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オペラを楽しむ

オペラ『ドン・カルロ』と
原作・シラーの戯曲との違いについて

文=岩下眞好

 ヴェルディの『ドン・カルロ』の原作がシラーの戯曲「スペインの王子ドン・カルロス」であることはよく知られている。これに基づいて、ジョゼフ・メリとカミーユ・デュ・ロークルがパリ・オペラ座での初演のためのフランス語台本をヴェルディのために執筆した。これはまったく間違いのない事実なのだが、原作とオペラとを比較してみると疑問が沸いてくる。
 原作にない場面がオペラに相当多くあるのだ。原作をオペラにふさわしく削ぎ落として台本を作成するのが普通だから、逆ならば容易に納得できるのだが、この場合には、誰かが場面やエピソードを追加したということになる。オペラは先帝カルロ五世の亡霊が現れてカルロを連れ去るという原作にない出来事で全篇が結ばれるし、宗教裁判で死刑が宣告された新教徒たちが火あぶりに処せられる場面(全5幕版では第3幕第2場)も原作にはない。この場面はオペラのなかでも最大の見せ場のひとつであり、父フィリッポ二世と王子カルロが直接対決するというドラマ上の一大緊迫場面でもあるから、原作への重大な加筆と言うべきだろう。
 また、全5幕版の第1幕となる冬のフォンテンブローの森の場面もシラーの原作にはない。この場面によってカルロとエリザベッタとの悲劇的運命が物語的に明快に示されることが全5幕版の大きな長所であるとされている。そのとおりであると思う。だが一方こうしてみると、この幕を1884年のミラノでの上演でヴェルディが削除したのは(全4幕ミラノ版)、じつはシラーの原作への回帰であったとも言えなくないのである。

ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー
Johann Christoph Friedrich von Schiller
(1759年11月10日-1805年5月9日)

フェリペ2世
Felipe II
(1527年5月21日-1598年9月13日)
Antonis Mor 画

カルロ5世
Karl V.
(1500年2月24日-1558年9月21日)
Tiziano Vecellio 画

 二つの大きな場面がシラーの原作に存在しないとなると、オペラ『ドン・カルロ』の原作者はシラーだと単純に言い切ってしまうのには、いささか躊躇せざるをえなくなる。このことをめぐって、1977年、マルク・クレムールというフランスの学者が興味深い問題提起を行なった。『ドン・カルロ』にはシラーの戯曲のほかにも原作と呼べるものがさらにあるというのだ。それは、1846年にパリで初演された芝居「スペイン王フィリップ二世」というもので、作者はエジャン・コルモンという人。「シラーを真似た5幕の戯曲」という副題をもつ(この副題からコルモンがシラーの戯曲を充分に読み込んでいたことが推測できる)。ヴェルディの台本作者メリは、このコルモンの作品を知っていたはずで、火刑の場面のほか、ポーザの死後にエボリ公女がカルロを救おうとする同じくシラーの原作にはない場面なども、この戯曲から取られたものであろうというのである。また、コルモンの芝居には「アルカラの学生」というプロローグがあり、それは、若きカルロとエリザベッタがフランスの庭園で出会い愛し合うものの、間もなく結婚相手がカルロの父と決まって永遠に引き裂かれることになる物語であるという。言うまでもなく、これはオペラ5幕版のフォンテンブローの場面と酷似している。
 ちなみに、シラーの戯曲の第1幕第2場でカルロがポーザと久し振りに対面して若かりし頃を思い出す場面でも、この両者が友情を深め、新しいスペインをつくろうという理想を共有したのが「アルカラの学生時代」であったと語られる。さらにシラーは、自作をみずから解説した文章のなかで、ふたりのこのアルカラの学生時代に読者の目を向けさせている。「ふたりが共有できるのは若き日の勉学時代の追憶でした。感じ方の一致、偉大なものと美しいものへの共通の愛好、真実と自由と徳への共通の感激が、当時、ふたりを結び合わせていたのです」(シラー「ドン・カルロスについての手紙」第3信)。
 シラーにとっても「アルカラの学生時代」は『ドン・カルロ』の隠れたキーワードであったのだ。もっとも、シラーは、フォンテンブローでの出会いについては全く言及していない。「アルカラ」と「フォンテンブロー」の結び付きは、シラーではなくコルモンの発想であったと考えてよさそうだ。
 このあたりから、シラーの原作と、コルモンの戯曲から場面を取り入れた(とクレムールの研究が述べる)オペラ台本との視点の相違が見えてくる。シラーは、数奇な運命に弄ばれる宮廷恋愛悲劇という枠を超えて、作品を、人間の自由と国家の在り方についてのみずからの理想を託した壮大な歴史的悲劇にしようとした。いっぽう、メリとデュ・ロークルのオペラ台本は、オペラの常道である恋愛を縦糸に据えて、第1幕のフォンテンブローでの出会いの場面から第5幕の天上での再会を誓い合う別離の場面まで大きなアーチをかける。その半面、シラーの理想や政治理念は後退した。とは言え、それが無視されているのではなく、王とポーザの二重唱(全5幕版第2幕第2場)はじめ随所に散りばめられている。イタリア独立の理念に燃え、人間愛にあふれたヴェルディのためのオペラ台本としては当然と言えよう。しかも、理想主義が剥き出しになりすぎない台本は、シラーを尊敬してやまないものの、シラーが「あまりにも善良で、あまりにも素朴で理想主義的にすぎる」とも感じていたヴェルディにとっては願ったり叶ったりだったのではなかろうか。

エリザベート・ド・ヴァロワ
E´lisabeth de Valois
(1545年4月2日-1568年10月3日)
Juan Pantoja de la Cruz 画

ドン・カルロス・デ・アウストリア
Don Carlos de Austria
(1545年7月8日-1568年7月24日)
Alonso Sa´nchez Coello 画

 さて最後に、今まで述べたのとは逆に、シラーの戯曲にありながらオペラでは扱われていない出来事についても若干触れておこう。それは、先に述べたように、原作をオペラ台本へと書き換える作業のなかでは当然に起こりうることだ。だが、たとえば、少年時代のポーザが羽根突きの球をボヘミア王女に当ててしまったときのエピソード(原作第1幕第2場でのカルロの回想)などは、オペラ台本のどこかに生かされていたらよかったのにと思われぬでもない。故意の悪戯と考えられて少年たちが王の詮議を受けるが、王子は自分がやったと申し出て大好きなポーザを救い、父王の過酷な折檻を甘んじて受けたというのだ。ポーザは、いつかきっと恩返しすることをカルロに誓う。これが、カルロの身代わりになってポーザが死ぬ感動的な場面の伏線となって、シラーの戯曲では、物語にいっそうの深い奥行きを与えているのである。もちろん、物語と音楽とが有機的に結び合うことを念頭に置くオペラ台本のなかに、芝居のなかで回想として長々と語られるエピソードを違和感なく取り込むのは困難だったのであろうこともよく理解できるが。


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