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オペラを楽しむ

オペラが大好きな人たちの『ナクソス島のアリアドネ』 文・堀内 修

プロローグ~大好きな人たち

『ばらの騎士』の圧倒的な人気はよくわかる。でも、『ナクソス島のアリアドネ』がリヒャルト・シュトラウスの数あるオペラの中で、『アラベラ』や『影のない女』をしのぐ人気を持ち、広く上演されているのは、一体どうしてなのだろう?
「なんといってもツェルビネッタの超絶的な歌だね。モーツァルト『魔笛』で聴ける夜の女王の2つのアリアが好きなんですが、それよりも好きです」
「聴きどころはやっぱり最終場面じゃないかな?アリアドネとバッカスの二重唱こそ、オペラの極致っていうべきでしょう」
つぎつぎに出てくる。本格的な愛の悲劇でなく、プロローグとオペラなんていうおかしな構成の作品なのだけれど、オペラが大好きな人にとって『ナクソス島のアリアドネ』は愛玩すべきオペラらしい。
ここで作者たちが頭に浮かぶ。そういえば詞を書いたホフマンスタールも作曲したシュトラウスも、オペラを作る名人であっただけでなく、オペラが大好きな人たちだった。2人は『ナクソス島のアリアドネ』に、オペラの「大好き」をつめ込んだのではないだろうか?
まずメイン・テーマがアリアドネの愛の回復であるのに注目すべきだ。妻を失ったオルフェオの物語と並んで、愛を失ったアリアドネの物語はオペラの原点だ。モンテヴェルディの『オルフェオ』は残ったが『アリアンナ』(アリアンナはアリアドネと同一人物)は、名歌「アリアンナの嘆き」を残して失われてしまった。シュトラウスはこのオペラで、アリアドネの、愛の喪失と回復の物語をよみがえらせている。『ナクソス島のアリアドネ』には、愛を失ったアリアドネの嘆きの歌だけでなく、バッカスとの、回復された愛の二重唱がある。
よみがえったのはオペラの原点だけではない。オペラの歴史だってよみがえった。ツェルビネッタの超絶技巧の歌には、バロックの驚異への賛美が宿っている。
プロローグに登場する——いや、最近ではオペラにも、歌いはしないがよく登場している——作曲家も見逃せない。モーツァルトに見立てられることもあるが、このケルビーノやオクタヴィアンの弟みたいなメゾの役には、シュトラウス自身が投影されている。多分シュトラウスには自分自身を少しだけモーツァルトに重ね合わせようという気があったのだろう。
作曲家は俗物と戦う。もしかしたらシュトラウスは自分が、この20数年後に、俗物中の俗物というべきナチの指導者たちと戦うのを、予感していたのだろうか。もちろん芸術家は非力で、丸めこまれて混乱した上演を受け入れることになる。
まだまだあるが、このへんにしておこう。『ナクソス島のアリアドネ』を前にしたオペラ好きの舌なめずりは、いつまでも続く。

2008年ライプツィヒ歌劇場『ナクソス島のアリアドネ』

オペラ~上演

オペラが大好きな人のオペラとはいえ、このオペラの上演がいつだってすばらしいとは限らない。それがオペラというもの。制作中のシュトラウスとホフマンスタールの往復書簡には、オペラの内容に関する深い議論と並んで、どうやって、どんなメンバーで上演するかが真剣に検討されている。
さて今度の二期会の公演はどうなるか? 鍵を2人の女性が握っている。指揮するシモーネ・ヤングと演出するカロリーネ・グルーバーだ。このコンビによる上演は、ウィーン国立歌劇場の『妖精ヴィッリ』やハンブルク州立歌劇場の『死の都』で実現している。だが、日本では初めてだ。大体シモーネ・ヤングがオペラの公演を指揮するのが本邦初ではないかと思う。まちがいなくオペラの指揮者なのに、これまで日本では振っていなかったのだ。
信頼できるワーグナー指揮者だと読んで、「ニーベルングの指環」を聴きに、ハンブルクに行ったことがある。ヤングはハンブルクの音楽総監督(GMD)として、「指環」のチクルスを完成させたところだったのだ。はずれなかった。「指環」を指揮するヤングが備えていたのは、覇気と溺れない力だった。いや、多くの外国の指揮者がワーグナーを振る時には、つい音楽の動きに飲まれて溺れがちなのだ。だがヤングは少し早めの、確固としたテンポを維持して、「指環」の世界を出現させた。ミュンヘンなど一流歌劇場で、ワーグナーの指揮者、そしてシュトラウスの指揮者として支持されているのには、ちゃんと理由があった。
シモーネ・ヤングのオペラ指揮は、ようやく実現するところだけれど、カロリーネ・グルーバーのオペラ演出は、これまでも経験している。二期会の、あの滅法面白い『ドン・ジョヴァンニ』が、彼女の演出だった。
ロマン派絵画の巨匠ベックリンの「カリプソ」の映像で始まり、オデュッセウスならぬドン・ジョヴァンニが、女たちに翻弄されてゆく、あの実に刺激的な『ドン・ジョヴァンニ』を、思い出す人もきっと多いだろう。控え目に言っても、凡庸な舞台ではなかった。時に勇み足はあるけれど、カロリーネ・グルーバーは果敢にオペラの内側へと突入してゆく演出家だ。今度の『ナクソス島のアリアドネ』が、ありきたりの舞台になってしまう恐れは、まずない。
今度の指揮者と演出家のコンビに共通しているのは、覇気なのではないだろうか。アリアドネの世界とツェルビネッタの世界の衝突が、ただ異質な世界の共存に終わるはずはなく、アリアドネとバッカスの陶酔的な音楽が、無味乾燥に響く心配もない。
よく知っているオペラを確認に行くのが楽しみ、という人を別にすれば、劇場で何かを発見する愉しみを味わえるだろう。『ナクソス島のアリアドネ』と聞いて舌なめずりしてしまうオペラ好きも、きっと安心して驚くことができるはず。

シモーネ・ヤング
Simone Young

2005年夏から2014/15シーズンまでハンブルク州立歌劇場音楽総監督兼ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団音楽総監督。これまでにウィーン国立歌劇場、パリ・オペラ座、ロイヤル・オペラ・ハウス、バイエルン州立歌劇場、メトロポリタン歌劇場、ロサンゼルス・オペラ等主要歌劇場に度々登場している。また、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団等名門オーケストラに数多い客演がある。