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Amfortas! ~アムフォルタス
『パルジファル』演出 クラウス・グート

訳=市原和子

2012年9月二期会創立60周年記念公演『パルジファル』を演出するクラウス・グート。 彼のインスピレーションの源とは…

“グラールの守護主アムフォルタスは、不可思議な恋のアヴァンチュールで受けた癒し得ぬ槍の傷にあえいでいる。グラールを最初に獲得した父ティトゥレルは、高齢のため王位とモンサルヴァートの聖杯城の支配を息子に譲った。息子は犯した罪ゆえに、守護主に値しないと思っているが、もっとふさわしき者が現れるまで彼は王位にあらねばならない。このふさわしき者とは誰だろう?その人物はどこから来るであろう?どうすれば彼がその人物だと見抜けるのだろう?”

 リヒャルト・ワーグナーが1865年8月末、国王ルートヴィッヒ二世のために書いた『パルジファル』草案は、この言葉(上記参照)で始まるが、彼がこの素材に初めて出会ったのはそれより20年以上も前で、マリーエンバードで保養中にヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの《パルツィヴァル》を読み、聖杯グラールの物語を知った時であった。グラールのテーマを扱う最初の作品は『ローエングリン』だった。
 私とクリスチャン・シュミット(美術)は、10年近くワーグナー作品に取り組んできたが、『パルジファル』の演出でひとまず終止符を打つことになる。前回の『指環』(編集者注: ハンブルク)で、ワーグナーの思考や、世界を掌握し変えようとする彼の努力を見てきたが、他の作品とこの『パルジファル』では、格段の隔たりがあるのを肌で感じた。その違いは音楽的なものだけでなく、哲学的(ショーペンハウアーの著書を作曲家が深く読み込み、それを自分のものにしていた点で)なものでもある。ワーグナーのどの作品でもテーマとなっている社会批判は、まず芸術と生活のかい離から始まり、ついに『ニーベルンクの指環』においては、政治的な意識改革の必要性を訴えるに至るが、『パルジファル』では—最高の被創造物としての人間であることを自覚し、あらゆる社会的取り決めを超えて、各々が責任を負う心構えがなければ、世界を救済することはできない。同情心は人間に与えられた能力で、忘れてはならないものである—といった新たな思想に変わる。


写真は1967年7月二期会公演『パルジファル』日本初演の舞台
指揮:若杉 弘 演出:内垣啓一 
パルジファル:芳野靖夫/宮原卓也 
クンドリ:長野羊奈子/毛利純子

 ワーグナーの舞台神聖祭典劇では、人間のすべての発達段階をたどる主人公を例にとり、そのプロセスが明らかにされる。カスパー・ハウザーのように幼い頃に文明から隔離されて育った子が、母親から去る決心をして、全く無知の状態で世の中に出ていくが、彼は全く得体のしれない世界と出会って、まるっきり対応できない。グルネマンツが、パルジファルに殺された白鳥を見せて、初めて罪の意識を会得させるが、第1幕で癒えない傷に苦しむアムフォルタスによる聖杯の儀式で、彼に課せられる要求は高過ぎて、依然として彼の人格の成長に結びつかない。自らの意識の目覚めは、クンドリに名前を呼ばれた瞬間に生じ、それにより彼個人の成長プロセスが動きだす。ムリエル・バーベリは2008年発行の小説《はりねずみのエレガンス》で、その瞬間の意味を説く、“5歳で初めて学校に行き、私に向かって名前を呼ぶ声を聞いて、驚きと恐怖を覚えた時、自分という個人を認識した。私はめまいを起こしそうになるほどきっと顔を上げると、ある視線にぶつかった。明るい目とほほ笑んだ口もとの女性が見えた。私の名前を呼んでくれたことにより、彼女は私の心に届き、今まで一度も想像もできなかったほど親しみを覚えた。突然私の周りの世界が彩られたのを見た”。
 物語のこの時点まで、純粋無垢な愚か者パルジファルは、人の言いなりだったが、今こそ責任を自覚する人間に変わり始める。だが彼は、無意識に経験したトラウマになるような出来事を咀嚼することで、人格が形成されたとたん、ファナティズムに近い絶対性で求められる庇護者か救済者の使命を果たさなければならない。
 ワーグナー最後の作品『パルジファル』の登場人物全員が、抜け道のない状況の中で救済者をひたすら待つというこの途方もない願望は、本作品受容の歴史を思い起こさせる。バイロイトによる独占上演期間が過ぎ、1913年12月31日バルセロナで最初の正式上演の後、時代の転換期にあった世界で、宗教的憧れを描く数多くの演出がみられた。我々の演出では、ワーグナーの舞台神聖祝典劇で示される救済者を求める願望と多数の『パルジファル』演出(バイロイトによる独占上演期間の後)の間の驚くべき類似性に着目する。1914年に第一次世界大戦勃発、その後進むべき方向性を見失い新たな理念を探る時代に、聖杯守護の騎士団の場合に類似して、新しい指導者を選ぶことで疑問を残す結果となった。

 突如起こった『パルジファル』フィーバーと1914年8月1日の第一次世界大戦開始がほぼ同時期という類似性は偶然だと言えよう。二つの出来事について、ノラ・エッカートが、素晴らしい研究論文《パルジファル1914年》で書くように「その類似性、著しい同一性に驚かされる考え方」があった。パルジファルは、ただの神秘的ドラマとしてよく片づけられてしまうから、我々が探りたいのはその類似性だ。そこで物語の始まりを、1914年に設定し、第2幕では第一次世界大戦後の復興期へ、終幕でナチによるいわゆる「権力獲得」へとつなげる展開にした。
 この期間の中では、幕から幕への推移はゆるやかだ。当時の考えに従い、第一次世界大戦勃発前の救済者願望ファンタジーから、戦後の混乱期に、より良い未来を保証する救済者を求める声までの経緯は、根本的ではなく、段階的だ。このように舞台空間も同一性を守り(ここでは時間が空間に変わる)、彫刻的性格を持つ建築として姿を現し、あるいは反対に建築的な彫刻として表す。空間は、それぞれ性格や雰囲気で新たに変化をつけられるが、歴史は常に繰り返されることを明確に表す。
 ワーグナーの救済の約束を共有したいというヒステリックとも言える病的欲望は、1914年に小説《魔の山》を書いていたトーマス・マンにも影響を与えている。グラールの力に依存する聖杯の騎士団のような閉鎖的サークルでは、現実離れした世界へと隠遁を決め込み、ワーグナーの音楽に没頭していたが、戦争の勃発で世界は変わってしまう。
 『パルジファル』でも、古典的家庭争議という古代から潜在する問題が物語のテーマに加わる。本素材の旧ヴァージョンでは、アムフォルタスとクリングゾルは、雲の精霊として兄弟だったので、対立する敵同士の背後にも、別のライバル意識が隠れているとワーグナーの『パルジファル』でも示唆されている。両者ともタブー破りの罪を犯した。まるで交差するように、愛欲を求める男は、王位ゆえにそれを拒否せねばならず、王位を得るために肉欲を抹殺した男は、それを受け入れなければならない。両者ともティトゥレルという父親像に依存している。これは非常に興味深く、その面でも追求してみたいと思う。

『パルジファル』ポスターのある広告塔
(チューリヒ市内FIFA前)

チューリヒ歌劇場の広報誌
「チューリヒマガジン」の
表紙を飾るクラウス・グート

チューリヒ歌劇場 『パルジファル』公演プログラム表紙


クラウス・グート(Claus Guth)
1964年フランクフルト生まれ。ミュンヘン大学で哲学、ドイツ文学、演劇学を学び、及び同地の音楽大学で演劇とオペラの演出を学ぶ。現代最高のオペラ演出家の一人に挙げられる。フランクフルト市立歌劇場『ダフネ』演出は2010年のファウスト賞に輝いた。
欧州の有力歌劇場で今後実際に観ることができる氏の舞台は『ルイザ・ミ ラー』(バイエルン州立歌劇場=ミュンヘン)、『セビリャの理髪師』(ライン・ ドイツ・オペラ=デュッセルドルフ/デュイスブルク並びにライプツィヒ歌劇場)、『ローエングリン』(ミラノ・スカラ座12月)、『ニーベルングの指環(四部作)』(ハンブルク州立歌劇場)、『ナクソス島のアリアドネ』(チューリヒ歌劇場)、『タンホイザー』(ウィーン国立歌劇場)、『妖精の女王(H. パーセル作曲)』(ベルリン州立歌劇場)、『ルチオ・シルラ』(バルセロナ・リセウ大劇場)などである。
カスパー・ハウザー(Kaspar Hauser、1812年—1833年)
ドイツの孤児。16歳頃にニュルンベルクで保護されるまで長期に渡り地下室に閉じ込められていた。発見後に教育を施されて言葉を話せるようになり自己の生い立ちを語り出すようになったが、明らかになる前に何者かによって殺害された。特異なまでの鋭敏な五感を持っていた事で有名。


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