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10月いよいよ〈二期会名作オペラ祭〉で蘇る! 蝶々夫人を彩る着物の世界

着物は多くの情報を持っている衣裳だ。現代では成人式に花魁風の着物を着たりする光景もさほど珍しくなくなったが、かつては普段着ているものから髪の結い方、簪(かんざし)一つに至るまで年齢や身分、家柄、職業、未婚か既婚かによって異なり、その人の社会的立場を表すものであった。『蝶々夫人』の世界の着物にもさまざまな情報が宿っており、物語に奥行きを与えてくれている。そんな『蝶々夫人』を彩る着物について紐といてみたい。

芸者に舞妓、花嫁。きらびやかな第一幕

長崎に丸山といふ処なくば

上方の金銀無事に帰宅すべし

井原西鶴

西鶴にこのように言わしめるほど、『蝶々夫人』の舞台である長崎・丸山は、かつて江戸の吉原、京都の島原と並んで日本三大花街と呼ばれるほど栄えていたそうだ。主人公の蝶々さんは、この丸山の芸者という設定だ。もとは士族の娘だがご維新で家は没落し、彼女は芸者になった。この時代、蝶々さんのような境遇の娘は少なくなく、陸奥宗光の妻・亮子や木戸孝允の妻・松子なども没落藩士の娘で、芸者として身を立てていた。

蝶々さんの背景にそんなことを思いめぐらせながら、話を『蝶々夫人』の舞台に移そう。幕が上がると満開の枝垂れ桜。春爛漫なある日の嫁入り。桜は華やかな花ではあるけれど、儚い花である。この幸せも桜が満開の今が頂点で、長くはないことが暗示されているようだ。日が落ちてあたりが暗くなると、黒紋付きに返し衿をした芸者衆に先導されて花嫁行列が登場する。昔の祝言は夕方から夜にかけて行われることが多く、蝶々さんの祝言も夜である。暗がりの中、芸者衆の襟元と襦袢の赤が実に艶っぽく映える。足元を照らす提灯には、揚羽蝶の紋。

列の中には舞妓の姿もある。舞妓の着物は肩上げや袖縫いがあるのが特徴だ。これは成長の早い子どもの身体に合わせてサイズを調節できるようにしてあるものだ。現代では舞妓といっても中卒以上なので若くても十代後半だが、昔は10~13歳くらいの子どもがなるものだった。その名残で現代でも舞妓の着物には肩上げと袖縫いがされている。舞妓はいわば芸者の見習い期間。蝶々さんも嫁入りのときの年齢は15歳だそうなので、舞妓から芸者になって間もない頃なのかもしれない。

そんな蝶々さんは鮮やかな山吹色の振袖姿である。裾にはタンポポや牡丹、肩まわりには桜の花があしらわれ、その中を蝶が舞っている。実に春らしい装い。胸元には筥迫(はこせこ)、帯には末広と懐剣。この3つは現代でも花嫁の携行品とされているが、昔は武家の女性が身につけていたもの。筥迫は現代でいう化粧ポーチのようなもので、紅や鏡、香、懐紙などが入っている。懐剣は「わが身と婚家を守る」、末広は「末広がりの幸せ」という意味が込められ、花嫁の小物となった。腰には「しごき」と呼ばれる赤い布をつけている。しごきは本来、室内で引きずっている裾を外出時にたくし上げておくための布だ。明治期に今のようにおはしょりを作って着る着方が一般的になってからは、装飾的な役割として七五三と花嫁衣裳でしか使われなくなった小物である。

婚礼衣裳と死装束。白が持つ意味

結婚式には西洋式のベールをかぶり、きらびやかな蝶があしらわれた白い打掛をまとって臨む。打掛はもともと江戸時代の武家の女性の礼服。明治期にはお掻取(かいどり)とも呼ばれ、華族や裕福な家庭の婚礼衣裳として用いられた。蝶々さんが嫁入りの支度をここまで調えられたのは、きっとピンカートンがきちんと支度金を用意してくれたのだろう。ストーリーだけ見るとヒドイ男だが、それなりに誠実な一面もあったのかも…と想像すると少し救われる気がしないでもない。

そして第二幕。束の間の結婚生活を経てアメリカに帰ってしまった彼を待ち続け、すでに3年。18、19歳くらい頃と思われる蝶々さんは、ピンク地に桜と蝶が描かれた春らしい着物をまとっている。半襟は白ではなく柄がたっぷり。今では半襟は白が一般的だが、昔は白は礼装用で日常的には色や柄の入った半襟をつけていた。人妻といってもまだ娘盛りの年頃を表している着物だ。ピンカートンの愛を信じて疑わないまっすぐさも、この年頃なら仕方ないのかもしれない。芸者時代がもう少し長ければ、もしかしたらもうちょっと現実的な考え方が生まれていたかもしれないが、育ちの良さゆえのまっすぐさともいうべきか。そして夫の裏切りを知った彼女は、最後、結婚式に着た打掛をまとって自害する。

花嫁衣裳と死装束は実は同じような意味あいがあるのだという。どちらも同じ白。花嫁衣裳の白は生家で一度死に、婚家で新しく生まれ変わるという意味がある。人生の、まったく別の局面で身につけるものに共通点があるというのはなんとも不思議な気がする。ともあれ、打掛に描かれた自由に舞う蝶の姿に蝶々さんを重ね、その魂が安らかでありますようにと願わずにはいられない幕引きである。

文・浅野未華
写真:三枝近志 2014年4月『蝶々夫人』東京文化会館