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オペラを楽しむ

世界の架け橋に、マエストロ準・メルクル、
モーツァルトの『イドメネオ』で二期会デビュー

文=池田卓夫

© Christiane Höhne

「一緒に働けば働くほど、
日本の芸術文化への理解が深まります」

 2001年から04年にかけ、新国立劇場のワーグナー『ニーベルングの指環』4部作(キース・ウォーナー演出)の初演指揮を委ねられ、準・メルクルは日本でも「オペラのマエストロ」の評価を固めた。ドイツ人ヴァイオリニストを父、日本人ピアニストを母にミュンヘンで生まれ育ち、1998年4月、サントリーホールでNHK 交響楽団を指揮して日本にデビュー。2000年にはウィーン国立歌劇場日本公演で『メリー・ウィドウ』、08年にはドレスデン国立歌劇場日本公演で『タンホイザー』を指揮したが、日本のオーケストラ(『ラインの黄金』『ワルキューレ』が東京フィルハーモニー交響楽団、『ジークフリート』『神々の黄昏』がN 響)とともにピットへ入ったのは、「トーキョー・リングが初めてだった」と振り返る。
 2001年はメルクルと二期会の歌手たちとの出会いの年でもあった。1月のN響定期、ヘンツェの「ヴィーナスとアドニス」を田中珉演出のセミステージ形式で指揮した際、当時の若手歌手のアンサンブル「二期会マイスタージンガー」を起用したのが最初。そして同年4月の『ラインの黄金』以降、年に1度のペースで進んだ「リング」のツィクルスは、一貫してダブルキャストが組まれ、欧米一線のワーグナー歌手に長谷川顯、小山由美、蔵野蘭子、菊地美奈ら二期会の歌手が溶け込んだ。「選ばれた二期会の歌手たちは準備もよくできていて、みな素晴らしい水準だった」と、発見の瞬間を語る。

 今年9月、待望の東京二期会オペラ劇場へのデビュー公演に選ばれた作品は、25歳のモーツァルトが作曲した『イドメネオ』(1781)。全部で21作を数えるオペラの12作目に当たり、けた外れのスケールを獲得したオペラ・セリア(喜歌劇=オペラ・ブッファに対する正歌劇の意味)だが、ダ・ポンテ3部作ほどの上演機会には恵まれず、今回が二期会初演となる。キャストは若手中心にダブルで組まれ、全員がメルクルとは初共演。「いずれも大きな可能性を秘めたフレッシュな顔ぶれ。日本にはワーグナーよりも長いモーツァルト・オペラの上演史があり、一定の成果を上げてきているので、全く心配はしていない」と微笑む。
 演出はイタリアの若手で、新国立劇場の『コジ・ファン・トゥッテ』(2011)も手がけたダミアーノ・ミキエレット。メルクルとは初のコラボレーションだ。新演出はオーストリアのアン・デア・ウィーン劇場と二期会の共同制作の形をとる。同劇場との提携は、『イドメネオ』という作品を考える上で、非常に重要な意味を持つ。モーツァルト最後のオペラ、『魔笛』の台本作家として名を残すエマヌエル・シカネーダーが作曲家の死の年、1791年にオーストリア皇帝の許可を受け、1801年に落成したのが、アン・デア・ウィーン劇場なのだ。
 シカネーダーについては「二流の台本作家」のような偏見が長くまかり通っているが、現代ドイツのベテラン演出家ミヒャエル・ハンペによれば「当時のドイツ語圏で最高のシェイクスピア俳優であり、オペラ台本でも演劇に匹敵するドラマが必要なことをモーツァルトに開眼させた功労者」という。メルクルも「『イドメネオ』の1作前の『ツァイーデ』まで古典的オペラ台本の枠内に甘んじていたモーツァルトが一気に演劇並みのドラマ志向へ転じた背景には、シカネーダーとの出会い、そこで授かった勇気が大きく影響しているはずだ」とみる。「後の『後宮よりの逃走』に受け継がれていく、歌とレチタティーヴォをきっちり分けず一体に織り込んでいくテクニック」も『イドメネオ』で獲得したと考える。
 さらに「音楽的にもモーツァルトの転換期を象徴する」と、メルクルは指摘する。オペラ・セリアの形式を厳格に守っているにもかかわらず、すでに最後のセリアに当たる『皇帝ティトの慈悲』を予感させるストーリーの魅力、ありったけの感情、そして『ティト』にはない若いエネルギーの充満が、『イドメネオ』では「奇跡的にバランスしている」。交響曲の分野で「パリ」「リンツ」といった後期の作品群へ差しかかる前に「モーツァルトは先ず、オペラで全く新しい音楽の語法を手に入れた」とするのが、メルクルの『イドメネオ』観である。
 日本では概して、セリアよりブッファの人気が高い。だが『イドメネオ』は「偉大な父でクレタ王のイドメネオと息子イダマンテの葛藤を軸に展開する。モーツァルトと父レオポルドの関係が二重写しになることもしばしばで、日本の観客にも理解しやすい物語なのではないか」と、メルクルは期待する。
 オーケストラは東京交響楽団。奇しくもハンブルク州立歌劇場と二期会の共同制作で、ペーター・コンヴィチュニーが演出した2006 年の『皇帝ティトの慈悲』でも当時の音楽監督、ユベール・スダーンの指揮で新国立劇場のピットに入っていた。東響もメルクルとは初共演だが、「2年前にスダーンさんが指揮するモーツァルトのコンサートを聴衆として聴き、とても高いレベルの演奏に感銘を受けた」。東京フィル、N 響だけでなく水戸室内管弦楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団などの指揮台にも立ってきた今、メルクルは「日本のオーケストラが没個性とか、欧米に劣後するといった指摘は偏見でしかないことが、よくわかった」という。「東京のオーケストラそれぞれが異なるキャラクターを備え、ウィーンやベルリンなどのトップクラスを別とすれば、ヨーロッパの中堅クラスより機能的に高い位置にある」とも断言する。ただ「東京は世界の重要都市なのだから、優れたオーケストラにふさわしい指揮者をもっと慎重に選び、招かなければいけない」。オペラ指揮者としての名声を確立した新国立劇場だが、ここ10年は多忙もあって足が遠のいていた。「舞台機構、音響、スタッフのいずれにおいても最高のオペラハウスなので、いつかは戻りたかった」と打ち明ける。『イドメネオ』の公演会場は同劇場のオペラパレス。二期会主催ではあっても「初台のピット」のメルクルが『神々の黄昏』以来10年ぶりに復活する。

 母の国、日本で30代終わりに始めた客演指揮のキャリアも16シーズン目。「私の主眼は音楽に限らず日本の文化、芸術、宗教、精神性など一つ一つの柱をじっくり見つめ、日本人と長く一緒に働きながら、認識を深めていくことにある」。日本の外では「日本人の作曲家、演奏家を積極的に紹介する架け橋になろう」と努めている。欧米のオーケストラを指揮する際は武満徹や細川俊夫らの作品をできるだけプログラムに入れ「楽員にも日本の音楽、文化を実践の場で面白く学んでもらう」一方、児玉桃(ピアノ)や五嶋みどり(ヴァイオリン)ら日本人ソリストも積極的に起用している。願わくは、日本の歌手もその輪に加えてもらいたいものだ。ウィーン国立歌劇場専属歌手を10シーズン務め、昨年秋に帰国した甲斐栄次郎ら「国際舞台で活躍した歌手たちが日本で教え、優秀な人材を多く送り込んでくれることにも期待したい」と最後は球を投げ返されてしまい、とんだヤブヘビだった。

 もし『イドメネオ』が大成功に終わり、二期会から次のオファーをいただくとしたら、何を指揮したいか?「R・シュトラウスの諸作か、ドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』かな」。これは即答だった。ミュンヒナー(ミュンヘン人)としてのシュトラウスへの共感、フランスのリヨン国立管弦楽団の音楽監督在任中にNAXOSレーベルへドビュッシーの管弦楽曲全集を録音した自負。いずれにしても、自家薬籠中のレパートリーでの再登場を願わずにはいられない。
(聞き手は音楽ジャーナリスト、池田卓夫)

Jun Märkl 準・メルクル

1959年ミュンヘン生まれ。同世代の中でも最も人気のある指揮者の一人。ハノーファー音楽院を経て、チェリビダッケに学び、指揮者としての考え方について決定的な影響を受ける。グスタフ・マイヤー、レナード・バーンスタイン、小澤征爾らに師事。ザールラント州立劇場の音楽監督を経て、1993年ウィーン国立歌劇場にデビュー、『トスカ』で圧倒的な成功を収める。その後次々にオペラ指揮者としてのキャリアを築く。日本には1997年N響を指揮してデビュー、定期的に客演を続ける。2001年からの新国立劇場『ニーベルングの指環』チクルス(通称:トーキョー・リング)の圧倒的な成功は、準・メルクルの名を日本の音楽界に強く印象づけた。2007年よりライプツィヒ放送交響楽団の首席指揮者・芸術監督を務めた。


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