TOKYO niki kai OPERA FOUNDATION NEW STYLE OPERA MAGAZINE

ENGLISH

オペラを楽しむ

鈴木秀美、ヘンデルの『アルチーナ』を語る 聞き手/文・那須田 務

二期会ニューウェーブ・オペラ劇場『アルチーナ』は、二期会オペラ研修所を出て3年以内という若手歌手を中心にしたキャスティングで、管弦楽も国内外第一線で活躍する奏者と、東京藝術大学古楽科および桐朋学園大学古楽器科の学生によるニューウェーブ・バロック・オーケストラ・トウキョウが担当するユニークな舞台だ。3年に一度の開催となるこのシリーズ、前回公演は、同じく鈴木秀美氏指揮の同オーケストラによる『ジューリオ・チェーザレ』だった。

鈴木秀美(以下同) 若い歌手たちがこのオペラを通して世界に向かって羽ばたき、活動の場をひろげていく。それを皆で応援するとても有意義なプロジェクトだと思います。それはオーケストラも同様です。通奏低音(※1)などの主要なパートはプロが担当しますが、他は学生です。プロでも器楽奏者がオペラのピットで演奏する機会はそうありません。でも、たとえばモーツァルトなどは交響曲や協奏曲、室内楽でもオペラ的な性格を持つ作品が多く、実際のオペラの世界を体験することで音楽の「引出し」を増やすことができます。

さて、今回はタッソーの騎士物語を題材にした『アルチーナ』。1735年にロンドンのコヴェント・ガーデン歌劇場(※2)で初演され、当時から人気の高い演目でした。恋多き魔女アルチーナは気に入った男性がいると魔法の力で島に誘い込み、飽きると動物や樹木や石に変えてしまう。そこに恋人を探しに来たブラダマンテが現れて物語が急展開。魔女が活躍するので「魔法のオペラ」とも言います。

アルチーナとモルガーナの二人の魔女が揃って出てくるところなどは、『千と千尋の神隠し』の湯婆婆(ユバーバ)と銭婆(ゼニーバ)を思い出しておかしくてしかたがないんですよ(笑)。でも、彼女たちの魔法の力は全然たいしたことなくて、とても人間的な存在で愛に苦しむ。一番の悪役のアルチーナにしても、愛する人に捨てられて最後は本当に気の毒なくらい。ですからオペラのテーマはやはり愛でしょうね。

魔法に限らず、誘惑され、その虜になると周囲も自分の本心も分からなくなることがあるでしょう。そういう魔法の愛と本物の愛が綱引きのように引っ張り合いをして、最後は本物の愛が勝つ。主要な登場人物は彼女たちを含めて5人ですが、彼らはアリアを通して、愛とは何か、人生で本当に大切なものは何かを聴き手に問いかける。そこにこのオペラの普遍的な魅力があると思います。

アリアが多いですね。25曲以上もあって音楽的にも歌唱技法的にも多彩です。またこうしたバロック・オペラでは、歌手たちが楽譜に書かれていない装飾的なパッセージを即興的に歌うことが求められます。当時の歌手たちは舞台上で自らの音楽性と歌唱技術を披露し、競い合った。その点でも前回の『ジューリオ・チェーザレ』は素晴らしかったですね。

 あの時にはリハーサルでいくつかご法度を設けました。歌の先生やCDに頼らないこと。パッセージは自分で作ること。作り方はガイドしました。そこで通奏低音奏者や副指揮者と協力して指導しました。本番ではこちらがびっくりするほど大胆なパッセージをつけて歌う人もできてきて面白かったですね。

今回の『アルチーナ』のアリアは音楽的にもどれも非常に聴き応えがあります。たとえば2幕の最後の方に、愛する人に捨てられそうになったアルチーナが精霊に力を借りて何とか騎士ルッジェーロの愛を取り戻そうとあがく場面がありますが、そこのレチタティーヴォ・アコンパニャート(※3)などは物凄く奇妙な音程が使われていて、さしずめヘンデルの狂乱(※4)の場でしょうね。それに続いて彼女が歌う長大なアリアも聴き所です。でもそういう悲しい情感を歌うアリアでも、演奏に際しては時代に適った楽譜の読み方やテンポを考慮することが大切です。

その方が演奏の説得力が一層得られ、作品本来の魅力が味わえるということでしょうね。

オーケストラも充実していますよ。たとえば3幕に一度だけ出てくる、狩を象徴する2本のホルン。

アルチーナの魔法の解けたルッジェーロが、魔法の軍団や怪物たちに囲まれた島から離れるために、恋人ブラダマンテに一時的に別れを告げる場面で歌われる勇壮なアリアですね。別離の辛さと決意が、子虎を守る親虎の気持ちに喩えられる。

そうです。あるいはモルガーナの3幕のアリアではチェロだけでソプラノを支えるところがあって、チェロ弾きには嬉しいですね。こうしたアリアを含めてどの場面でも登場人物の様々な感情や愛のかたちが音楽で巧みに示されている。

ヘンデルのどの有名なアリアにも言えることですが、ヘンデルの凄さは、音楽はとてもシンプルなのに、ものすごく深い情感を表現していることでしょうね。涙を誘うのに難しい音楽はいらないとでも言っているようです。

ヘンデルというと一般に「メサイア」や管弦楽曲やソナタや室内楽を思い浮かべる方が多いと思いますが、やはりオペラは凄いですよ。前回の『ジューリオ·チェーザレ』でもそれぞれのアリアで歌われる人間の心のありようが、音楽を通して実に効果的に引き出されていて、リハーサルや公演中に何度もチェンバロを担当している上尾さんと顔を見合わせては、「やるねえ」と唸っていました。改めて生前の絶大な人気の理由が分かったように思いましたね。演出家との作業はこれからですが、今回の『アルチーナ』でも音楽を通して登場人物と一緒に泣いたり、笑ったりできるような上演になるといいと思っています。

※1 バロック音楽における伴奏の演奏方法。低音部のパートで、楽譜では音符に数字がつけられており、演奏者はその数字にしたがって即興で和音をつけて演奏する。 ※2 イギリスのロイヤル・オペラ・ハウスのこと。ロンドンのコヴェント・ガーデン地区にあるために「コヴェント・ガーデン歌劇場」などと呼ばれる。 ※3 オーケストラの伴奏のついたレチタティーヴォ(音楽にのって歌われる台詞の部分)。 ※4 19世紀のイタリアオペラによくあるヒロインが悩み苦しんだ挙句正気を失ってしまう場面で、華やかな装飾音符が散りばめられたアリアを歌う。歌手の超絶技巧の聴かせどころである。

©K.Miura

鈴木秀美
Hidemi Suzuki

チェロ、指揮、執筆、録音のディレクター、そして後進の指導と、その活動は多岐にわたる。文化庁芸術作品賞、レコード・アカデミー賞、サントリー音楽賞、齋藤秀雄メモリアル基金賞ほか多数を受賞。《18世紀オーケストラ》のメンバー、《ラ・プティット・バンド》、《バッハ・コレギウム・ジャパン》の首席奏者を務めた。2001年《オーケストラ・リベラ・クラシカ》を創立、アルテ・デラルコ・レーベルからその録音やソロ、室内楽等をリリース中。《ガット・カフェ》《ガット・サロン》等レクチャー及び室内楽のユニークなシリーズを展開。日本各地、オランダ、ポーランド他のオーケストラに指揮者及びソリストとして客演。山形交響楽団首席客演指揮者。著書に「『古楽器』よ、さらば!」(音楽之友社)、「ガット・カフェ」「無伴奏チェロ組曲」(東京書籍)、「通奏低音弾きの言葉では」(アルテスパブリッシング)。東京音大チェロ科客員教授、東京藝大古楽科講師。