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オペラを楽しむ

『魔弾の射手』 Der Freischütz これを見ずしてドイツオペラは語れない!

©Nationalpark Hainich Verwaltung (Thomas Stephan)

森はファンタジーの宝庫

森にまつわる妖怪話は世界中に数多ある。とりわけドイツの深い森は人々の幻想を誘い、そこに蠢(うご)めく魔女や悪霊や妖怪たちはグリム兄弟の童話をはじめ、民話、伝説の格好の題材になってきた。中世ドイツの森に伝わる「魔弾伝説」もそのひとつ。魔弾とは、狙った的に必ず当たる弾丸のことで、猟に生きる狩人たちにとっては喉から手が出るほど欲しい弾だが、案の定、森の悪魔に魂を売らなければ手に入らない。ここで、人間の欲望や弱さが試されることになる。

ウェーバーは、ドイツの作家が書いた怪談集を元にしたオペラ『魔弾の射手』を1821年、35歳の時に発表した。この数年前に苦労の末オペラ『フィデリオ』を書き上げたベートーヴェンは、ウェーバーのスコアを読んで「まったく独創的で、思いもよらない才能だ!」と驚嘆した。ウェーバー自身が指揮するこのオペラを9歳の時に観たワーグナーは「自分も作曲家になる!」と決意した。一般の人々も「これこそ全ドイツ人が待ち望んでいた真のドイツオペラだ!」と歓喜して、ウェーバーには“ドイツ国民オペラの創始者”の名が贈られた。これほど強烈な影響力と魅力を持ったオペラなのに、日本では余り上演されてこなかった。そもそも、ウェーバーについてもほとんど知られていない。

“劇場の申し子”ウェーバー
(1786〜1826)

ウェーバーは北ドイツの小さな町で生まれたが、父親が旅回りの劇団の座長をしていたので馬車や芝居小屋を家に、歌手や楽士や役者を家族同様にして育った。幼少から父や兄たちに歌やピアノを教わり、11歳で作曲を初め、行く先々で有名な作曲家に師事して作曲と指揮の腕を磨いた。要は、オペラや芝居の現場で叩き上げられ、少年期にはもう舞台作りのノウハウに精通したプロフェッショナルになっていたのだ。その才能と実力は誰の目にも明らかだったので、早くも18歳でブレスラウの歌劇場の楽長に、27歳でプラハ歌劇場の指揮者に、そして31歳の時にはドレスデン宮廷歌劇場の楽長に迎えられた。『魔弾の射手』を発表したのはその4年後である。(初演はベルリン)

当時のドイツは5つの王国と大小の諸公国の集合体で、ウェーバーが落ち着いたドレスデンはザクセン国の首都だった。君主である歴代の選帝侯は文化芸術に力を注いだので、ドレスデンは「音楽都市」としての名声を誇っていたが、その中心の宮廷歌劇場はイタリアオペラに席巻されており、長年楽長を務めたドイツ人作曲家ハッセもイタリアでオペラ修行を積み、イタリアオペラと自作の「イタリア風オペラ」をせっせと上演していた。そのような伝統の中で、ドイツの民間伝承を題材に、ドイツの深い森や村を舞台に、狩人や村人を主役にしたドイツ精神の塊のような『魔弾の射手』の出現が、どれほど新鮮な驚きを持って受け止められたかは想像に難くない。先のベートーヴェンの言葉に全てが集約されている。ウェーバーはたった1人で、ドレスデン宮廷歌劇場を“ドイツオペラの牙城”に変身させたのだった。

カール・マリア・フォン・ウェーバー
Carl Maria von Weber

ジングシュピールとして書かれた
『魔弾の射手』

ジングシュピールは「歌芝居」「音楽劇」などと訳されているように、歌と芝居が交互に物語を進めて行く形式のオペラで、昔からドイツの大衆演劇として人気が高かった。さすが観客の好みを知り尽くしたウェーバーならでは、の選択である。一方でこれを演じる者には、一人で歌手になったり役者になったりの“多芸さ”が要求される。日本ではこの両方をこなせる歌役者が少なかったため、上演も難しかったのだろう。しかし、今や二期会には達者な歌役者が大勢揃っている。加えて今回は、登場人物の性格や心理、時代背景、狩人や村人の素朴で粗野な生態などを懇切丁寧に演技指導する、コンヴィチュニーの演出である。“二期会初”(※注)に込められた自信と熱気が伝わってくる。

物語の舞台は15世紀半ばのボヘミアの森。射撃大会と恋人アガーテとの結婚を明日に控えた若い狩人マックスが、不意に襲ってきたスランプに苦しむシーンから始まる。この時すでに、悪魔に魂を売って魔弾を手に入れた狩人カスパールに取り憑く悪魔の影が、マックスとアガーテの身辺にも及んでいる。しかし不安と絶望に駆られたマックスは何も知らないまま、カスパールの誘惑に負けて深夜の森に魔弾を作りに行ってしまう。ここから先は手に汗握る場面が続き、最後は善と愛に生きる恋人たちが神の力によって救われる。ウェーバーがこのオペラのスコアに「神の栄光に捧げる」と記したように、底辺には中世の敬虔な宗教観が流れているのである。

ハンブルク州立歌劇場公演『魔弾の射手』ペーター・コンヴィチュニー演出
©Jörn Kipping

見どころ、聴きどころ

深い森に響き渡る狩人の角笛で始まる「序曲」は、全曲の聴きどころが凝縮された名曲として名高く、コンサートでもよく演奏される。

幕が開けば素晴らしい合唱とアリアの連続だ。勇壮な「狩人の合唱」、民謡を元にした村娘たちの愛らしい合唱「花嫁の冠を編んであげましょう」。そしてアガーテの抒情的なアリアと、従妹エンヒェンの陽気で軽快なアリア、この対照的なソプラノ2人の耳の蕩けるような重唱など、聴きどころ満載である。

見どころは何と言っても、真夜中の「狼谷」のシーン。悪魔から魔弾の造り方を伝授されたカスパールとそれを見守るマックスの周りで妖怪や悪霊が飛び交い、1発ずつ弾が鋳造される度に、嵐が吹き荒れ、雷鳴がとどろき、7発目の弾に至って天地は崩れ落ちて2人は失神する。この大スペクタルをコンヴィチュニーがどう作ったかは、見てのお楽しみ。

更にこの演出では、奇妙な姿をした悪魔が随所に現れる。これは“悪魔の誘惑は常に誰の身近にも潜んでいる。ほら、あなたの横にも”というコンヴィチュニーのメッセージではないだろうか。この『魔弾の射手』は、彼の名プロダクションの1つに挙げられている。

文・ひのまどか

※注) 二期会としては1976年の日本語訳詞上演以来となり、原語歌詞による上演は今回が初となります。