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オペラを楽しむ

『トリスタンとイゾルデ』が誘う、危険な旅 文◎深作健太(演出家、映画監督)

チューリッヒ湖の夕暮れ。ワーグナーが『トリスタンとイゾルデ』を
執筆したヴェーゼンドンク邸は、チューリッヒ湖の見える丘にあった。
©swiss-image.ch/Max Schmid

圧倒的な〈トリスタン〉体験

 はじめてベルリンで『トリスタンとイゾルデ』をナマで聴いた時の衝撃は忘れられません。2002年4月ベルリン州立歌劇場。指揮はバレンボイム、演出はクプファー。02年のフェストターゲは、バイロイト以来の名コンビが新たに作り上げて来たワーグナー10作品が一挙上演されるという、まさに記念碑的なイベントでした。この時のプロダクションは07年の来日公演でも披露されましたから、御覧になった方も多いでしょう。全ての出来事が、跪(ひざまず)いた天使の巨大な羽根の上で行われるという、とても幻想的な演出でした。

 緊張して客席の暗闇に座り、ピットから第一音が鳴り響いた途端、僕はクラッと来ました。なんだか不安が込みあげて、自律神経が逆撫でされたような気持ちになったのです。追い討ちをかけるようにバレンボイムのタクトが、激しいジェット・コースターの昇降のような、変幻自在なルバートをかけて煽(あお)ります。突然、前の席のおばあさんがバタッと倒れ、外へ担ぎ出されてゆきました。しかも、一幕の間にお二人も。この先どうなるんだと手に汗を握るうち、いつしか不快は陶酔へと変わってゆきました。

 あの時の感覚は、まるで禁断の秘薬(バルザム)です。始めは心と体が拒否反応を起こすのですが、やがてハマると、脳内からイケナイ物質が分泌され、恍惚から抜け出せなくなるのです。それはまさに劇薬でした。

 ワーグナーの音楽は、時に危険な魅力に溢れ、抗し難いオーラを放ちます。過激な暴力やセックス描写が様々なメディアで氾濫する現代、それでも『トリスタンとイゾルデ』というオペラが、依然として強靱な力を持っているのは、時代を超えた〈夜〉への讃歌として、僕たちを遠い世界へと誘い出してくれるからではないでしょうか。僕が聴いた危険な音。あの音こそ、今いるこの世に別れを告げさせる、まさに〈移行〉の音だったのです。父の代から、撮影が深夜早朝に及ぶ事から「」の愛称を持ち、映画や演劇という労働基準外の〈夜〉の世界に生きてきた僕にとってもまた、以来『トリスタン~』の音楽は至高の道標(みちしるべ)となったのです。

ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』
リブレットの表紙

2000年ベルリン州立歌劇場
『トリスタンとイゾルデ』
指揮:ダニエル・バレンボイム
演出:ハリー・クプファー
©Staatsoper Unter den Linden/Monika Rittershaus

ダニエル・バレンボイム
1942年生まれ。アルゼンチン出身のピアニスト、指揮者。

〈夜〉と、世界と、音楽と

 そもそも〈夜〉に、人がこんなにも心魅(ひ)かれるのは何故でしょう?〈夜〉は不思議な魅力をたたえています。〈昼〉は日常の時間であり、労働と公(おおやけ)の時間。僕たちはその時が早く過ぎる事を祈りながら、非日常の時間であり、個の時間でもある〈夜〉が訪れるのを待ち侘びます。

 ヨーロッパでは〈昼〉とは、神が放つ太陽の光に照らされた、視覚と秩序の時間。逆に光のない〈夜〉とは、聴覚と想像力に頼るしかない無秩序(アナーキー)な時間。酒も恋愛も犯罪も、盛り上がるのは決まって〈夜〉です。そう、オペラさえも!

 ドレスデン革命の挫折と、生来の浪費癖から来る恒常的な資金難、そして逃亡先のスイスで経験したヴェーゼンドンク夫人との不倫の恋は、〈昼〉の世界からワーグナーを遠去け、乖離させました。大作「ニーベルングの指環」を中断してまで取りかかった『トリスタン~』が完成した時、「リヒャルト、お前は悪魔の申し子だ!」と大作曲家に自ら叫ばせたのは、「軽い小品」になるはずのオペラが、見事に、今までのモラルが築き上げてきた〈昼〉の世界のルールを叩き壊し、マイノリティである禁じられた恋人同士だけの〈夜〉の世界を、そしてその向こうにある〈死〉をも超越した永遠の〈愛〉という新しい世界を、まさに〈発明〉する事に成功したからに違いありません。人間が創り出した藝術という名の灯火(ともしび)は〈夜〉にこそ映えるのです。トリスタンが死の絶頂の間際、「いま聴こえたのは、光か?」と歌う事は偶然ではありません。僕たちは〈夜〉という世界を視るのではなく、実は音楽と同じように聴いているのです。

右・リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)ワーグナーの写真 1871年
左・マティルデ・ヴェーゼンドンク(1828-1902) カール・フェルディナンド(子)画 1850年
ワーグナーが『トリスタンとイゾルデ』を執筆したころ、パトロンでもあったヴェーゼンドンクの妻マティルデと不倫の恋をしていたとされる。

ここではない何処かへ

 第一幕の冒頭で、海よりも荒れ狂っているのはイゾルデ自身です。かつては海原さえも自由に操れた魔女の末裔である彼女も、今は力を失い母の秘薬に頼るしかありません。

 トリスタンとイゾルデは冒頭から既に、道ならぬ恋に陥っているのです。二人は贖罪のため、毒薬を呷(あお)ろうとします。「単なる水でもよかった」とトーマス・マンが指摘した通り、〈昼〉の世界では決して受け容れられる事のない〈愛〉を実現するため、二人は死出の船旅へと向かったのです。

しかし残酷な〈昼〉の力は現世の常識の下、容赦なく〈生〉という苦しみの世界に引き留めようとします。二人は全曲を通じて問いかけ続けます、「一体ここは何処だ?」と。

 愛の恍惚の只中にある二人にとって、どこに居ようとも、もはやそこは船上でもコーンウォールでもなく、〈ここではない何処か〉に他なりません。二人は〈時間〉も〈距離〉も、始めから喪失してしまっているのです。最期に「愛の死」を唄うイゾルデにはもう、〈昼〉の世界の人間達、マルケ王やブランゲーネの声は届きはしません。二人は遠くへ行ってしまったのです。二人が棄脱した涯(はて)は、此岸(しがん)であるこの世ではない世界。〈昼〉も〈夜〉も超越した彼岸(ひがん)、すなわち真の解脱者(げだつしゃ)のみがゆける〈愛〉の世界でした。

 19世紀の近代資本主義社会の成立と危うさを、身を以(もっ)て知っていたワーグナーにとって、繰り返し描いて来た〈探求〉と〈救済〉とは、金や権力が絶対の宝である現世において、価値あるものではなかったのです。二人が見つけ出した〈愛〉という名の聖杯は、この世には決してないからこそ美しく、だからこそ最も価値あるものなのです。

 情報や労働が24時間体制となり、〈昼〉と〈夜〉の区別があやふやになった現代。どうぞ、このオペラを一度劇場で体験してみて下さい。その秘蹟(サクラメント)は、必ずや貴方を日常から遠く離れた魅惑の世界へと連れ掠(さら)ってくれるはずです。

 だけど決して、答えを問いかけてはなりません。誰もが存在を知っていて、そして実現する事が出来ずにいるもの。それこそが〈至上の愛〉であり、僕たちは未だ、それを求め続ける旅の途上にいるのですから。

右・「薬を飲むイゾルデ」 オーブリー・ビアズリー画 1895年
上・「トリスタンとイゾルデ」エドモンド・レイトン画 1902年

ルートヴィヒ・シュノル・フォン・カロルスフェルト(トリスタン)とマルヴィーネ・シュノル・フォン・カロルスフェルト(イゾルデ)。
1865年ミュンヘン初演時。

深作健太
Kenta Fukasaku

映画監督・脚本家・演出家。
1972年東京都生まれ。成城大学文芸学部卒業。2000年、父・深作欣二と共に脚本・プロデューサーとして「バトル・ロワイアル」を制作、2003年、撮影中に逝去した父の跡を継ぎ「バトル・ロワイアルⅡ【鎮魂歌】」で監督デビュー。以降、舞台、TVドラマなど多様なジャンルの作品を演出している。「バトル・ロワイアル」にて第24回日本アカデミー賞優秀脚本賞、第20回藤本賞新人賞、「バトル・ロワイアルⅡ【鎮魂歌】」にて第58回毎日映画コンクール脚本賞を受賞。2015年R.シュトラウス『ダナエの愛』で、オペラ初演出を手がけ、好評を博した。