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オペラを楽しむ

伝統と洗練が薫りたつ 世界最古の歌劇場へのいざない ライプツィヒ歌劇場 Opernhaus Leipzig 文・鈴木淳史

ライプツィヒ歌劇場 ©Kirsten Nijhof

 ライプツィヒは、ドレスデンから電車で一時間ほどの距離にある。ドレスデンといえば、歴史の堆積を思わせる重厚な雰囲気をもつ都市。一方、ライプツィヒはそれを凌ぐ歴史的な街でありながら、その空気は軽やかだ。古い街並みのあいだをぬって、新しさを求める風が吹き抜ける。
 王宮を中心に発達したドレスデンと、商業と学問の街ライプツィヒ。その違いは、オペラ劇場にも現れている。ドレスデンが誇るゼンパー・オーパーは、かつての宮廷歌劇場そのままの姿で第二次世界大戦後に復活した。同様に戦災で焼け落ちたライプツィヒ歌劇場も戦後に再建されたが、かつての威容を保ちつつも、飾り気の少ないモダンさが特徴だ。
 東ドイツを象徴する随一の劇場建築で、共産主義時代を想起させるいささか厳めしいモダニズムの外観ながら、この劇場の座席に腰を下ろすと、不思議と心が和む。ドレスデンやウィーンほど、ツアーの観光客が作り出す浮ついた雰囲気がないのもいい。観客席からは、いかに風変わりな演出であってもその理由を自分たちで考えようといった、旧東ドイツならではの真剣な視線が舞台に注がれる。ホール内部は木で覆われ、その音質は柔らかい。
 上演されるプロダクションは、華美ではないものの、洗練されている。ハンブルクのように斬新さ、過激さを強調することもなく、清新な風が舞台から爽やかに流れてくる。
 ライプツィヒ歌劇場は、ヴェネツィアとハンブルクに次ぐ、最古の市民歌劇場の一つだ。宮廷歌劇場ではなく、市民劇場として進取の気風に富んでいたこと。そして、中世以来の大学都市がもたらすインテリジェンス。古めかしくもなく、過度な新奇にも走ることのないバランスの良さが、この劇場の特徴といっていいだろう。

 1693年、ニコラウス・シュトルンクの『アルチェステ』上演によって、ライプツィヒ歌劇場は最初の幕を開けた。その後、若きゲオルク・フィリップ・テレマンが劇場の運営を担い、20曲ほどのオペラ作品をこの劇場のために書いたといわれている。
 1720年に劇場の興行は中断するが、1753年のJ・C・シュタントフスのジングシュピール『さあ、大変だ』上演によって復活。この成功により、ジングシュピールの発信地として劇場は活性化する。1766年に完成した劇場(シャウシュピール・ハウス)では、フランツ・ダンツィやフランツ・ベンダ、E・T・A・ホフマンなどが率いる一座も巡演を行った。1844年にゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者に就いたアルベルト・ロルツィングは、自作の多くをここで初演した。1850年には、シューマンの指揮によって自作の『ゲノフェーファ』が初演されている。
 1867年に新市立劇場として新たに建設された劇場は、優れた歌手を揃え、初演して間もないワーグナー作品を多く上演するなど、ヨーロッパ中にその名を轟かせることになる。1878年には、バイロイト祝祭劇場以外で初となる楽劇「ニーベルングの指環」全曲演奏を成し遂げた。
 ワーグナーは1813年にライプツィヒに生まれ、同地の大学に学んだ。現在、歌劇場の裏手の公園には、ワーグナーの胸像がある。1884年には、そのワーグナーの葬送曲にあたるブルックナーの交響曲第7番もこの歌劇場で初演されている。1879年から1888年まではアルトゥール・ニキシュが音楽監督を任され、その在任期間中にグスタフ・マーラーも音楽副監督を務めた。
 ヴァイマル共和政時代には、音楽監督グスタフ・ブレヒャーの指揮で、クルシェネク『ジョニーは演奏する』(1927年)、ヴァイル『マハゴニー市の興亡』(1930年)の初演が行われた。『マハゴニー市の興亡』の初演では、言葉と音楽と舞台をそれぞれ独立させたアンチ・ワーグナー的なオペラに、観客の賛否が激しく分かれ、警察まで出動する騒ぎとなったという。
 1943年に馬蹄形の古風な劇場だった新市民劇場は空爆によって焼失する。同じ場所に、クンツ・ニーラーデの設計による現在の歌劇場が1960年に竣工。以後、ブラッハーの『ヨタカ』など現代ドイツの重要なオペラ作品の初演、プロコフィエフ『戦争と平和』やショスタコーヴィチ『カテリーナ・イズマイロヴァ』などのドイツ初演を行うなど、進取の精神を失わない歌劇場として現在まで知られている。
 アウグスト広場を挟んで、真向かいにはゲヴァントハウス・コンサートホールが建つ。座付きのオーケストラを持たないライプツィヒ歌劇場のピットに入るのは、このホールを拠点とするゲヴァントハウス管弦楽団だ。このオーケストラが創設された1781年以来、両者の関係は密接で、不可分なものになっている。

Wagner

リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)
ライプツィヒにて生まれ、一旦離れた後、ライプツィヒ大学で学ぶため、戻っている。ワーグナーの生家の写真が残っている。

Goethe

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832)
ライプツィヒ大学在学中、通っていたとされる老舗レストランは、代表作「ファウスト」にも登場。ゲーテ街道は、生地フランクフルトからライプツィヒへと至る。

Bach

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)
ライプツィヒの聖トーマス教会のカントル「トーマスカントル」を務め、数多くの作品を同地で創作している。同教会内に墓も残されている。

 今年の二期会公演、9月のワーグナー『トリスタンとイゾルデ』と、11月のR・シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』は、ライプツィヒ歌劇場の提携公演になる。同劇場とは、2013年にヴェルディの『マクベス』を共同制作している。

2011年ライプツィヒ歌劇場『トリスタンとイゾルデ』

 今回、ヴィリー・デッカーの演出する『トリスタンとイゾルデ』は、デッカーの盟友である舞台美術のグスマン及び照明のトェルステデによる洗練の極みといっていい舞台が期待できるはずだ。『ナクソス島のアリアドネ』は、鋭い心理ドラマで定評のあるカロリーネ・グルーバーの演出。二期会では、2011年『ドン・ジョヴァンニ』以来の登場だ。ウィーン国立歌劇場やハンブルク州立歌劇場で好評を博しているシモーネ・ヤングの指揮との女性同士による共同作業が遂に日生劇場で実現する。いずれも、現地で好評を博した舞台だという。それぞれの作品に新しい風を送り込む公演になることは間違いない。