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円熟の時を迎えるバリトン 小森輝彦 〜ドイツの叡智とともに 文・山口眞子 写真・福水託

 小森輝彦さんのお宅を訪問したのは、『ダナエの愛』の公演大成功直後のこと。「R.シュトラウス・フェチ」を自認し、ユピテルを印象深く好演した小森さんは晴れ晴れとした笑顔で「どうぞ!」と出迎えてくれた。好天の日にはスカイツリーを望み、眼下には広い芝生の中庭を見下ろす、武蔵野の緑豊かな地に立つ瀟洒なマンション。2012年に拠点を日本に移すまで17年間ドイツで暮らし、うち12年間はアルテンブルク・ゲラ市立歌劇場の専属歌手として活躍。宮廷歌手にも認定され、仲間にも市民にも愛された小森さんにとってこの地を選んだのは、ゲラの街を彷彿とさせるからかと思いきや、ご子息の学校のためという。
「シュタイナーの学校があったからです」
 ルドルフ・シュタイナーとはゲーテの自然科学に影響を受けた思想家だが、その広汎にわたる人智学に小森さんは傾倒している。
「舞台人として、劇場専属12年間のあいだ、殆ど本番に穴を開けることがなかった」のも、体調管理を徹底する事が出来たおかげで、「それも嫁さんが健康法を色々探してきてくれて」。その一つがシュタイナーの考えに基づき化学物質を一切使わないコスメ製品。そしてシュタイナーの芸術論が素晴らしいともいう。
「僕には座右の銘があります。ゲーテの言葉で『自然の公然の秘密を打ち明けられ始めたものは、その最良の代弁者である芸術に抗いがたい憧れを覚える』。自然には人間の力の及ばない力があり、自然の向こう側にあるものを垣間見てしまった人は、そこに行きたいと思う。そう思ったら芸術をやるしかない。そんなゲーテに影響を受けたシュタイナーは様々に美を求めていくのです。それが彼の芸術論であり、そのためには健康でなくてはならないのです」
 そう言いながら勧めてくれたのは、焼きたてのライ麦パン。小森さん自ら焼いたものだ。「水と粉と塩だけで作るドイツパンは健康によいし、何より美味しいはず」と。

 

 そんな小森さんはパンと、それに合うハーブバターを人数分作って稽古場に持参するのが恒例。皆が喜ばないわけがない。
 パンと一緒に供されたハーブティがまた美味だった。今夏、ゲラに「里帰り」した際に購入したものも含め、戸棚には様々な種類のお茶が並ぶ。その里帰りの様子は現地の新聞の一面を飾った。滞在中にも家族の暮らしが取材されたり、12年にドイツを離れる際には、大きく記事として取り上げられるなど、いかに小森輝彦という芸術家が愛されているかが窺えるものだ。

2012年日本へ帰国することを報じる記事では、小森家の3人の写真が堂々と載った。

「ドイツではゲラ劇場まで2分というところに住んでいた。劇場の夜の本番は19時半から。楽屋でのメイクが30分前として、6時半に家を出れば十分なんですよ。だから、息子のチェロの練習に嫁さんがピアノで伴奏しているのを聴きながら飯を作り、皆で夕飯を食べて、自分は劇場に行くというのが、とても幸せでしたね」
 そんな暮らしぶりが日本でのお住まいにも映る。カウンターにはご子息が彫ったという木のオブジェが並び、昔、小森さんが作ったという木製のゲーム器を夫人が探し出してくると、「僕は嫁さんなしではダメ」と言い切る小森輝彦さん。笑顔が素敵だった。

小森輝彦(こもり てるひこ) バリトン

東京都出身。東京芸術大学、同大学院、文化庁オペラ研修所を経て文化庁派遣芸術家在外研修員としてベルリン芸術大学に学ぶ。平成12年度五島記念文化賞オペラ新人賞受賞。2000年以降ドイツのゲラ・アルテンブルク市立劇場専属第一バリトンとして活躍、テアター・オスカーを4年連続受賞。11年ドイツ宮廷歌手(Kammersänger)の称号を授与された。国内でも08年『ワルキューレ』ヴォータン、10年『ファウストの劫罰』メフィストフェレス、13年『タンホイザー』ビーテロルフ、『ホフマン物語』リンドルフ他4役、日生劇場『リア』(日本初演)タイトルロール、14年びわ湖ホール『死の都』フランクと大役を次々と演じる。本年12月、神奈川県民ホール『金閣寺』溝口、16年7月『フィガロの結婚』伯爵に出演予定。
二期会会員
公式ホームページ www.teru.de