二年前の東京文化会館。『ダナエの愛』の千秋楽で、メルクルさんの楽屋に呼ばれて「ケンタは『タンホイザー』と『ローエングリン』なら、どっちがやりたい?」って訊かれた時は、驚きました。『ダナエの愛』は僕にとって、念願かなっての初オペラです。その千秋楽に、メルクルさんがもう次のお話をして下さるなんて、楽屋を飛び出して上野の公園で一人泣きましたよ。しかも最愛のワーグナー!『タンホイザー』は、ワーグナー全作品のうちで最も好きなオペラです。だけどメルクルさんの美しいタクトと御一緒させていただくなら、ここはやはり『ローエングリン』が聴きたいという想いがつのります。
僕の『ローエングリン』初体験は1997年の新国立劇場開場記念公演。そのタイトルロールが、福井敬さんでした。僕のあたまの中で、福井さんのローエングリンが浮かびます。こんなことをメルクルさんと話していたら、二期会さんから、次は『ローエングリン』を、もちろんメルクルさんと一緒にどうでしょうか、と。こんなおとぎ話のような展開で、恐れ多くもついに、ワーグナー・デビューさせていただく事になりました。
けれどもいざ演出する立場となって、ここ数年の『ローエングリン』上演史を振り返ってみますと、これはなかなか一筋縄ではいかない、大変な作品だとも思うのです。
©三枝近志
右:2015年10月東京二期会オペラ劇場『ダナエの愛』指揮:準・メルクル、演出:深作健太、ダナエ:林 正子 ミダス:福井 敬 左:2014年9月記者発表会の際の準・メルクルと深作健太。この場で二人は意気投合したことから、今回の再共演へと至った。
昨今のドイツオペラは御存知の通り、圧倒的に〈読み替え〉演出が主流です。リアリズムが好まれる日本では、〈読み替え〉は忌避される傾向にありますが、東ドイツを中心に、国家権力の検閲をかいくぐるためにも磨かれて来た〈読み替え〉演出の技法は、さかのぼれば、ヒトラーの演説に国民が熱狂した時代に、危機感を覚えたブレヒトさんが感情移入を批判的に捉えるよう〈異化〉を唱えた事から始まっています。
僕は反権力の芸術表現である、この〈読み替え〉演出が、決して嫌いではありません。ことにワーグナー作品と〈読み替え〉演出とは、切っても切り離せない関係にあるのです。1976年に、時代背景を神話の世界から産業革命期に移し、資本主義社会を批判したパトリス・シェロー演出の「ニーベルングの指環」以来、最新の解釈による〈読み替え〉によって、数々の挑戦的な名プロダクションが今も生まれ続けています。
しかし一方で『ローエングリン』の演出となりますと、ちょっとビミョーなところが目につきます。いまだ新バイロイト様式の影響を残した抽象的な演出が多く、あるいは日本でも上演されたジョーンズの〈家〉を建てる演出から、コンヴィチュニーの教室での〈イジメ〉問題、はてはノイエンフェルスの〈ネズミさん〉にいたるまで、珍演出・怪演出が続発し、混迷を極めているのも現状です。
その原因のひとつが、〈ファシズム〉の問題にあると僕は思います。かつてヒトラーがこのオペラを愛し、ナチスによって政治利用されてしまったために、『ローエングリン』という作品には烙印が押され、〈呪い〉がかけられてしまいました。そこから自由になろうとすれば、あるいはあえて無視しようとすれば、『ローエングリン』の演出はたちまち作品の本質から離れ、迷走してしまうのです。
『ローエングリン』は勇ましく無垢な、白鳥の騎士という〈英雄〉の降臨を謳ったオペラです。同時に、彼に跪き、あるいは彼の誓いを破ってしまう、エルザに代表される〈人間〉の心の弱さ、儚さを謳ったオペラでもあるのです。ファシズムは、僕たちの周囲から今も決してなくなってはいません。お金や権力者に、あるいは多数派に依存して安心を得ようとしてしまう僕たちの弱い心は、常に新しいファシズムを生む危険性を抱え続けています。僕たち表現者はいつも心の中にあるファシズムに決然と立ち向かい、『ローエングリン』という傑作を、聴衆の手に取り戻し続けなければなりません。
ワーグナーは『ローエングリン』を〈ロマンティック・オペラ〉と名付けました。その物語は幻想的な〈メルヒェン〉であり、また中世アントワープを舞台とした〈歴史劇〉でもあります。僕はこの忘れられがちな〈歴史劇〉としての側面を大切にしたいと思います。一方に歴史劇という〈現実〉があるからこそ、メルヒェンという〈虚構〉の美しさは生きるのです。
ワーグナーは1848年に『ローエングリン』の総譜を仕上げたあと、ドレスデン革命に身を投じ、逃亡生活ののちは、熱狂的なワグネリアンだったバイエルン国王ルートヴィヒⅡ世の庇護を受けました。この作品が書かれた背景には当時の、ドイツ帝国統一に向けて旧来の価値観が大きく揺れ動いた変革の時代の〈空気〉があります。混乱の中で〈ナショナリズム〉が求められた時代だったからこそ、聴衆はローエングリンという〈英雄〉を受け容れたのです。
では、ローエングリンとはいったい誰なのでしょうか?彼は何故あんなにまで頑なに、自分の正体を問う事を禁じたのでしょう?作中での彼の正体は、モンサルヴァートの王パルツィヴァルの息子であり、聖杯の騎士です。しかし僕たちは現代に彼を息づかせる時、さらにその奥にある真の姿を探求しなくてはなりません。
僕は今回の演出の時代設定を、19世紀末のバイエルン王国にしようと考えています。強国プロイセンに迫られ、ドイツ帝国への編入を余儀なくされたバイエルン。強引に普仏戦争へと駆り出され、多大な犠牲を出してしまったバイエルン。それはまるで、いま僕たちが暮らす日本を取り巻く状況と似ています。成人してもなお少年の心を持ち、〈狂王〉とまで呼ばれたバイエルン王。一人のワーグナー・フリークが、建設途中のノイシュヴァンシュタイン城で、破滅の間際に見た〈夢〉。彼は実際に中世に憧れ、国家財政を傾けてまでローエングリンになりたかった、そしてなれなかった男です。ワーグナー作品の中で唯一、愛による〈救済〉がないといわれる『ローエングリン』。今、僕たちは混迷に生きる21世紀の日本で、物語の最後に、どんな〈フューラー(指導者)〉を見出すのでしょう?
いただいた幸福な機会を大切に、メルクルさんと、大好きな二期会の歌手の皆さんと御一緒に、至高のスコアと十二分に向き合って、美しい『ローエングリン』を作りあげたいと思っています。永遠に挑発的であり続けるワーグナーの世界を、どうか皆さん、ぜひ劇場で体験してください
右:ノイシュヴァンシュタイン城
中:ルートヴィヒ2世(1845-1886)第4代バイエルン国王。「狂王」の異名で知られる。ノイシュヴァンシュタイン城やバイロイト祝祭劇場を建てさせる。 左:アウグスト・フォン・ヘッケルによる「ローエングリン」(1886)
深作健太
Kenta Fukasaku
1972年東京都生まれ。成城大学文芸学部卒業。
2003年、撮影中に逝去した父・深作欣二の跡を受け継ぎ『バトル・ロワイアルⅡ【鎮魂歌】』で監督デビュー。日本アカデミー賞優秀脚本賞、藤本賞新人賞、毎日映画コンクール脚本賞を受賞。主な監督作品に『同じ月を見ている』『僕たちは世界を変えることができない。』、主な舞台演出作品に『罠』『渇いた太陽』『スルース~探偵~』『里見八犬伝』など。2015年、東京二期会『ダナエの愛』でオペラ演出デビューを果たした。