TOKYO niki kai OPERA FOUNDATION NEW STYLE OPERA MAGAZINE

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オペラを楽しむ

美しき二つの肖像 サロメ二題を聴き比べる

J.マスネ ~エロディアード~
ギュスターヴ・フロベール 『三つの物語』より

あらすじ–紀元前30年頃のエルサレム。王宮の舞姫サロメは、荒野で出会った美しい預言者ジャンの虜になってしまう。熱烈に愛を語るサロメ。しかし、男女の愛を拒絶し続けるジャンに想いは届かない。

王妃エロディアードは、夫エロデがサロメに執心する姿を見て苦悩する。占星術師の予見により、サロメが、かつて自らが捨てた娘であると知るエロディアード。一方、サロメに迫るが、頑なに拒絶されるエロデ。

ある日、エロデは、民衆を扇動した罪で咎められたジャンの命を救おうとするが、サロメの愛する人物がジャンであると知り、嫉妬から死刑を宣告してしまう。

牢獄で死を待つジャンは、サロメへの思いを募らせる。運命を共にすることを願うサロメを振り払い、死刑場へ向かうジャン。サロメは、王妃エロディアードに助命を嘆願するが、すでに時は遅く…。

R.シュトラウス ~サロメ~
オスカー・ワイルド 戯曲『サロメ』

あらすじ–王宮の宴席。義父ヘロデ王の卑猥なまなざしに嫌気がさし、宴席を抜け出すサロメ。すると、井戸の底からヘロデによって幽閉された預言者ヨカナーンの声が聞こえてくる。その声に魅了されたサロメは、衛兵隊長に井戸の蓋を開けるよう命じる。井戸から出てきたヨカナーンは、サロメの誘惑を物ともせず、ヘロデと王妃ヘロディアスの近親婚の罪を糾弾し続ける。サロメの欲望は、拒絶されるほどに高まって行く。

サロメを追って宴席からヘロデが出て来る。執拗にサロメに踊りを所望するヘロデ。望むものを何でも与えると誓うヘロデの言葉に、サロメは身にまとった7枚のベールを1枚ずつ脱ぎ捨てながら妖艶に激しく踊るのだった。

舞の後、ヘロデはサロメに何を所望するかと訊ねる。サロメは「銀の皿に盛ったヨハナーンの首」と答えるのだった。

―真の愛憎ドラマに迫る歌い手たちへの期待― 岸 純信(オペラ研究家)

少女の「危うさ」はいつ芽吹くのか?
世の中に対して攻めの姿勢に転じるその時、瞳の奥に挑発心をちらつかせながら、彼女たちは「うふふ」とほくそ笑むのである。でも、その一方で「振り向いて貰えぬ相手」が現れた途端、乙女心は一気に執着の塊と化す。「なぜなのよ!」と語気を強め、愛憎の振り子が憎の側に振れるのだ。ドイツのR・シュトラウスの楽劇『サロメ』の魔少女もその一人。劇中では、預言者ヨカナーンに拒まれ続けた結果、サロメが猟奇的な行動に出るさまが極彩色の音楽で描かれる。また、原作者ワイルドの言葉遣いも雄弁。表現のグラデーションを重ねながら、娘のフラストレーションを次々と炙り出すのである。

さて今回、その『サロメ』を取り上げるに際し、東京二期会が画期的なプロジェクトを打ち出した。それが、R・シュトラウスと異なる「ロマンティックなサロメ像」を描いたフランスのマスネの『エロディアード』を並べてみようという試みである。この2作は、独語の硬い音と仏語のこもった響き、音作りの違いといった要素に加えて、乙女の性格描写も好対照をなす「オペラ界の二つ星」である。マスネのサロメは、預言者ジャンの高潔さに惹かれる踊り子であり、彼を処刑しようとする王妃エロディアードが実母だとは知らずにいる女性。今回の連続上演は、一つの物語が様々なオペラに昇華する過程を、各方面から解き明かす好機にもなっている。

それでは、この二作に挑む歌手たちの生の声を紹介しつつ、それぞれの内容を比較してみよう。まずは『サロメ』に主演の森谷真理。『魔笛』の夜の女王で頭角を現したソプラノだが、この妖しい乙女像については「今の私の持つ楽器でのサロメ役の表現をお楽しみ頂けたら幸いです」と語るのみである。口調は実に控えめだが、このソプラノの資質に注目する筆者は、彼女が鋭利なフレージングを駆使しつつ「にんまりほほ笑む」一瞬が楽しみでしょうがない。森谷の笑みには人の心をかき乱す力が備わっている。フィナーレで生首を見つめ、〈Lippen~唇〉の一語に恍惚となるサロメの凄絶な演唱ぶりを体感してみたい。

次に、居丈高な母親役の二人をご紹介。まずは二作に出演するメゾソプラノ、池田香織の発言から。「彼女たちは“悪い意味での”女性らしさを持っています。どちらも欲を隠さないでしょう。『エロディアード』の王妃は地位を守りたいのですが、『サロメ』のヘロディアスは、ちょっと酔っ払いぽいと言いますか、上ずったような変な音程がたくさんあって、ヒステリックで自分勝手に聴こえます。ただ、二人とも“母よりも女”の面を強く打ち出すのが演じる面白さでもあります」

一方、『エロディアード』のタイトルロールを歌う板波利加は低音域に強いドラマティック・ソプラノ。

森谷真理―『魔笛』夜の女王

池田香織―『トリスタンとイゾルデ』イゾルデ

板波利加―『マクベス』マクベス夫人

「悪女と呼ばれる役を多く演じましたが、彼女たちの側に立ってみると、男性を愛で包み込み、更なる高みへと押し上げようとする深い母性と自信を感じさせ、悪女とは思えないのです、ただ、そこに裏切り、焦燥、絶望などが加わると、深く強い愛が毒や怒りと化すという哀しい現実があります。エロディアードも、夫への純粋な愛ゆえに苦しむ一人の女性です」と語ってくれた。

『エロディアード』第1幕の王妃のソロ〈拒まないで Ne me refuse pas!〉は、敏捷な上昇音型と一歩ずつ踏みしめるような下降音型の組み合わせから、感情の激しい起伏が浮かび上がる一曲である。この名アリアを、池田の強い響き、板波の深い声音がどう造形するか、ぜひ注目頂きたい。

城宏憲―『イル・トロヴァトーレ』マンリーコ

小森輝彦―『ダナエの愛』ユピテル

続いて男性陣の発言を。最初に、ベルカントものでの熱演が記憶に新しいテノール、城宏憲。「『エロディアード』のジャンは、預言者ながらサロメへの愛に苦悩するというロマンティックな性質の男です。今回はセミ・ステージ形式の上演ですが、愛と強い信仰との狭間で苦しみ心が揺れる様子を歌い演じることで、その先に訪れる殉教による死を、より尊く甘美なものに昇華できると確信しています」と彼は力強く語った。城の凛々と鳴りわたる高音域が、預言者の苦悩をより鮮明に滲ませる瞬間に耳を澄ませて頂こう。

次に、『エロディアード』でエロデを演じる小森輝彦。先日、コンサートの場でも、妻がいながら踊り子サロメに恋する王者の歌を披露し、評を書く筆者に手が痛くなるほど拍手させた名バリトンである。彼は、「以前、指揮のプラッソン氏から学びましたが、フランス語はかなり子音が強い。ラテン系の言葉ですが子音のきつさはドイツ語に近いと思います。なんとなく柔らかい響きではなく、言葉の表現を研ぎ澄ませて、マスネの音楽が立体的に劇場内に立ち上るように出来たら最高です」と理知的に説くが、その分析力をメロディに柔らかく投影できるのがこの名手の実力の証である。第2幕の幻影のアリア〈儚き幻よVision fugitive〉で、どうしようもない情熱の虜になった男心がマスネの音作りでしっとりと表現される辺りに耳を欹ててみたい。

今尾滋―『ナブッコ』イズマエーレ ©野村正則

そして最後に、『サロメ』のヘロデ王に挑むテノール今尾滋。この役はキャラクター・テナーが千変万化の声音で歌うことが多い一方で、初演者はヘルデン・テノールであったという興味深い役どころ。濃密な声音の持ち主、今尾もその点を追究したいという。

「オーディションの準備中に驚いたのですが、ヘロデのパートにはバリトンでも難しい低音が書かれています。まるで『ワルキューレ』のジークムントのようです。その辺りも、バリトン出身の私は何とか音にできそうですから、聴いて頂きたいです。リアルな人間としての“壊れた権力者像”を描けるのではないかと思います」

実力派の歌手たちが、役柄を自分の目で捉え、どんどん掘り下げる『エロディアード』と『サロメ』。見比べてこそ理解が深まるオペラの世界で、ファンの皆さまがこの好機を逃されることなどありませんように。

Le temps des deux “Salomé”~二つの「サロメ」~
一つのストーリーから生まれた二つのドラマ

東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ
マスネ 『エロディアード』
《新制作 セミ・ステージ形式》

オペラ全4幕
字幕付原語(フランス語)上演
2019年4月27日(土)17:00 / 28日(日)14:00
指揮:ミシェル・プラッソン
Bunkamuraオーチャードホール

東京二期会オペラ劇場
ハンブルク州立歌劇場との共同制作
R.シュトラウス 『サロメ』
《新制作》

オペラ全1幕 字幕付原語(ドイツ語)上演
2019年6月5日(水)18:30 / 6日(木)14:00 /
8日(土)14:00 / 9日(日)14:00
指揮:セバスティアン・ヴァイグレ
演出:ヴィリー・デッカー
東京文化会館 大ホール