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オペラを楽しむ

オペラ中毒患者を生み続ける『イル・トロヴァトーレ』への処方箋 香原斗志(オペラ評論家)

Fondazione Teatro La Fenice Il Trovatore
ヴェネツィア・フェニーチェ劇場『イル・トロヴァトーレ』 photo©Michele Crosera

輝かしいメロディでいっぱい

 オペラには麻薬のような性質があって、いちど中毒になってしまうと、簡単には抜け出せません。そんな禁断の道への入り口になりやすいイタリアオペラの筆頭が、『イル・トロヴァトーレ』ではないでしょうか。ジュゼッペ・ヴェルディは作曲するに当たって「私が求めるのは斬新で、偉大で、美しく、変化に富んだドラマです」と語りましたが、実際、のっけから美しいメロディが洪水のようにあふれ、そのなかで三角関係、呪い、出生の秘密、復讐という「変化に富んだ」要素が大胆にからみ合い、想像を超えた悲劇的な結末へと突き進んで行くのです。
 とにかく、このオペラは輝かしいメロディでいっぱいです。イタリアオペラ史上、実力も人気のうえでも最大級の作曲家であるヴェルディの作品のなかでも、これほどはち切れんばかりにメロディが詰まったものはほかに見当たらず、歌手たちの声も、管弦楽も、悲劇にふさわしい少し翳りある色合いを帯びながら、ひたすらメロディに奉仕するのです。
 だから、その音楽美に身をまかせているだけでも、じゅうぶん心地よいのですが、一方で、ヴェルディはドラマを深掘りすることにとことんこだわった作曲家です。要するに、美しいメロディと、それを輝かしく歌い上げる声によって、どこまでドラマを深く表現できるのか、ヴェルディはこのオペラで実験したのです。結果はヴェルディの大勝利と言っていいでしょう。1853年1月19日、ローマのアポッロ劇場での初演は熱狂的な喝采に包まれたそうですし、その後も今日まで絶えず上演され、オペラ中毒の“被害者”を生みつづけているのですから。

荒唐無稽?

 こうして、ヴェルディ中期の大傑作と認識されている『イル・トロヴァトーレ』ですが、初期の『エルナーニ』、後期の『運命の力』と並び、「ヴェルディの三大荒唐無稽オペラ」だなんて揶揄されることもあります。でも、そんなに荒唐無稽な話が、人の心を大きく動かしたりするものでしょうか。なにはともあれ、あらすじを確認してみましょう。
 舞台は15世紀スペインのアラゴン地方。ルーナ伯爵には幼い弟がいました。弟が病弱なのはジプシー女の呪いのせいだとされ、その女は先代伯爵の命令で火あぶりに処せられましたが、処刑後、伯爵の弟もいなくなっていました。
 成人したルーナ伯爵は宮廷女官レオノーラに恋しますが、彼女は吟遊詩人(トロヴァトーレ)のマンリーコと相思相愛の仲です。マンリーコの母親アズチェーナは処刑されたジプシー女の娘で、母を殺したルーナ伯爵家を恨むとともに、母親が処刑されるとき、ルーナ伯爵の弟を奪おうとして、誤って自分の子供を火に投げ入れてしまったという忌まわしい記憶を抱えていました。
 アズチェーナが弟の誘拐犯だと知ったルーナ伯爵が彼女を捕えると、マンリーコは母親の奪還を図りますが、失敗して逆に捕えられ、母親と一緒に処刑されることに。それを知ったレオノーラは、自分の身体を捧げるかわりにマンリーコを助ける約束をルーナ伯爵から取りつけ、隠れて毒をあおります。レオノーラの絶命を知ったルーナ伯爵は激怒して、マンリーコを処刑しますが、そのときアズチェーナは叫ぶのです。「あれはおまえの弟だ。かあさん、仇を取ったよ!」
 うーん、たしかに、母親たるもの、いくら慌てていても、最愛のわが子を誤って火に投げ入れたりするでしょうか。その結果、残された憎き仇の子を、大事に育てたりするでしょうか。筋書きの前提に無理があって、荒唐無稽のそしりも免れないような……。また、恋人を助けるために自殺する女性というのも、なんだかご都合主義のようで……。

力技による展開のおかげで

 でも、ちょっと待ってください。ひとつ、例を挙げます。10年ほど前に大ブームになった韓流ドラマ『冬のソナタ』。好きな方も嫌いな方もいるでしょうが、多くの人がこのドラマの虜になって、ときに涙を流しながら観たのは事実です。その筋書きは、死んでしまった恋人は、実は記憶喪失になって生きていたというもの。死んだはずの弟が別人として生きていた『イル・トロヴァトーレ』と、なにやら通じるものがあります。しかも、年月をへて2人がふたたび心を通わせた途端にまた事故に遭うなど、ご都合主義の権化のような脚本でした。
 けれども、冷静に筋書きを読んだら笑ってしまいそうな力技による展開のおかげで、視聴者が心を大きく揺さぶられる場面が生まれたのです。『冬ソナ』は雪が舞う美しい場面のなかで、主人公たちの心がすれ違ったり、わずかに交錯したりするたびに、視聴者は心打たれたわけですが、そのとき大抵の人は、荒唐無稽な筋のことなど忘れています。
 『イル・トロヴァトーレ』も同様で、三角関係の恋人たちが劇的にからみ合う場面、アズチェーナが忌むべき記憶を語る場面、マンリーコが勇ましく出陣する場面、レオノーラがマンリーコへの想いを切々と歌う場面など、それぞれが魅力的なあまり、強引な筋書きのことなどすっかり忘れてしまうのです。しかも、次から次へと繰り出される美しいメロディと輝かしい声という“援軍”、いや、“主戦力”があるから、いったん演奏が始まってしまえば、荒唐無稽だなんて考える暇はありません。
 物語の連続性を追求したヴェルディでしたが、実は、『イル・トロヴァトーレ』にかぎっては、あえて場面にこだわっています。どの場面にも歌があふれ、少し専門的に言えば、そこでは「カヴァティーナ~カバレッタ」という、歌をたっぷり味わうための古典的な形式が採用されています。叙情的なメロディをゆったりと聴かせる「カヴァティーナ」がアリアの前半に、速いテンポで華やかに聴かせる「カバレッタ」が後半に配置され、おかげで私たちは輝かしい声のシャワーを浴びながら、宿命の糸の上で翻弄される人々の悲劇を、真に迫るものとして味わうことができるのです。
 ところで、このオペラはこれまで、歌手たちが声の運動会さながらに勇ましく歌う作品だと思われがちでしたが、スコアの研究が進み、実はヴェルディが、かなりメリハリを利かせて、やわらかく歌うように求めていたことがわかってきました。すると、もっと美しさを増すに違いないのです。指揮者のバッティストーニは、それを踏まえて音楽を作るでしょうから、中毒患者の増加がいまから心配されます!