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オペラを楽しむ

ヴェルディ生誕200周年に寄せて
〜『椿姫』『マクベス』の魅力〜

文=加藤 浩子


『椿姫』の魅力〜
オペラ史上初の「泣けるオペラ」
「オペラ史上初の《泣けるオペラ》」〜『椿姫』(原題は『ラ・トラヴィアータ(=道を外れた女)』)にキャッチをつけろと言われたら、そう書く。イタリアオペラの歴史においてオペラをドラマにしたヴェルディの、ひとつのターニングポイントになった作品だからだ。オペラが「泣ける」=登場人物に感情移入する=ものになるのはヴェルディからであり、そこがそれ以前の、たとえば「声」の快楽を追求するロッシーニのオペラとの最大の違いである。どこをとっても美しく口ずさめる旋律は、イタリア人作曲家の血がなせる業だが、『椿姫』の場合はそれがすべてドラマと結びついている点で画期的なのである。ロッシーニまでのオペラでは、おそらく聴き手は歌手のよしあしで盛り上がる。だが『椿姫』の場合は、歌手に加えて登場人物の性格や行動が話題になる。オペラは歌手の歌合戦から、作曲家の作品になったのだ。

 それを示す好例が、今日ではほぼ否定されている「ヴィオレッタ役を歌った歌手が太っていたために、初演は失敗した」という伝説だろう。『椿姫』は初演の際、初日を含めて9回上演されているから、失敗ではまったくない。が、ヴェルディ本人が「失敗」だと騒ぎ、「歌手のせいなのか私のせいなのか時が判断するでしょう」という名せりふを吐いたために、『椿姫』は歌手のせいで失敗した、という俗説が生まれた。だが批評では、初演でヴィオレッタを歌った歌手は褒められている。ただヴェルディが彼女を気に入らず、変えてほしいと再三望んだのにかなわなかった、その憤懣(ふんまん)が、こんな形で出たのである。ヴェルディはそれまでの作曲家のように役柄を歌手に合わせるのではなく、ヴィオレッタ役にふさわしい歌手を求めた。オペラは、変わったのである。

 理想のヴィオレッタを追い求めたヴェルディが、今回の主役2人を見たら満足するに違いない。声と容姿と存在感、3拍子揃ったプリマだからだ。アントニオッツィの演出によるボローニャ歌劇場のプロダクションは、時代を現代に近づけているが、現地での主役陣も気に入った美しいもの。ドラマへの没入を、助けてくれるに違いない。

3点すべて2010年10月イタリア・ボローニャ歌劇場『ラ・トラヴィアータ』
指揮:パオロ・ベロ 演出:アルフォンソ・アントニオッツィ ©Rocco Casaluci
このプロダクションが2013年3月にびわ湖ホールと神奈川県民ホールで上演されます。協力:ボローニャ歌劇場
詳細は下記リンク先をご覧ください。
『マクベス』
〜オペラの歴史を変えた野心作

「私の父であり保護者であり友人であるあなたに・・・・・・・」『マクベス』を捧げます。・・・・・・」私が書いたオペラのなかで最愛の作品であり、貴方に捧げるにふさわしいからです。・・・・・・」

 心のこもった言葉とともに、ヴェルディは彼の10作目のオペラにあたる『マクベス』を、彼の支援者であり、最初の妻の父でもあったバレッツィに献呈した。『マクベス』が、それまでの彼のオペラのなかで「最愛の作品」だった理由はおそらくシェイクスピアにある。イタリア人には珍しくシェイクスピアを溺愛していたヴェルディが初めて実現したシェイクスピア劇に基づくオペラ、それが『マクベス』だった。

「歌わないで、語ってほしい」「暗く、小さな声で」『マクベス』の上演に際して、ヴェルディが歌手たちに出した要望は、彼らを困惑させたに違いない。美しい声、美しい歌はイタリアオペラの至上命題だったから。けれどヴェルディの考え方は違った。彼は、マクベス夫人の性格を描くために「醜く、くもった声」を求め、マクベス夫妻の恐怖を描くために、「暗い小声」を要求した。『マクベス』はまさに革命だった。

 ヴェルディがドラマティストになったのはシェイクスピアの影響が大きいと思うが、その最初の証拠がここにある。オペラはかぎりなく、演劇に近くなったのだ。

 演劇性の強い『マクベス』は、美しい声の国イタリアより、演劇の国ドイツやシェイクスピアの国イギリスなど、むしろイタリア以外で好まれる。『マクベス』は海外で二桁は観ていると思うが、イタリアで観たのはスカラ座における公演だけ。この10月には大野和士が、首席指揮者を務めるフランスのリヨンで、シーズンのオープニングに『マクベス』の新制作を振り、ドラマに富んだ美しい音楽と、設定をウォールストリートに置き換え、「権力」の移ろいを前面に押し出した演出(イヴォ・ファン・ホーヴェ)で絶賛を博した。シェイクスピア劇だけあって、演出面でいろいろ工夫がこらせるのも人気の理由だろう。ただ一方で演出の主張が過剰になりすぎ、音楽を損ねるパターンに陥りやすい作品でもある。

 その点、今回のコンヴィチュニーのプロダクションは大いに楽しみだ。これまでも、物語の裏側を赤裸裸に描いて同作品の上演史上のエポックメーキングとなった『アイーダ』、シンプルだけれど雄弁な『椿姫』、仕掛けたっぷりの『ドン・カルロ』など、発見に満ちたヴェルディ・プロダクションを次々と送り出してきたコンヴィチュニーにとって、『マクベス』はまさに腕が鳴る作品だったのではないだろうか。写真そのほかで観る限り、コンヴィチュニーの本領が発揮されたスリリングな舞台になっているようだ。とりわけ、物語の狂言回しであり、陰の主役でもある「魔女」の扱いの鮮やかさは要注目。昨年のライプツィヒ音楽界の話題をさらったプロダクションの日本へのお目見えを、心から待ち望んでいる。

3点すべて2011年12月ドイツ・ライプツィヒ歌劇場『マクベス』
指揮:ウルフ・シルマー 演出:ペーター・コンヴィチュニー ©Andreas Birkigt


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