19世紀、大晦日のウィーンが舞台。銀行家アイゼンシュタインは役人を殴った罪で収監される晩、悪友ファルケの誘いでオルロフスキー公爵の夜会へ出かける。そこではアイゼンシュタイン、妻ロザリンデ、小間使いアデーレ、刑務所長フランクと誰もが身分を偽って宴を愉しんでいる。朝になってアイゼンシュタインが監獄へ出向くと、本人と誤って収監されていたのは昔の妻の恋人アルフレード。アイゼンシュタイン邸から収監されたと聞いて、夫は妻をなじるが、夜会でせしめた彼の浮気の証拠を見せるロザリンデが一枚上手。けれど最後は「すべてはシャンパンの泡のせい」と華やぐ。
日本人指揮者の若手筆頭格、川瀬賢太郎さんが指揮する『こうもり』。
アンドレアス・ホモキ演出の話題のオペレッタをほとばしるようなみずみずしさとひたむきさで繰り広げる川瀬さんの指揮に注目が集まります。
撮影:佐藤久
──指揮者になったきっかけを教えてください。
私は1984年生まれで、同年代はJリーグ世代でサッカー一色。皆、憧れの仕事はサッカー選手でした。私も、当時も今もサッカーの大ファンですが、将来の夢は物心ついてから指揮者だったと記憶しています。
父がクラシック音楽愛好家で、音楽が生活の一部だったことが理由のひとつかもしれません。幼稚園の頃は、お箸とか振って指揮者の真似事をしていました。ピアノも習ったし、小学校の音楽の時間のリコーダーも得意。リコーダーと吹き口が似ているという理由でクラリネットも始めました。
実際、高校へもクラリネットで入学しています。私の場合、初めに楽器から入って指揮者になったのではなく、指揮者にとっては何かひとつ楽器に精通していた方がいいという理由でクラリネットをしていたというレアなケースだと思います。
──当時、好きな指揮者はいましたか。
今は、スマホでも気軽に指揮姿を見ることができますが、子ども時代はレコード半分、CD半分の時代。DVDはなく、レーザーディスクはありましたが高価でした。カラヤンは、レコードのジャケットで見て音楽も聴いたことはあるけれど、動く姿は見たことがありませんでした。ある時、テレビでカラヤンがチャイコフスキーを振る姿を見て格好いいな、と感動した記憶があります。他にカルロス・クライバーも好きですね。
──川瀬さんのような若い方に劇場に足を運んでもらうにはどうしたらいいと考えますか?
10代、20代、30代にクラシック音楽やバレエと触れ合い、親しんでもらいたいという、ゆるぎない気持ちはあります。若い世代に向け、国内外のオーケストラはアプローチや創意工夫を凝らし努力しています。けれどそれが過剰になって歩み寄り過ぎることに対して危惧しています。馴染みのない方にとって敷居が高いのは当然です。日本の伝統芸能である歌舞伎や能楽も然り。門戸を広げることは必要だと思いますが、過剰なアプローチやお仕着せは逆効果を生むこともあります。
劇場やコンサートホールに足を運んで欲しいとは思いますが、無理強いはしたくありません。クラシック音楽との出合いの場所を提供するのは私たちの役割。けれどその出合いが若い時でなくてもいいじゃない、というのが私の考えです。例えばなぜ10代にJポップが人気なのかなって考えた時、歌詞に共感するんだと思うんですね。初めて恋をした、苦しい、失恋というような。年を重ねて身近な人が亡くなったり、言葉に言い表せない多くの人生経験をした後で、クラシック音楽と出合ってもいいのではないかと。年代が大切なのではなく、その人にとって出合うべくして出合うタイミングが大切なのだと思います。
2014年より神奈川フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を務める、川瀬賢太郎さんの指揮姿。
写真提供:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
2017年日生劇場で上演されたアンドレアス・ホモキ演出、東京二期会オペラ劇場『こうもり』より、華やかな「シャンパンの歌」のシーン。© 三枝近志
──昨年、お子さんが生まれ、音楽や音楽観に変化がありましたか?
自分自身では変わったという自覚はありませんでしたが、周囲から言われることが多々あります。以前は子どもが生まれたら、守るものが増えるから音楽も守りに入るのではという心配もありましたが、杞憂だったようです。2020年に生まれた子どもが80歳を越えた時、22世紀を見ることになるんだなって考えると、それまで想像もつかなかった次世紀は、そこまで遠い未来だとは思わなくなりました。
──今は神奈川、名古屋、金沢と3つの楽団をメインに活動されているほか、三重県いなべ市の親善大使も務めていらっしゃいますね。
三者三様でそれぞれ地域性、個性を感じます。レパートリーもバロック、古典からつい十年前に生まれました、みたいな作品まで幅広いのも特徴です。ちなみに私のオペラデビューはモーツァルトやヴェルディ、シュトラウスでもなく細川俊夫先生の『班女』でした。いなべ市は父の出身地で私のルーツなんです。名古屋から車で1時間弱ほどですが、音楽を聴きたい人はたくさんいても、高齢化が進みなかなか本拠地のホールに足を運べません。ですから親善大使に就任してから年に一度、三重で名古屋フィルの演奏会を開き、みなさん楽しみにしていただいています。自分の田舎で、自分の楽団の指揮ができるのは感慨もひとしおです。
──『こうもり』はどんな作品ですか?
ユーモアにあふれ、楽しい演目です。しかも当時の上流階級に対して揶揄するような、健全ではないユーモアです。けれど笑いのなかに、本質的なメッセージが込められている点が『こうもり』の魅力でもあります。出演者が歌うナンバーも有名なものばかりで聴き手を飽きさせません。ホモキの演出も素敵で、以前、ベルリン・コーミッシェ・オーパーで私の指揮の兄貴分、キンボー・イシイが指揮をした公演を観ました。その時観客として観た舞台を、まさか自分が振ろうとは夢にも思いませんでした。
──いよいよ11月に指揮されますね。
私などより洒落っ気たっぷりに、(劇中の「シャンパンの歌」になぞらえ)華やか、かつシャンパンの泡のように軽やかに振れる指揮者はたくさんいらっしゃいます。このオファーをいただいた時に最後まで引き受けるかどうか迷いました。というのはシュトラウスやレハールのような、ウィーンのある意味〝おしゃれないい加減さ”のあるポルカやワルツ、特にワルツは日本の指揮者にとって圧倒的に難しいのです。考えすぎるとあざとくなるし、考えないとそっけなくなる。他の演目ならともかく、なんで『こうもり』?と戸惑いましたが、チャンスをいただいたことに感謝し、臨みたいと考えています。このご時世、11月の状況がどうなっているのか誰も知る由もありませんが、いずれ苦しかったこの時代を有名な「シャンパンの歌」のように笑い飛ばせる時代が来ることを願い、責任を持って務めたいと思っています。
川瀬賢太郎
1984年東京生まれ。東京音楽大学音楽学部卒業。2006年東京国際音楽コンクール<指揮>において1位なしの2位(最高位)に入賞。現在、名古屋フィルハーモニー交響楽団正指揮者、神奈川フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢常任客演指揮者のほか、三重県いなべ市親善大使も務める。2015年渡邉暁雄音楽基金音楽賞、第26回出光音楽賞など賞歴多数。東京音楽大学作曲指揮専攻(指揮)特任講師。
ヨハン・シュトラウスII世 『こうもり』
オペレッタ全3幕
日本語字幕付原語(ドイツ語)歌唱、日本語台詞上演
指揮:川瀬賢太郎
演出:アンドレアス・ホモキ
管弦楽:東京交響楽団
日生劇場
2021年11月 | 25日(木)18:30 26日(金)14:00 27日(土)14:00 28日(日)14:00 |