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オペラを楽しむ

知っているようで意外と知らない
『マクベス』ってどんな作品?
権力という“幻”に翻弄された男女の悲劇

文=小田島久恵
写真=いずれも、2011年12月ドイツ・ライプツィヒ歌劇場『マクベス』演出:ペーター・コンヴィチュニー
©Andreas Birkigt


16〜17世紀にウィリアム・シェイクスピアによって執筆された「マクベス」。本国イギリスだけにとどまらず、世界中で今なお上演される悲劇の傑作だ。史実を基に描かれたこの作品は、日本の現代の優れたクリエイターたちの創作意欲を刺激し、新たな解釈による舞台も多く生み出されている。しかしこの作品が、人間のどの部分に着目され、どのようなストーリーとして描かれているのか、実は詳しく知らないという方も意外と多いのではないだろうか。5月公演を手がける演出家ペーター・コンヴィチュニーは、オーストリアのグラーツで行われた同作品プレミエ上演の際に“コンヴィチュニーが手がけたプロダクションの中でも最高傑作”と賞賛された。オペラはもとより原作も含めて「マクベス」という作品について少し理解を深めた上で、5月に迫る公演に臨みたい。

 夫婦とは、世にも恐ろしい運命共同体……シェイクスピアの『マクベス』を観るたびそう想い、溜め息をついてしまいます。元々は王に忠実な将軍であったマクベスが、魔女たちから「いずれ王になる」との予言を受け、王座への執着に取り憑かれた妻と共謀して、自分の城に泊まったスコットランド王を殺し、続いて友人である将軍バンコーを殺す。もはや目に映る他人すべてが敵に見え、妄執と死者の亡霊に苛まれながら、かつて自分の手で妻子を殺した領主マクダフに殺されてしまう……。これが物語のあらすじですが、シェイクスピアの有名な四大悲劇―――「リア王」「オセロ」「ハムレット」の中でも、特に破滅的な色彩が強いストーリーとも言えましょう。権力への野心に目がくらみ、次から次へと犯罪の上塗りをしていく夫。それを影で操っているのは、毒蛇のような悪妻= マクベス夫人です。夫の出世を望むのは世の妻の常とはいえ、殺人が絡むとなると穏やかではありません。“目的のためなら手段を選ばぬ”。その度を越した野望は、やがてマクベス夫人に狂気をもたらし、“洗っても、洗っても血に汚れたままの手”という悪夢にとりつかれてしまいます。オペラでは有名な〈夢遊病のアリア〉のシーンですね。

 欲に憑かれて夫をそそのかす妻、という設定は、洋の東西を超えた普遍性があるのかも知れません。日本では歌舞伎役者の市川右近さんの主演によって、能と歌舞伎の様式に移し替えられた「マクベス」(演出・粟田芳宏)が上演されています。さらに有名な日本のマクベスといえば、1980年の「NINAGAWA マクベス」も忘れてはなりません。蜷川幸雄さんによる独創的な演出では、日本の象徴である“桜”が示唆的に登場し、海外でも高く評価されたシェイクスピア劇として歴史に名を刻んでいます。

 実際のマクベスは王位についた後、17年間優秀な統治を行なったそうですが、ヴェルディは歴史よりも公平なオペラを書いたと言えます。シェイクスピアの原作にはない第4幕の〈虐げられた祖国よ〉(祖国を離れたスコットランド人たちの合唱)を創作し、国民に大きなダメージを与えたマクベスとその妻は、正義がたたえられるためにも死すべき存在であることが強調されるのです。原作には存在しないこのシーンを挿入することで、シェイクスピアの物語がより深みを増していることは明らかで、『マクベス』作品の成功が、後に書かれた『オテロ』『ファルスタッフ』(ともにシェイクスピアが原作)に取り組むときの自信にもなったのではないでしょうか。権力の象徴たる王冠が、まるでお菓子の中の陶器のオモチャみたいに見えるのは、ヴェルディが権力をそのように捉えていたからでしょう。いざ手中にしてみると、空疎で空虚で苦痛でしかない。その“幻”を追って、マクベスも夫人も運命の崖を転げ落ちていくのです。


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