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オペラを楽しむ

「世の幸は影、世の誉は夢」
~ライマンと『メデア』

文=渡辺 和(音楽ジャーナリスト)

『メデア』世界初演 プログラム表紙
ウィーン国立歌劇場
上の写真は仕事場でのアリベルト・ライマン
Foto von Manu Theobald

◆作曲家は名伴奏者

 日本が誇る伴奏名手小林道夫がその実力を認められたのは、1966年に来日したヘフリガーの伴奏者急病キャンセルで、急遽代理に抜擢されたことがきっかけだった。予定されたピアニストはアリベルト・ライマン(Alibert Reimann 1936年3月4日ベルリン生)。ディートリヒ・フィッシャー=ディスカウやエルンスト・ヘフリガーを筆頭に、ビルギッテ・ファスベンダー、ユリア・ヴァラディ、エリーザベト・グリュンマー等々、蒼々たる歌手とシューベルトからベルク、現代歌曲まで膨大な数のディスクを残すスペシャリストである。二期会と日生劇場が秋に上演する歌劇『メデア』の作曲家ライマンとは、この名伴奏者その人だ。
 ピアニストとして大活躍の60年代から作曲家としても活動、齢76となる現在に至るまでに、無数の歌曲と11の舞台音楽、いくつかの管弦楽作品や室内楽などを発表する。その多くはドイツ語圏を中心に繰り返し演奏されている。例えばグラーツで3年毎に開催される「シューベルト&現代音楽コンクール」では、歌曲部門の曲目リストがライマン作品で埋まる日も珍しくはない。演奏家と作曲家の二足の草鞋を履いた現存音楽家としては、ブーレーズと並ぶビッグネームだ。
 最高の歌手らとの日常的な共演で声の表現力と可能性を知り、教育者としてベルリン芸術大学で歌曲を教える経験から、声楽家の限界やプロの一般的水準も心得ている。自作オペラの練習ではGP(ゲネプロ)で指揮者の横に姿を見せるのではなく、歌手がコレペティと合わせる現場に乗り込み細かい指導をする。そんなライマンのスコアは、どんなに飛躍の多い音程やグリッサンドやファルセットを要求しようが、常に「声」という楽器のキャラクターに忠実。打楽器が雄弁に鳴り響く管弦楽やピアノの仕事は、あくまでも最良の意味での声の伴奏なのである。ドイツでのライマンが歌曲とオペラの作曲家として高く評価されるのも、しごく当然だろう。

◆ムジークテアターのための作品

 そんなライマンのオペラ創作リストに挙がるのは、シェイクスピアの〈リア王〉、エウリピデスの〈トロイアの女達〉、カフカの〈城〉、ロルカの〈ベルナルダ・アルバの家〉。かつてどの大作曲家も成功作を残していない作品が並ぶ。歌曲のテキストも、ボードレールやストリンドベルリ、果てはジョイスまで。どんな傑作を書こうが専門家から「作品の本質を理解していない」と非難を浴びること必至の、極めつけの難物ばかりだ。
 ライマンの声楽作品は、どれもが「文芸オペラ」である。台詞だけで舞台に載せても充分に演劇作品として成り立つ言葉に、音が付けられる。こんな困難な作業に勤しむ理由は、無論、声楽を知り抜いたプロ作曲家としての技術的なチャレンジ精神にもあろう。だが、ドイツに於ける20世紀後半以降のオペラ事情も忘れるわけにいかない。オペラ作家ライマンは、劇場と歌劇場が一体化し、街に数千人存在する洗練された舞台ファンも両者に分け隔てなく接する、ドイツ中規模都市の状況を反映したムジークテアターに格好の素材を提供しているのである。ムジークテアターの目的とは、繰り返し語られてきた素材から新たな意味や、新たな普遍性を見出すこと。台本や総譜は知的で鮮烈な批評や突飛ギリギリの解釈を受け止めて余りある強い素材であり、なおかつ現代人へのアピールが可能な現代の古典でなければならないのである。
 ライマンの音楽言語は紛うことなき「現代音楽」だ。だが、少なくとも『メデア』や『リア』の場合、オペラの舞台が目指すものはヴェルディとまるで違わない。いかな現代風であれ、旋律もオーケストラも、メデアの感情の揺れやリアの怒り、猛烈な葛藤を描くために用いられる。幸か不幸か、20世紀半ば以降の「現代音楽」の響きは、非人間性や破壊された精神を描くのには最適だった。結果としてここにあるのは、オペラファンが慣れ親しんだ、いかにもオペラらしいオペラなのである。

1978年7月バイエルン州立歌劇場『リア』世界初演の舞台 演出:ジャン=ピエール・ポネル 
提供:Nikolausarchiv

◆空しさを語るための音たち

 『メデア』で結ばれるグリルパルツァーの〈金羊皮〉3部作は、ベートーヴェンからシューベルト、シューマンの時代に書かれたロマン派戯曲で、ヴァーグナーの『リング』への影響も指摘される。有名なエウリピデスのギリシャ悲劇〈メデア〉は神話素に過ぎず、作品としてはまるで別物。子殺しという衝撃的事件よりも、瞬時に変わるメデアの心情が、やがて善悪を越えた諦観へと至るプロセスが精密かつ劇的に描かれる。
 そのためにライマンはテキスト全体を刈り込み、3部作としての説明部分は大胆に省略、プロットはメデアとイアソンの夫婦関係に絞られている。聴き所をいくつか拾っておこう。オペラは全2部との外題を持つが、内容は全4場で構成され第1場と第2場の間、第3場と第4場の間に場面転換の間奏曲がある。第1場で現代風な響きの言葉遣いに慣れたあとの、第2場冒頭からいかにもオペラらしいハープを巡る女声二重唱。第2場後半メデアが復讐を宣言する際の管弦楽が顕す感情描写は、21世紀のヴェルディそのものである。第3場では王に懇願するチェレスタに彩られたメデアの可愛さと、直後に過去の己れを取り返し魔女になっていく変貌ぶりが聞き物。何が起きるかも知らずに寝ている子供の前で歌う一瞬の母としての優しさは、打楽器の爆発と対照的な響きだ。そして生に醒め、「夢は終わりぬ、されど未だ夜」と呟く第4場結尾。古代の笙のような真っ直ぐな音が空虚感で舞台を満たし、現代の響きでなければ伝えられないオペラは終わる。

ウィーンのヒーツィング墓地にある
グリルパルツァー墓標

■アリベルト・ライマン:
 歌劇『メデア』[Blu-ray]
●発売元:アルトハウス・ムジーク
●販売元:ナクソス・ジャパン
●発売日:2011/04/13
●価格:オープンプライス
(c)2010 by Arthaus Musik GmbH


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