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オペラを楽しむ

美輪明宏 三島由紀夫が遺した美の余韻

今年3月のフランス初演で大絶賛を浴びた三島由紀夫作、黛敏郎作曲『金閣寺』。
2019年2月には、東京での凱旋公演が予定されている。
東京公演に向けて、三島の演劇作品を幾度となく演じ、天才・三島由紀夫の最も良き理解者であった美輪明宏氏に話を伺った。

─美輪さんは、『金閣寺』という文学作品をどのように捉えていらっしゃいますか。

『金閣寺』の根底には、“美意識の闘い〟のようなものが感じられます。美意識の高さゆえに、主人公(溝口)は金閣寺の放つ美しさにコンプレックスを抱き続けたのです。美への深い意識を持ちながらも、それを自由自在に操ることのできないもどかしさから、主人公は放火という、極端な行動に出てしまった訳です。

─三島由紀夫氏ご自身の内面の葛藤が描かれた作品ともいえるのでしょうか。

 三島さんは、『少年倶楽部』に出てくるような清らかな少年の素顔を持っていらっしゃいましてね、本当に純粋な方だったと思いますよ。ですから、あの主人公のように、純粋な穢れのない美意識から、子供ながらに金閣寺の美に翻弄されて、追い詰められてしまうというような心情が、三島さんご自分のどこかにおありになったんでしょうね。

─美輪さんご自身、『金閣寺』のオペラ化に際して、どのようなことを感じられましたか。

『金閣寺』の原作も、高度なレトリック(修辞技法)を駆使した格調の高い文体で書かれていますが、三島さんの作品はどれも、他の方たちのとはまるで違うんですよ。あの世界に調和する音楽を生みだすのは、並大抵のことではないでしょうね。
 確か、黛(敏郎)さんと三島さんは、『金閣寺』以前にも他のオペラ作品でご一緒されているはずなんですが、残念ながら実現に至らなかったんですね。それで、一時、お二人の仲に溝が生じてしまって。その時、三島さんが「芸術家っていうのはね、いかなる困難が訪れても、苦しんで、苦しんで、のたうち回って、その結果生み出されたものが後世に遺るものだからね」と言ってらしたのを思い出します。天才同士だからこそ、わかり合えるものがあったのでしょう。その後、お二人が仲直りなさったから、『金閣寺』というオペラ作品が生みだされた訳ですね。

─三島氏の演劇作品を何百回と演じていらっしゃいますが、氏の戯曲作家としての天才性や美意識は、例えばどのような点で感じられますか。

『黒蜥蜴』の劇中で、黒蜥蜴と彼女の若い愛人、部下ですけどね、二人が出会いの時を回想する場面があるんです。黒蜥蜴は恐ろしい女で、若い男にクロロフォルムを嗅がせて、気絶している間にさらって、愛人にするんですよ。三島さんが、「ここ(回想場面)の台詞の作りは、オペラのアリアですからね」って、おっしゃるんです。
 それで、よくよく台詞を見たら、“あ”の音が、綺麗に韻を踏むように計算してあって、一つの曲のように美しく作られているんです。
 『あのときのお前は美しかったよ。(中略)真(ま)っ白なセーターを着て、仰(あふ)向き加減の顔が、街頭の光りを受けて、あたりには青(あお)葉の香りがむせるよう、お前(まえ)は絵に描いたような悩める若者だった…(以下略)』
 そこまで、“あ・あ・あ・あ・あ・あ”というリズム的な頭韻で見事に調子が昇っていくんです。
 続いて、笑いながらのセリフを持ってくる。
 『アハハハハハ、クロロフォルムのハンカチ。あんなロマンチックなハンカチはないわ。このハンカチは劇場の幕のように、この世の一等幸福な瞬間にするすると下りて来て世界を隠してしまうんだわ。…(中略)でも、どうでしょう。気が付いてからのお前の暴れよう、愛想嘆願、あの涙…お前の美しさは粉みぢんに崩れてしまった。…』
 そこで一曲の美しいメロディーのアリアが終わって、バッと世俗的に戻る。歌うような夢見心地の一説から、罵りのような一説まで、表現とともにものすごく広い音域が要求されるんですね。役者は二オクターブを完全に駆使できないと、三島さんの台詞は失敗するんです。

─三島氏ご自身もたびたび舞台に出演されたようですね。

いつだったか、三島さんが「スターの気分を味わいたい」っておっしゃるんで、じゃあ私のコンサートにゲスト出演なさればということになったんです。三島さんが詩を書いて、私が作曲と振り付けをして、三島さんがお歌いになったんですよ。

─美輪さんの発音指導が大変お厳しかったと。

まあね。でも一週間で完璧にマスターされましたよ。三島さんのお宅は、お父様が生粋の公務員でいらしたから、芸事がお嫌いでね。三島さんは音楽に憧れていたけど、それが許されない環境だった。だから、大人になって私の歌を聴いた時に、「これだ」って仰ってファンになって下さった。

美輪明宏主演『黒蜥蜴』より。撮影:御堂義乗

─美輪さんご自身、九月中旬から東京と各地方都市でロングランの演奏会を開催されますね?

かれこれ、もう40年以上、春にはお芝居を、秋にはコンサートを上演し続けています。基本的には一人芝居なんですよ。一人オペラみたいに、さまざまなジャンルがあるんです。男の歌があったり、母親になったり、子供になったり。オペラやクラシック音楽ファンの方々も結構聴きに来てくださるんです。私の歌はね、映画を何本も見たような感じがすると。歌に出てくる人物や背景を塗り絵のように、自分の色に彩色することができるからでしょう。

─芸術・文化が現代に果たす役割は何だと思われますか。

人間はなぜ文化を編み出したと思いますか? 美術、文学、音楽、スポーツ、これらすべてのものを。
 古来、芸術というのは、各人が精神状態を良好に保つために必要な手段だったんですよ。今はもう、みんなデジタルジャパンになってしまって、考えられないような心の病気や犯罪が多くなったでしょ。
 詩を作るとか絵を描くとか、将棋をさすとか、サッカーでも何でもいいから、アナログ的な文化があるからこそ安らぎや慰めがある。今、若い人もお年寄りも、孤独な人が多くなっているでしょ。芸術とは高みにあるものではなくて、手元に手繰り寄せて楽しめば、精神的にも健康な状態を維持できるんですよ。

─美輪さんは、つねに舞台から多くの愛を与えていらっしゃる。

恋と愛は違いますからね。恋は自分本位、愛は相手本位。愛は与えっぱなし。人間同士でなくとも、犬でも鳥でもいい、やっぱり愛の交流ができる、そういうのが生活の中になければね。
 一人ひとりの観客の背後にだって、さまざまな人生やドラマがあるわけでしょ。その人たちが一瞬でも現実を忘れて、そして癒されたところで、“さあ、ではお帰りください〟と。
 人々が家へ帰って、孤独な部屋で暖かい光を見た時、私たちの舞台をふと思い返して、ロマンだなとか、ノスタルジックだなとか、少しでもそう思って下されば。そこまでが我々の使命です。歌うという才能を持った者の責務ですよ。オペラ歌手の皆さんだって同じですよ。

─最後に、オペラ『金閣寺』の上演に向けてメッセージを頂けますか。

どんな作品でも評価というものはさまざまあるでしょうけど、物づくりの二人の天才が、身を削って生み出した作品ですから、好き嫌いを問わず、ぜひお楽しみ頂きたいと思います。

美輪明宏
Akihiro Miwa

小学校の頃から声楽を習い、国立音大付属高校を中退後、16歳にしてプロの歌手として活動を始める。クラシック・シャンソン・タンゴ・ラテン・ジャズを歌い、銀巴里やテレビに出演。1957年、『メケメケ』が大ヒット。ファッション革命と美貌で衝撃を与える。日本におけるシンガーソングライターの元祖として多数の唄を世に送りだしてきた。俳優としては、寺山修司『毛皮のマリー』の主演を機に、三島由紀夫に熱望され『黒蜥蜴』に主演。空前の大成功を収め、N.Y やパリをはじめ世界的ヒットとなる。他にも、ジャン・コクトー作『双頭の鷲』、デュマ・フィス原作『椿姫』、アラバール作『大典礼』と数多くの作品を当たり役にしている。毎年秋に開催されるコンサートでは、様々なジャンルを超えた選曲、趣向を凝らした美術や照明など、その“カリスマボイス”と呼ばれる最強の歌声で観客を魅了し続けている。

Photo:御堂義乗