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オペラを楽しむ

初めて『ばらの騎士』を観る方のために リヒャルト・シュトラウスの美しき愛の世界を楽しむ

美しく華やかな世界の粋な楽しみ方

「オペラは何を聴いたらいいか、よくわからない」という声をよく耳にするが、オペラは総合芸術ゆえ、さまざまなニーズに応えることができる幅広さと奥深さを備えている。一度、すばらしい演奏家や演出家によるオペラの空気をまとい、その真意に触れたらとりこになることまちがいなし。

そのためには、ちょっとした予習が必要かもしれない。あらかじめ聴きにいくオペラのストーリーをざっと調べておけば、当日は字幕に目を凝らさず、音楽そのものに集中することができるからである。

今回は世界中で大人気を博しているリヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』を取り上げてみたい。フーゴー・フォン・ホフマンスタールの台本によるこのオペラは、18世紀のマリア・テレジア治世下(ハプスブルク帝国)のウィーンの貴族生活が舞台となっている。そこで繰り広げられる愛の物語がオペラ・ブッファ(喜歌劇)のスタイルで描かれ、R・シュトラウスの音楽は明るく優雅。美しく官能的なアリアや重唱が全編を覆っている。

主演は4人。美しく、内省的な性格の元帥夫人(リリックソプラノ、32歳未満)と、その若い恋人である青年貴族オクタヴィアン(男装のメゾ・ソプラノ、17歳)、野卑で好色なオックス男爵(35歳)、富裕なファーニナルのひとり娘で、オックス男爵との政略結婚が予定されている若いゾフィー(リリックソプラノ)。

なお、ばらの騎士とは、ウィーンの貴族が婚約の申し込みの儀式に際して立てる使者のことで、婚約の印として銀のばらの花を届けることから、こう呼ばれる。ただし、これは伝統的な事実ではなく、ホフマンスタールの創作とされている。

実は、このオペラには生涯忘れえぬ思い出がある。カルロス・クライバーのウィーンと東京公演を聴き、天空に飛翔するような感動を得たからだ。ただし、ウィーン公演は本当にクライバーが振るのだろうか、直前になって急遽キャンセルになるのではないだろうかと、薄氷を踏むような思いを抱いた。1994年3月21日、ウィーン国立歌劇場のオーケストラ・ピットにクライバーが姿を現すまで、この不安はずっと脳裏をかすめ続けていた。

クライバーがウィーンで『ばらの騎士』を振るというニュースはかなり前から伝えられていたが、自身の目指す音楽が完璧に表現できないと容赦なくキャンセルする彼のこと、このときも直前まで出演が危ぶまれていた。しかし、同じキャストでその秋に日本公演が組まれていることもあり、ウィーン公演も大丈夫だろうというのが大方の予想だった。

さて、18日の初日には確かにクライバーが登場し無事に振り終えたものの、例のおじぎをしてから振り向きざまにタクトを降ろしたためウィーン国立歌劇場管弦楽団の出足がそろわず、クライバーは完全にアガリ、それが歌手陣にも伝染して総アガリ状態になったとか。新聞は「クライバーは失敗か!」と書き立て、そのニュースは世界中から駈けつけたクライバー・ファンを不安に陥れた。

ところがクライバーもオーケストラも名誉挽回とばかりに発奮、私が聴いた21日は超のつくすばらしい出来。クライバー特有の踊るような指揮にも拍車がかかり、オーケストラも底力を発揮。アンネ=ゾフィー・フォン・オッター(オクタヴィアン)が若々しく凛々しい美男ぶりを披露し、バーバラ・ボニー(ゾフィー)は知的な味わいを役にプラス。フェリシティ・ロット(元帥夫人)は輝かしい歌声で喝采を浴び、クルト・モル(オックス男爵)も名演技と張りのある低音で存在感を示した。

女性にこそオススメのロマンティック・オペラ

『ばらの騎士』は作曲者のモーツァルトへの憧憬とJ・シュトラウスのワルツへの親近感が見られ、音楽は明朗で軽快で流麗。ワルツが印象的に用いられ、各々の動機は緊密かつ有機的に組み立てられ、管弦楽は大規模な交響楽の形式を備えている。台本のホフマンスタールは、モリエールをはじめとするさまざまな作品からヒントを得たとされている。

『サロメ』や『エレクトラ』で世間を騒がせたR・シュトラウスは、この新作で一気に人気沸騰、各国から聴衆がドレスデンへと押し寄せ、『ばらの騎士』と題した列車がベルリンからドレスデンの間を走ったほどだった。

印象的なのは、元帥夫人が、オクタヴィアンをあきらめ、若い彼とゾフィーの愛を大きな気持ちで認めるところ。ここではまさに、大人の色香が感じられるアリアが登場する。そして、終幕にオクタヴィアンとゾフィーによってうたわれる〈夢なのでしょう、本当ではないのでしょうか〉は、究極の美に彩られたデュオ。オペラのクライマックスで、自然に涙がこぼれてきそうな美しさだ。

『ばらの騎士』はオープニングからフィナーレまで夢見心地の気分が味わえ、日常からしばし離脱し、異次元の世界へと運ばれる。さあ、至福の時間に身を委ねませんか!

文・伊熊よし子
写真提供・グラインドボーン音楽祭 ©Glyndebourne Productions Ltd. Photo Bill Cooper.