2014/15シーズンにコスタンツィ劇場(現・ローマ歌劇場)の公演でスカルピアを演じたロベルト・フロンターリが、インタヴューでこう語っている。
「『トスカ』には4人の主人公がいます。トスカ、カヴァラドッシ、スカルピア、そしてローマです」。そう、このオペラはローマなくしては成立しないのである。
ローマで上演するために変更された教会
フランスの劇作家ヴィクトリアン・サルドゥが、名女優サラ・ベルナールのために書いた戯曲『ラ・トスカ』では、第1幕の舞台は、ベルニーニ設計のサンタンドレア・ジェズイーティ(現・サンタンドレア・アル・クィリナーレ)教会という大変豪奢で美しい教会だった。しかし、この教会の立地は、サンタンジェロ城からは2キロ以上も離れた丘の上で、脱獄したアンジェロッティが駆け込むには無理がある。そこでプッチーニはこの戯曲をオペラ化する際、教会を第2幕でスカルピアの執務室となるファルネーゼ宮殿やサンタンジェロ城からほど近い、聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会へと移した。カヴァラドッシが借りている(アンジェロッティが井戸に隠れる)別荘も、戯曲では馬車を走らせるだけの距離があるのだが、オペラでは教会の裏手から菜園の中を通って歩いていける近さとなり、かつ、舞台に登場することもない。こうして台本作家たちは、戯曲をオペラ化するにあたり、ローマの聴衆が観ても違和感のない配置に舞台設定を整理したのである。
プッチーニがわざわざローマでこのオペラを初演した理由
ではなぜプッチーニが、このローマが舞台のオペラをわざわざそのローマで初演したかにも触れておこう。そこには当時の2大音楽出版社、リコルディ社とソンツォーニョ社の覇権争いがあった。ソンツォーニョ社は、このコスタンツィ劇場で、マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』で大当たりを取り、その後も流行のヴェリズモ・オペラで次々に成功していた。ライヴァルの大成功に、リコルディ社は、それまでどちらかというと北イタリア中心に評価されてきたプッチーニの手になる新作『トスカ』をわざわざご当地ローマにぶつけることで挑んだのである。初演当日こそ爆破予告がされるなど、オペラの設定である1800年さながらの政情不安の中で混乱に陥ったものの、結果的にこの作品はその後、世界的にプッチーニの作品でもっとも頻繁に上演されるオペラのひとつとなっていった。
そのとき舞台をデザインしたのが、トリノで『マノン・レスコー』『ラ・ボエーム』の初演の舞台美術を担当して好評を得ていたアドルフ・ホーエンシュタインである。
今回の公演ではそのときの彼のデッサンが忠実に再現されている。それは背景ばかりではない。家具のデザインや生地の色合いに至るまで、プッチーニがドキドキしながら眺めたであろう初演の舞台そのままなのである。
サルドゥの戯曲に書き込まれたキャラクター
戯曲『ラ・トスカ』をオペラ台本の『トスカ』にしたのは、イッリカ、ジャコーザ、そして作曲者であるプッチーニ本人である。オペラでは戯曲にあった政治的背景の説明は極力省かれた。実在の歴史上人物が数多く登場していた全5幕の戯曲は、3幕もののトスカとカヴァラドッシが中心の恋愛ドラマにその色を変えた。
戯曲とオペラで、キャラクターが最も異なるのはカヴァラドッシである。共和制を支持する、イタリア人の父とフランス人の母を持ち、パリに育った革命活動家としてより、トスカを愛する、情熱的なイタリア人の絵描きとしての側面がオペラでは強調されている。ゆえに戯曲にあった彼の理想や政治色の強い発言は最小限に縮められ、そのかわり(サルドゥの原作には存在しない、台本作家たちが書き加えた)二つの有名なアリア〈妙なる調和〉と〈星は光りぬ〉によって、彼の心はトスカへの情熱で占められることが表現されたのだった。
戯曲を読み直すと、オペラの中では言及されないいろいろな事柄がわかってくる。
サルドゥが、トスカについてカヴァラドッシに語らせているので、その一部を抜粋してみる。「トスカは、野原で山羊の世話をしていた。ヴェローナのベネディクト会が、慈善事業で彼らに読み書きや祈ることを苦労して教えた。最初の音楽の先生は修道院のオルガン弾きで、彼女は16歳ですでに頭角を現した。その歌声を聴いたチマローザが、オペラで彼女に歌わせようとしたが、ベネディクト会がそれに反対して揉め事になったこともある。結局それは法王が仲介して解決を見ることになった。彼女の歌を聴いた法王がいたく感激し、彼女に、歌で人々を感動させ、涙させることもひとつの神への祈りであると言って自由を与えたのである。その4年後、彼女はオペラ『ニーナ』で絶賛されてスカラ座、サン・カルロ劇場、フェニーチェ座とその活躍の場を広げ、そして今は(ローマの)アルジェンティーナ劇場で歌っているのだ」(拙訳)。
トスカが敬虔なカトリック教徒であり、嘘のつけない素朴な女性で、嫉妬を隠すことなく、それを時と場所も構わずぶつけてくるような単純な性格であることの背景は、こうして説明されているのである。
付け加えるならば、第2幕でトスカがカロリーナ王妃主催の祝勝祝賀会で歌っているカンタータは、戯曲ではパイジエッロ作曲という設定である。そして第3幕の冒頭で、いわば唐突に聴こえる羊飼いの歌は、このトスカの出自が伏線となっている。
『トスカ』第1幕。逃亡した政治犯アンジェロッティが隠れ家を求め、彼の一族が礼拝堂を持つ聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会にやってくる。そこでは画家マリオ・カヴァラドッシが教会の注文で、マグダラのマリア像を描いている。恋人のトスカがやってきたので、カヴァラドッシは、アンジェロッティを礼拝堂に隠す。 |
2幕。スカルピアが公邸としているファルネーゼ宮殿。アンジェロッティの居場所について、別室で拷問を受けていたカヴァラドッシが、部屋に戻ったところへ駆け寄るトスカ。ナポレオン軍の勝利をカヴァラドッシが讃えたため、怒ったスカルピアによって牢屋へ連行されてしまう。 |
3幕の終盤。サンタンジェロ城の屋上にある処刑場で、カヴァラドッシの処刑が行われる。トスカは、スカルピアと約束したため、処刑は空砲による見せかけで、生きたカヴァラドッシと国外逃亡できると信じているが…。 |