知っているあなたのような演出家に、西洋的でない論法で『パルジファル』をやって欲しいと」
亞門さんの話によると、クライニッツさんは仏教思想につながる視点で『パルジファル』を捉えることができると信じていたとのこと。確かに説得力のある考えです。たとえば親鸞の悪人正機(あくにんしょうき)は、悪人こそが救われるべきとする考え方ですが、それはこのオペラのクンドリについてこそ当てはまるのではないでしょうか。ワーグナーの普遍性はキリスト教をも越えていくべきだし、見事な着想です。
「クンドリは、本当はとても正直な女性であり、徹底的に自分自身を否定し、罪のある汚れた存在だと思い込んでしまっている人の空しさを抱えています。そんなクンドリが最後は清められて死ぬという風にしたかった。ワーグナーの音楽には、想像力の壮大さ、魔術や呪いにも似た、血を躍らせるようなものがありますね。理性では収められない人知を超えたその世界観は、美しいですが危険でもあり、どこまでも連れて行かれる感じがします」
舞台は美術館の設定。「ほとんど歩いていないのに遠くに来ているみたいだ」というパルジファルの言葉、「ここでは時間が空間になるのだ」というグルネマンツの言葉に、このアイディアは鋭く
対応しています。昔からの因習や戦争などで苦しんでいる人たちの霊が、浄化できずにたまっている場所=美術館で、どんなドラマが展開されるのでしょうか。
林田直樹
Naoki Hayashida
音楽ジャーナリスト・評論家。1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌『音楽の友』『レコード芸術』の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバーまで、近年では美術や文学なども含む、幅広い分野で取材・著述活動を行なう。インターネットラジオ「OTTAVA」プレゼンター、Webマガジン「ONTOMO」エディトリアル・アドバイザー。
ワーグナー『パルジファル』
オペラ全3幕
日本語及び英語字幕付原語(ドイツ語)上演
指揮:セバスティアン・ヴァイグレ
演出:宮本亞門 合唱:二期会合唱団
管弦楽:読売日本交響楽団
東京文化会館 大ホール
2022年7月 | 13日(水)17:00 14日(木)14:00 16日(土)14:00 17日(日)14:00 |