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オペラを楽しむ

亜門フィガロができるまで 文◎大仁田 雅彦(舞台監督)

2006年東京二期会オペラ劇場『フィガロの結婚』 東京文化会館 撮影:鍔山英次
アルマヴィーヴァ伯爵:黒田 博 伯爵夫人:佐々木典子 スザンナ:薗田真木子

 宮本亜門さんが二期会で演出されたモーツァルトのいわゆる四大オペラといわれるすべての作品で舞台監督としてご一緒させていただきましたが、その最初の仕事が14年前の『フィガロの結婚』でした。演劇やミュージカルのジャンルで活躍されている演出家がオペラを手がける際に舞台監督を依頼されることは私にとっては初めてではなかったのですが、日本人の演出家が海外の美術家、照明家と一緒に仕事をするというのは当時の私にとっては初めての経験でした。

 美術家のニール・パテル氏はニューヨーク在住の方で、企画が出て最初に亜門さんと打ち合わせを行なった際には彼は模型を携えて来日し、亜門さんのオフィスで長時間議論しました。その際の基本的な原型は、現在舞台でみなさんにお目にかけているものとほぼ同じものですが、各幕のディテールはというと、予算的、あるいは技術的な理由から割愛したものも当然あります。私の手許に残っている模型写真の中には第4幕で立ち木のオブジェが飾られていて、亜門さんはかなり気に入っておられたようですが、残念ながら実現できませんでした(写真2枚目がその模型)。

 新規に舞台装置を製作する以上、公演の半年くらい前には細部を詰めるための更なる打ち合わせが必要になりますが、亜門さんもニューヨークを拠点として活躍していらっしゃったので、そのためにお二人が日本に来るよりは、我々がニューヨークに行った方が話は早い、ということになり、二期会の制作担当者、大道具会社の製作担当者とともに、一週間ほどの旅程を組んで渡米することになりました。長いことオペラの仕事をしていると、ヨーロッパに行く機会には恵まれることが多く、これまで数えきれないほどの国々に行ってきましたが、私はプライベートでの旅行を含めて、アメリカには(ハワイですらも)訪れたことがありませんでしたので、いささか興奮ぎみだったのをよく覚えています。9月20日前後に出発し、オフの日にはメトでオペラ、ブロードウェイではミュージカルを観てこようとまで計画していました。

 しかしながら、賢明な読者のみなさんはもうお気づきだと思いますが、その年、つまり2001年9月11日、あの同時多発テロが起きてしまったのです。テレビに映された世界貿易センタービルが崩壊していく映像はみなさんのご記憶から拭い去ることはできないと思いますが、それはもちろん私にとっても衝撃でした。そしてしばらくの間、日本からアメリカへのフライトはすべてキャンセルになり、渡米しての打ち合わせの計画は頓挫せざるを得なくなってしまったのです。

 アメリカに行く機会を逸したことももちろん残念でしたが、それよりも公演半年前という重要な時期に打ち合わせができないことのほうが打撃でした。致し方なくメールと電話でのやりとりを繰り返し、そして3ヶ月ほど前にニールに再来日してもらって細部の製作に関わる方法論などを確認してなんとか製作に間に合わせました。

 いまのセットは実は2代目になります。初演では以上のような製作スケジュールの関係で、組んだものを保管することを前提に製作する余裕がなく、終演後は廃棄処分にするしかなかったのです。2006年に再演したときに、ユニット式に組み上げていく現在の構造に改めて同じデザインで作り直し、仕込み(舞台作り)とバラシ(解体)、運搬が非常にやりやすくなりました。でも製作にあたっては、初演時から随所にさまざまな工夫を施してありました。第2幕では、正面に紋章のようなレリーフが整然と刻まれている壁があり、その立体感は極めて印象的ですが、あのレリーフはどのような素材でできているでしょう? 以前ならば発泡スチロールを削ったりしていたところでしょうが、なんと薄いプラスティックを成型加工したものなのです。お弁当屋さんで売っているプラスティックの弁当箱を作る技術を応用したのです。もしその方法に思い至らなかったら、あの壁は実現できなかったと思います。

 仕込みが容易になったとはいえ、装置の中心である三層のアーチ外周に蛍光灯をめぐらせるなど、構造的に決して単純なものではありません。また、その大きなアーチを第3幕から第4幕にかけて、お客様の目の前でクロスするように移動する場面転換(初演ではお見せしませんでした。再演時に亜門さんの強いリクエストがあって今に至っています)など、舞台監督としては公演のつど緊張するところです。

 余談ですが、結局今に至るまで渡米のチャンスはありません。よほどアメリカには縁がないのでしょう。