「私の父であり保護者であり友人であるあなたに・・・・・・・」『マクベス』を捧げます。・・・・・・」私が書いたオペラのなかで最愛の作品であり、貴方に捧げるにふさわしいからです。・・・・・・」
心のこもった言葉とともに、ヴェルディは彼の10作目のオペラにあたる『マクベス』を、彼の支援者であり、最初の妻の父でもあったバレッツィに献呈した。『マクベス』が、それまでの彼のオペラのなかで「最愛の作品」だった理由はおそらくシェイクスピアにある。イタリア人には珍しくシェイクスピアを溺愛していたヴェルディが初めて実現したシェイクスピア劇に基づくオペラ、それが『マクベス』だった。
「歌わないで、語ってほしい」「暗く、小さな声で」『マクベス』の上演に際して、ヴェルディが歌手たちに出した要望は、彼らを困惑させたに違いない。美しい声、美しい歌はイタリアオペラの至上命題だったから。けれどヴェルディの考え方は違った。彼は、マクベス夫人の性格を描くために「醜く、くもった声」を求め、マクベス夫妻の恐怖を描くために、「暗い小声」を要求した。『マクベス』はまさに革命だった。
ヴェルディがドラマティストになったのはシェイクスピアの影響が大きいと思うが、その最初の証拠がここにある。オペラはかぎりなく、演劇に近くなったのだ。
演劇性の強い『マクベス』は、美しい声の国イタリアより、演劇の国ドイツやシェイクスピアの国イギリスなど、むしろイタリア以外で好まれる。『マクベス』は海外で二桁は観ていると思うが、イタリアで観たのはスカラ座における公演だけ。この10月には大野和士が、首席指揮者を務めるフランスのリヨンで、シーズンのオープニングに『マクベス』の新制作を振り、ドラマに富んだ美しい音楽と、設定をウォールストリートに置き換え、「権力」の移ろいを前面に押し出した演出(イヴォ・ファン・ホーヴェ)で絶賛を博した。シェイクスピア劇だけあって、演出面でいろいろ工夫がこらせるのも人気の理由だろう。ただ一方で演出の主張が過剰になりすぎ、音楽を損ねるパターンに陥りやすい作品でもある。
その点、今回のコンヴィチュニーのプロダクションは大いに楽しみだ。これまでも、物語の裏側を赤裸裸に描いて同作品の上演史上のエポックメーキングとなった『アイーダ』、シンプルだけれど雄弁な『椿姫』、仕掛けたっぷりの『ドン・カルロ』など、発見に満ちたヴェルディ・プロダクションを次々と送り出してきたコンヴィチュニーにとって、『マクベス』はまさに腕が鳴る作品だったのではないだろうか。写真そのほかで観る限り、コンヴィチュニーの本領が発揮されたスリリングな舞台になっているようだ。とりわけ、物語の狂言回しであり、陰の主役でもある「魔女」の扱いの鮮やかさは要注目。昨年のライプツィヒ音楽界の話題をさらったプロダクションの日本へのお目見えを、心から待ち望んでいる。 |