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『蝶々夫人』キャストインタビュー

腰越満美・木下美穂子

  • 文=山崎浩太郎
  • 写真=広瀬克昭

腰越満美

「死ぬ気で生きる美」を、歌で聴かせたい

─これまで、蝶々夫人はどれくらい歌われていますか。

 初めて歌ったのは1999年、広島です。急遽代役で頼まれ、公演まであとひと月という時期で、当時、アリア〈ある晴れた日〉を歌ったことがあるくらいでしたが、いつかやりたいと思っていましたので、約1週間でスコアを読んで、暗譜しました。そのあと、中米のコスタリカで数回。今度の公演が4度目になります。
 初めて歌ったときは、とにかく無我夢中でした。栗山先生にはオペラ研修所時代から、動き一つ手の扱いかた一つ、丁寧に所作を教えていただきました。10年前の二期会公演も栗山先生の要求に応えられるようにというだけで精一杯。蝶々さんの役は、一度舞台に出たら引っ込めないので、最後まで声を保たせなくてはならない。思っていた以上に過酷で、やってみないとわからないものでした。真ん中あたり、つまり二幕の〈花の二重唱〉あたりまでとても大変で、最後はほんとに瀕死(笑)。
 蝶々さんは15歳という設定ですが、歌手としてはある程度年齢がいってから、できる役なのだと思います。イタリアに留学したときには、かなり重い役なので40歳まで歌ってはいけないと、先生に言われました。実際には、30代前半で歌ってしまったのですが(笑)、まだまだこれからだと思いました。

─日本のオペラも得意とされる腰越さんにとって、この作品はどのように感じられますか。

 日本の作曲家によるオペラと違うのは、曲があくまでヨーロッパのものだということです。日本人の役でありながら、本当の日本人のようには演じられない。たとえば、神様への祈り。日本人は手を合わせて、目を閉じて祈るけれど、ヨーロッパでは「オー、ディーオ!」と、天を仰ぎます。日本のオペラを日本のお客様の前で歌うときには、日本人として動けば、所作でその内面の感情が伝わる。
 この作品では、そうはいきません。しかし、役柄は日本人。内に秘めた思いを、外向きに表現しなければならない。プッチーニは、ヴェリズモ的で感情が激しいですが、感情を入れすぎて声に破綻がきても困ります。そのバランスを考えなければならない。
 栗山先生は武士の娘であることを強調されていました。『葉隠』的な美学という意味でしょうか。死ぬことが美学なのではなく、死ぬ気で生き抜くことの美学。死をすぐそこに意識しながら生きる、そしてイタリアでよく使われる「アヴァンティ、アヴァンティ(前へ、前へ)」という言葉のように、あくまで明るく前に進もうとする。蝶々夫人はそうして生きた人だと思います。
 蝶々夫人は、プッチーニの中でも好きな役柄ですが、プッチーニの描く女性に共通しているのは、激しく強い女性。ミミなどは一見清楚でおとなしそうですが、かなり策士だと思います(笑)。役柄的にはムゼッタのほうが正直に生きていて好きです。また、『蝶々夫人』は、生涯来日したことがなかったプッチーニが、日本人が昔から持っていた道徳心や、誇りなど、よく研究しあらわしてくれていると思います。

─最後に、4月の公演での抱負を。

 音楽がそれだけで涙が出るような、とても素敵なものなので、素直に感情移入していただけるように、前よりも進化した歌をお聞かせできればと思います。

腰越満美(こしごえ まみ) ソプラノ
東京コンセルヴァトアール尚美ディプロマコース修了。文化庁オペラ研修所修了。文化庁在外研修員として渡伊。フェッルッチョ・タリアヴィーニ国際コンクール第1位。二期会オペラでは『ドン・ジョヴァンニ』ドンナ・エルヴィーラ、『フィガロの結婚』伯爵夫人をはじめ、オペレッタ『メリー・ウィドー』ハンナ、『天国と地獄』ユーリディスや、日本のオペラも得意とし、新国立劇場『鹿鳴館』、『夕鶴』つう等に出演。05年中米・コスタリカでの『蝶々夫人』タイトルロールで熱狂的な喝采を浴び、地元各紙から絶賛を博した。2013年2月に二期会『こうもり』、新国立劇場『夜叉が池』(世界初演)、日生劇場『リア』(日本初演)などに出演。
二期会会員

木下美穂子

声による表現と日本的な美しい所作で、
大好きな役を演じ切ります

─栗山昌良演出で、初めて歌われたときのことは、いかがでしたか。

 栗山先生の演出で初めて歌ったのは、2003年の二期会デビューのときでした。2006年にも歌い、今回が3回目になります。
蝶々夫人の役はこれまで、海外も含めると50回くらい歌っているのですが、栗山(昌良)先生の演出はいちばん好きなものなので、とても嬉しく、楽しみにしています。
 その魅力は、美しい、とにかく美しい、ということです。栗山先生の演出は所作も、着物もカツラも、みな美しい。着付けもきちんとしているので動くのは大変で、かなり体力も消耗します。前回は真夏の公演でしたので特に。今回は4月の公演なので、本番のときには桜が終っていますが、稽古のときには見られそうですから、それも楽しみです。いつも桜の季節は海外にいて、見られないことが多いのです。

─海外でこのオペラを歌われるときは、どんな雰囲気ですか。

 初めてこの役を歌ったのは二期会にデビューする1年前、イタリアでのことでした。そのあとベオグラードでも歌い、日本で歌ったのが3回目ということになります。
 それ以来、海外でもたくさん歌っていますが、本当にいろいろな舞台があるんですよ。日本髪の鬘(かつら)も着物も、あちらにないものですし(笑)。初めのうちは、文化的な誤解が許せなくて、いちいち指摘していたのですが、あるときから、もういいや、と。靴のままで畳の上を歩くのがおかしくても、靴を脱いでいたら音楽に間に合わない。しかたないので、自分でやれることはやる、そう決めました。
 その意味では、海外ではかえってトラディッショナルなものよりも、現代演出の方がいいです、ウソが入りませんから。カナダのバンクーバーで歌ったジュン・カネコ(金子潤)さんの舞台は、左右の違うドットのカラフルな衣装で、どこの国ともいつの時代ともつかない、ポップな舞台でした。着物では所作としてハシタナくなるのでできないことが、その衣装ならできる。自由に、可能性がひろがる。こういった表現法もこれはこれで、好きな舞台です。
 話がそれますが、アメリカの公演だとどこへ行っても、ピンカートンのカーテンコールにブーイングが出るんです。初めて聞いたときは、よく歌っていたのにどうして?とびっくりしました。ところが、歌手に対してではなくて、ピンカートンという役自体が、同じアメリカ人には許せないんですね。だから歌がよかったときには、ブーをいいながら盛大に拍手したり(笑)。歌手の方も、なんだよう、とポーズでそれにこたえたり。日本でもイタリアでもない、アメリカだけの現象です。

─最後に、4月の公演への抱負を。

 好きな役ですが、とにかく大変で、体力勝負になります。いちど舞台に上がったら、下りるのは最後に死んだとき。コントロールして歌わないと、パッションだけではもちません。といって、力を抜いたりしてはダメ。そうしたことが、回数を歌ってわかってきました。自分の声域にはぴったりで、リリコである方が重い声よりも可憐さを表現しやすい。でも、あくまでイタリアオペラ、プッチーニのオペラですから、声で表現できなければいけない。そこに、栗山先生による日本的な美しい所作を合わせて、双方の長所を引きだしたいと思います。

木下美穂子(きのした みほこ) ソプラノ
武蔵野音楽大学卒業。同大学院修了。日本音楽コンクール第1位、日伊声楽コンコルソ第1位、イタリア声楽コンコルソ・シエナ大賞を同一年度で受賞。05年度新日鉄音楽賞「フレッシュアーティスト」賞受賞。第16回出光音楽賞受賞。海外でも受賞歴多数。『蝶々夫人』での繊細かつドラマティックな表現が高く評価され、『イル・トロヴァトーレ』『椿姫』などのヒロインを次々と演じ、絶賛を博し、完璧なヴェルディ・ヴォイスと評される。『蝶々夫人』は、2010年バンクーバー・オペラ(カナダデビュー)、2011年ロンドン・ロイヤルアルバートホール、ソフィア国立歌劇場野外劇場、ピサ・ヴェルディ歌劇場など。2013年7月東京二期会『ホフマン物語』アントニア。アメリカ在住。
二期会会員



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