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オペラを楽しむ

『ウィーン気質』キャストインタビュー

澤畑恵美・塩田美奈子

  • 文=山野雄大/写真=塚原孝顕

澤畑恵美

 「オペレッタに初めて巡り逢ったのは、大学院を出た頃でした」と澤畑恵美は目を細めて振り返る。「オペラ研修所に入るまで1年ほど時間があったのですが、その間に日本オペレッタ協会の舞台に加えていただいたんです。その衝撃たるや!」

 それまで、舞台での演技は好きどころか「もう劣等感のかたまりで……。もともと歌曲やアリアを歌うのは大好きでしたが、音楽から湧き上がってくるとてつもないエネルギーの表現も、歌うことの中で完結していて演技はとてもとても。ところが、そのオペレッタの公演は小さめの空間で100人くらいのお客様の前に立って歌い演じるもの。まさに舞台と客席が渾然一体で、恥ずかしいなんて言ってられない。それまでアカデミックな教育の中ですら自分を解放できなかった私が、《アンネン・ポルカ》を歌いながら品のいい男性のお客様を見つけて膝の上に座ったりする状況にいきなり追い込まれて(笑)」

 明るくはじけるオペレッタの世界にいきなり飛び込んだ彼女、「お稽古が辛くて辛くて‥‥でもお客様の反応をいただくと楽しくなっちゃうんですよ。笑わせようという余裕もなく精一杯演っているのに“真面目に演れば演るほど笑いが起こるんだなぁ……”と(笑)。舞台って面白い!とその時強く思いました。あの経験がなかったら今はなかったのではないかと思います」

 古典から現代の邦人作品まで優れたテクニックから薫る豊かな表現力で満場を魅了し続けてきた澤畑恵美。数多くの成功を重ねていよいよ成熟をみせているところで、今回は『ウィーン気質』初挑戦。ヨハン・シュトラウス2世の人気ワルツやポルカを織り交ぜて底抜けに陽気なオペレッタに仕上げた本作で、浮気者の夫に手を焼く伯爵夫人役を演じる。

「この作品、登場人物にみな悪気が無いんです。なんとも粋なふところの深さというか……女性としてはとても理不尽な話なのに憤っている様子もない(笑)。伯爵夫人も、主人のつまらなさを嘆いた挙げ句に、彼が始めた女遊びをよしと認めて、愛人とタッグを組んでハッピーエンドに持っていく。おそらく彼女は愛情に関して考えられないくらい寛容で、そうあることが人生を幸せにすることを生まれた時から知っている女性。『フィガロの結婚』の伯爵夫人役も〈許す〉ことをキーワードのひとつとして演じたのですが、今回の伯爵夫人のほうが一枚上手ですよね」

 まぁオペラの役も現実とかけ離れてますけれども!と朗らかに笑いながら、「オペラではそれでも、酷い運命への憤りや悲しみ、喜び……といった感情そのものは共感できます。それがオペレッタになると、普通なら踏むであろう感情の段階を飛び越えていく(笑)。特にこの『ウィーン気質』は、喜怒哀楽が近しく感じられる『メリー・ウィドウ』や『こうもり』と比べても、まるごと別世界に突き抜けたような陽気さです。今回の伯爵夫人は、自分自身とはまったく違う役ではありますが(笑)とてもチャーミングで、常に前向きでいる素敵な女性だなぁと思います」

 シュトラウス2世の名作傑作を惜しみなく豪奢に織り上げたなかに、底抜けの明るさが響く。

「芝居が際だつだけでなく素晴らしい歌があってこその二期会オペレッタだと思いますから、その伝統を引き継ぐことも大切だと思っていますし‥‥なにしろオペレッタは、一人のお客様がくすっと小さく笑ったのがたちまち客席中に広がって、どっと舞台に押し寄せる瞬間があります。ひととき日常を離れてお客様に心から楽しんで頂けるよう、この伯爵夫人を演じたいと思います。」

 浮気もあやまちもすべてが〈ウィーン気質〉と楽しく笑い飛ばされる独特のハイテンション、デビュー期にオペレッタの洗礼を受けた澤畑の、成熟した陽気さ全開を楽しみにしたい。

澤畑恵美(さわはた えみ) ソプラノ

文化庁オペラ研修所修了。第58回日本音楽コンクール声楽部門第1位(同時に福沢賞・木下賞・松下賞)。第21回ジロー・オペラ賞。文化庁派遣芸術家在外研修員としてミラノにて研鑽を積む。二期会『フィガロの結婚』スザンナでデビュー。97年新国立劇場開場記念『建・TAKERU』春乃、98年『アラベッラ』ズデンカ、2000年『真夏の夜の夢』ヘレナ、新国『魔笛』パミーナ、01年『こうもり』アデーレを演じる。02年『椿姫』ヴィオレッタ(09年宮本亜門演出でも同役)、03年ケルン市立歌劇場共同制作『ばらの騎士』ゾフィー(08年ホモキ演出も同役)、07年『天国と地獄』ユーリディスの他、錦織健プロデュース・オペラなど。E.インバル、G.アルブレヒト等著名指揮者からの信頼も厚い。CD「にほんのうた」がある。国立音楽大学准教授。

塩田美奈子

二期会公演『椿姫』ヴィオレッタでオペラ主演デビューを飾る前年、1988年に劇団四季ミュージカル『オペラ座の怪人』カルロッタ役でデビューを果たしている。若き歌姫クリスティーヌに対し、既にオペラ座に君臨するプリマドンナの役であるだけに、堂々たる歌唱力と存在感を要求される難役だ。

「プレッシャーで必死でしたし、学生を終えたばかりで何の経験もない身で、パリ・オペラ座の傲慢なプリマドンナを演じるというのはもの凄い難しさで本当に悩みました。ところが演出の浅利慶太先生が“塩田の心の中にも必ず〈傲慢〉の粒はある。そのちょっとした粒を開け広げていけばいいんだ”と仰って下さって、それでとても楽になりました。──さらにもうひとつ、アリアの途中〈過ぎし日の‥‥〉と大変な高音になって歌いにくい箇所があるんですが、声の美しさを優先して〈過ぎしヘェの‥‥〉と発音を変えて歌っていたところ、浅利先生が“お客様に判る日本語で歌いなさい”と。これも私にはとても大きな教えでした。」

 演じること、伝えること……週に10回公演と過酷なデビュー公演だったが、この舞台が塩田に残したものは大きかったに違いない。その気づきが華ひらき、数々の舞台で瑞々しい歌唱力と熱い演技が大好評を博してきた。古典はもちろん、フラメンコを織り込んだ新しいスタイルのモノオペラまで幅広く活躍する彼女が、今回はウィンナ・ワルツやポルカの溢れる陽気をきわめたオペレッタ『ウィーン気質』で、伯爵夫人役を演じる。

 ちなみに塩田のオペレッタ経験は『椿姫』で主役デビューする前、『メリー・ウィドウ』のヴァランシェンヌが最初。

「でもバラバラに動かされている操り人形みたいで……演出家の先生には何をしてもダメをいただき、何を注意されているのかすら判らなかった。ところが、自分が母校に戻って教える立場になって、自分の経験や考えることを言葉で誤解なく伝えなければいけない立場になってみると“そうか、あの時先生はこういうことを注意されていたのか”と本当によく判るようになりました」

 豊かな挑戦を続けて成熟を深めてきたいま、ある意味で日本人離れしたウィンナ・オペレッタの世界で彼女が重要な役を演じるのは楽しみなところ。

「『こうもり』にもそんなところがありますけれど、すべてはシャンパンのせいだったりウィーン気質のせいだったり(笑)この責任転嫁は素晴らしいですよねぇ!」と大笑いする塩田。「でもこれ判るんです。私は16年前にスペインの人と結婚したんですけれども、そこで思うのは、ヨーロッパ人がどんな小さなことでもいかに自分が潔白であるかを常に主張して生きているということです(笑)。日本人はすぐ“すみません”と言ってしまいますが、彼の場合は“残念だ”と自分の責は認めない。そういう人と暮らしていると、“すべてはシャンパンのせい!”と言われると“あぁうちの人と同じだなぁ……”と大団円に丸く収まる理由がなんとなく判る(笑)」

 スペイン国立バレエ団でプリンシパルとして活躍していた舞踊家と結婚したことがきっかけで、スペイン音楽にも興味を深めてきた。

「サルスエラをきいて“あっ、これはスペインのオペレッタなんだ!”とすぐにオペラの舞台の合間をぬってマドリッドの先生のもとに通い始めたんですが、サルスエラってアンコールを要求する拍手がノリのいい3拍子でびっくりしました(笑)。オペラを演っているとヨーロッパ文化が近いような気もするのですが、暮らすにつれて全く文化が違うことに気づく日々でしたね……。ワルツの3拍子のリズムの取り方ひとつとっても日本人のものとは全然違うアクセント感がありますよね」

 多彩な文化との出逢い──その蓄積が演技を広げる。ウィーン貴族文化の爛熟を明るく笑うオペレッタで、塩田がどんな伯爵夫人を魅せてくれるか、楽しみだ。

塩田美奈子(しおだ みなこ) ソプラノ

文化庁オペラ研修所修了。第19回イタリア声楽コンコルソ第1位シエナ大賞。91年度アリオン賞、ジロー・オペラ賞新人賞、五島記念文化賞オペラ新人賞。1989年、二期会『椿姫』ヴィオレッタでオペラ・デビューし、『リゴレット』ジルダ、『ラ・ボエーム』ミミ、ムゼッタ、オペレッタ『メリー・ウィドウ』ハンナ、ヴァランシェンヌ、『こうもり』アデーレ等を演じる。新国立劇場には2002年『忠臣蔵』、2008年『ラ・ボエーム』等に出演。佐渡裕プロデュース『メリー・ウィドウ』ハンナ、2013年二期会『こうもり』ロザリンデを演じ、高い評価を得る。CD「恋のアランフェス 塩田美奈子ベスト・セレクション」他。スペイン歌曲やサルスエラの研究発表にも力を注ぐ。二期会スペイン音楽研究会代表。国立音楽大学講師。桐朋学園大学講師(スペイン音楽)。