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オペラを楽しむ

壮大なスケールで描き出される歴史絵巻
『ドン・カルロ』の深みへ

文=堀内 修

 何が起こるかわからない。今日は政治をめぐるオペラだったのに、翌日は愛をめぐるオペラになる。『ドン・カルロ』は上演によって異なる顔を見せる。
 主役だっていつも同じとは限らない。今日はロドリーゴ、明日はフィリッポ、明後日はエリザベッタ、いや、エボリだって主役になる機会をうかがっている。
 よくわかった物語と、よくわかった音楽を確認するために聴くなら、『ドン・カルロ』は向いていない。ヴェルディの人気オペラは、いつも同じ上演になるわけではないからだ。
 昔は『アイーダ』こそ傑作で、『ドン・カルロ』はそれに至る過程だと思われていた。いまは違う。ヴェルディの最も奥深いオペラで、何回聴いても関心が増すばかりの傑作は、こちらだと信じられるようになっている。
 パリでフランス語による5幕のオペラとして初演され、ヴェルディ自身が何度も改訂したので、このオペラにはいくつもの版がある。イタリア語4幕版が一般的だったが、最近はイタリア語5幕版もよく上演される。

Yonghoon Lee(ドン・カルロ) Annalisa Raspagliosi(エリザベッタ)
同盟のためにスペイン王フィリッポ2世の妃となったエリザベッタは、王子ドン・カルロの許嫁であった。ドン・カルロの激しい愛の告白を受け、エリザベッタは運命を嘆く。

MichaelaSchuster(エボリ公女)
〈ヴェールの歌〉(2幕)宮廷の女官に囲まれ、華やかに歌うエボリ公女。オペラでは美貌の持ち主として、また激しい性格の持ち主として描かれる。

 5幕版だと最初にドン・カルロとエリザベッタが出会い、愛を得たかと思ったらそれを失ってしまう、という場面がある。愛のオペラとしての性格が強まることになる。
 確かにスペインの王子カルロと、フランスの王女エリザベッタの悲恋は、オペラ『ドン・カルロ』の大きな柱になっている。
 第2幕の、カルロの父フィリッポ王の妃となったエリザベッタに、カルロが思い余って言い寄る二重唱が、愛のオペラとしての『ドン・カルロ』の、中心になる。愛しながらも、王妃エリザベッタは拒絶する。
 ポーサ侯爵ロドリーゴに焦点が合い、友情と政治のオペラになることだってある。篤い友情で結ばれた2人の青年は、理想を追い求めている。ロドリーゴが実現しようとしているのは、圧政にあえぐフランドルの自由だ。それは危険な思想でもある。政治の理想を求める青年と、義母への愛という秘密を抱えた王子は、第2幕の二重唱で、固く友情を誓い合う。
 しかし青年の夢はかなわない。ロドリーゴは撃たれ、友の腕の中で息絶える。もちろん王子カルロの夢もかなわずに終わる。
 青年たちの夢を打ち砕くのは、王子の父、スペイン王フィリッポだ。だが王は悪役ではない。スペインとフランスの平和は、当時の世界平和なのだけれど、それを求めてフランスの王女と結婚した王は、王妃の愛を得られない。フランドルを弾圧するのは、旧教と新教の対立で旧教側に立つ王の、当然の政策で、選択の余地などなかった。
 『ドン・カルロ』は時に、王者の苦悩のオペラになる。第4幕でフィリッポ王が歌う〈ひとり寂しく眠ろう〉で、その苦悩がオペラを暗く染める。その後すぐ宗教裁判長が現れて王を責めるので、苦悩は怒りにもなる。さらに王妃が想うのは王子であると露見するのだから、苦しみは深まるばかり。
 王や王妃の苦悩とは無縁のはずで、第2幕で明るい〈ヴェールの歌〉を歌うエボリ公女だって、このオペラの深い闇に引き入れられる。王子を想う恋心は、女の誇りを傷つけられる結果となり、復讐に走ったエボリは、その傷を広げてしまうからだ。
 そう、誰もが夢を抱き、誰もその夢を実現できない。誰の苦悩が舞台を支配するのか、上演によって違うのだけれど、『ドン・カルロ』が実現できない夢の、苦悩のオペラであるのは変わらない。
 『ドン・カルロ』は、イタリアオペラの王者ヴェルディが到達した、深みなのだ。
 宮廷を舞台とした絢爛たる歴史絵巻、という外見を持っているにもかかわらず、最近まで『アイーダ』や『椿姫』ほどの人気が得られなかったのは、多様性と深さのせいなのではないだろうか。
 円熟の極みにあったヴェルディは、流麗なアリアでオペラを飾らなかった。終幕でエリザベッタが歌う長大なアリアは、深い悲しみで満たされている。それでも、いま『ドン・カルロ』は、ヴェルディの代表作として人気を勝ち得ようとしている。生誕200年の年、『ドン・カルロ』はさらに高みへ、いや、深みへと向かいそうだ。人は美しい歌を聴く快楽を捨てはしないが、そのためだけに劇場に行くほどおおらかではなくなった。人は深い悲しみと苦悩を求めて、『ドン・カルロ』を聴く。
 シェイクスピア好きだったヴェルディは、いつのまにか実現させていたのだ。『リア王』や『ハムレット』に劣らない悲しみのドラマを。

 『運命の力』まで作り終えた大家ヴェルディは、パリ・オペラ座のために5幕のオペラを作曲した。1867年に初演されている。
 スペインの王子ドン・カルロは、婚約者であったフランスの王女エリザベッタに会い、恋をする。しかしエリザベッタの相手はカルロの父、スペイン王フィリッポとなった。カルロは義理の母となったエリザベッタへの想いを捨てきれない。エリザベッタも想いは同じだが、運命は変えられない。
 秘密を知ったカルロの友ロドリーゴは、圧政に苦しむフランドルの新教徒たちを救う協力を、王子に求める。
 王は宗教裁判長に言われなくても、政策を変えるわけにはいかない。だが王は青年たちに突き上げられ、王妃からは愛されない。
 やがて破局が訪れる。ロドリーゴは殺され、カルロは罪を追求される。王妃は孤立を深める。
 オペラ『ドン・カルロ』は、とっくに亡くなったはずの先王の声に導かれ、謎めいた結末を迎える。
 タイトルになっているのはスペインの王子ドン・カルロで、テノールが歌う。
 フランス、ヴァロワ家出身のスペイン王妃エリザベッタはソプラノだ。
 スペイン王でカルロの父、エリザベッタの夫にあたるのが、ハプスブルク家のフィリッポ2世で、バスが歌う。
 カルロの親友ロドリーゴは、バリトンが歌う。ポーサ侯爵だが第3幕で公爵になる。
 宮廷に仕える美女、エボリ公女はメゾソプラノが歌う。低いバスの声で歌われるのは宗教裁判長だ。
 16世紀、フランスのフォンテンブローで幕を開けたオペラは、スペインの宮廷で進行する。

エティエンヌ・カルジャ(英語版)によるヴェルディの肖像。1867年
Picture of Giuseppe Verdi. taken by Carjat, Etienne
(1828-1906)


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