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オペラを楽しむ

バッティストーニが語った イル・トロヴァトーレへの好奇心 文・香原 斗志

たぐいまれな統率力

 昨年の『リゴレット』、3年前の『ナブッコ』をすでに聴いた方に、いまさらアンドレア・バッティストーニの凄さを説いたところで、釈迦に説法だろう。
 たぐいまれな統率力でオーケストラからツヤのある引き締まった音を引き出し、それをぐいぐいと牽引して、ここぞとばかりに爆発させても一糸乱れない。その一方で、歌うべきところではたっぷりと歌わせ、歌手の呼吸への配慮も行き届いている。まだ彼の演奏を聴いていない方へは、2月の『イル・トロヴァトーレ』を聴きのがすのはもったいなさすぎる、とお伝えしておきたい。
 今年の夏、私はイタリアのトリノ王立歌劇場でバッティストーニが指揮するプッチーニ『ラ・ボエーム』を聴き、若々しい息吹のなかに喜怒哀楽が生々しく描かれていて、感銘を受けた。彼の生まれ故郷のヴェローナではヴェルディ『アイーダ』を聴き、凱旋の場の高揚から恋人たちが死を迎える静謐な場面までの起伏が、自然な息づかいのまま立体的に構築されていて、心を打たれた。
 では、『イル・トロヴァトーレ』はどのように聴かせてくれるのだろうか。
 ちなみに、『ナブッコ』は伝統的なスタイルでありながら、ヴェルディらしい激しい息づかいがみなぎり、合唱のあつかい方などに新機軸が見られる。また、『リゴレット』は、社会から排斥された醜い男を主人公に据え、伝統的形式を壊して音楽とドラマが一体化されている。バッティストーニは、この両作はドラマティックで革新的だから好きだと強調する一方で、『イル・トロヴァトーレ』には、作品としての“弱さ”を感じるそうだ。それは28歳という若さゆえの、素直な好悪の表現であるのと同時に、“弱さ”を指揮によって補いたいという意志の表れともいえる。実際、必ずしも評価していない作品の“調理”でこそ、バッティストーニは天才の真骨頂を発揮するのである。

伝統的なベルカントの作品

 前作『リゴレット』がオペラの歴史を大きく前進させたのにくらべると、『イル・トロヴァトーレ』は後退しています。『リゴレット』は当時の聴衆の好みのかなり先を行き、とても劇的であるうえ、主人公はお決まりのテノールではなくバリトンで、しかも、ヒーローどころか背中が曲がった醜い男で、当時の常識からかなり脱しています。一方、『イル・トロヴァトーレ』はソプラノをめぐってテノールとバリトンが争い、メゾソプラノは少々奇人、という従来の定型に戻っています」
 そう語るバッティストーニに、もう少し“定型”について掘り下げてもらう。
「『イル・トロヴァトーレ』は伝統的なベルカントの作品だといえます。だから、装飾音など典型的なベルカントを表現しながら、声を美しく聴かせるように書かれたフレーズを、もっと感情がこもった、表情に富んだものにしなければなりません。とりわけレオノーラ役のソプラノには、ベルカントの技巧が求められますが、技巧的には上手でも感情をこめられない歌手は、僕には退屈です。美しい旋律を美しいだけで終わらせず、心の表現にしなければいけない。そうしないとドラマが締まりません」
 ここで「ベルカント」という語に説明が必要だろう。イタリア仕込みの明瞭な歌い方をベルカントと呼ぶこともあるけれど、バッティストーニが言うのは、主に18世紀イタリアで発達した、装飾音をまじえた華麗な歌唱技巧と、それを土台にしたオペラの様式のこと。簡単にいえばメロディと、それを歌う声の“美しさ”を重視したオペラのことである。
 何を隠そう、筆者は美しいフレーズがあふれんばかりの『イル・トロヴァトーレ』が大好きだが、バッティストーニは、美しいだけでは退屈になってしまうから、そこに感情を息づかせたい、生命を宿したい、と訴えるのだ。
 同じ意識は、ヴェルディ円熟期の『アイーダ』に対しても向けられる。
「ヴェルディの後期の作品中では『仮面舞踏会』や『運命の力』、『シモン・ボッカネグラ』などにくらべ、少し後退していると思う。特に第3幕など、ずっと以前の作品のように、メロディを優先してドラマを構築しています」
 そのメロディの美しさを最大限に活かし、スタイリッシュに音楽を構築しながらも、終始、生命力がみなぎる演奏を聴かせ、聴衆の大喝采を浴びたバッティストーニの姿を、私はヴェローナで確認している。

説得力ある演奏への“カギ”

 再び、『イル・トロヴァトーレ』について語ってもらおう。
「文学的なロマンティシズムにあふれているのが興味深い。ヴェルディは大変な読書家で、同時代の劇作家や小説家の作品をかたっぱしから読み直し、夜の雰囲気の、幻想的ですこし恐ろしい世界を見つけました。あの味わいは当時の流行そのもの。血が流れるオペラですが、そこにヴェルディは、ベルカントの名残をはち切れんばかりに込めたんですね」
 実は、『ナブッコ』や『リゴレット』はすでに何度も指揮している若きマエストロだが、『イル・トロヴァトーレ』は、過去に一度しか振っていない。
「2012年にベルリン・ドイツ・オペラで指揮したきりです。以後、僕は『仮面舞踏会』や『アイーダ』、『ファルスタッフ』など、ヴェルディ円熟期の作品も指揮し、3年前よりもしっかりしたヴェルディ観を持つにいたりました。かつては、僕が愛する『リゴレット』が天才的なのにくらべ、『イル・トロヴァトーレ』は大衆的で後進的だ、と単純にとらえていましたが、あの幻想的な雰囲気など、いまは魅力的に感じます。いまは『イル・トロヴァトーレ』という作品に、以前よりずっと好奇心を抱いているし、東京での舞台を説得力がある演奏にするための“カギ”は見つけられそうです」
 あふれる旋律美が存分に表現されながら、緊張感に富み、登場人物たちの心の葛藤がゾクゾクするまでに聴き手に伝わる。そんなバッティストーニらしい『イル・トロヴァトーレ』が聴けそうな予感に、今から心が弾む。

アンドレア・バッティストーニ
Andrea Battistoni

1987年ヴェローナ生まれ。キャリアの初期よりバーゼル歌劇場、トリエステ・ヴェルディ歌劇場、ナポリ・サンカルロ歌劇場、ヴェローナ・フィラルモニコ劇場、ヴェネツィア・フェニーチェ歌劇場、カリアリ歌劇場、パレルモ・マッシモ歌劇場、パルマ歌劇場、ミラノ・アルチンボルディ劇場などで話題を呼ぶ。同時にサンクト・ペテルブルク交響楽団、RAI国立管弦楽団、マンチェスター・王立カレッジ管弦楽団、ヴェローナ・ディ・アレーナ管弦楽団など優れたオーケストラを指揮している。2011年パルマ歌劇場首席客演指揮者、2012年ミラノ・スカラ座に『フィガロの結婚』でデビュー、ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団との『イル・トロヴァトーレ』演奏会形式、2013年はベルリン・ドイツ・オペラ『ナブッコ』のニュープロダクションを成功させ、同年ジェノヴァ・カルロ・フェリーチェ歌劇場の首席客演指揮者に就任。2015年より東京フィルハーモニー交響楽団首席客演指揮者。東京二期会では2012年『ナブッコ』、2015年『リゴレット』に登場。国際的に頭角を表している若き才能であり、同世代の最も重要な指揮者の一人と評されている。