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オペラを楽しむ

パルマ瞥見
〜裏声街道一人旅、パルマを行く

文・彌勒 忠史

王立歌劇場を警備する憲兵(carabinièri)と自治体警察(polizia municipale)

 日本最大の声楽家団体にしてオペラ・カンパニーでもある二期会の創立60周年を記念して、この度東京二期会はG.ヴェルディ作曲『ナブッコ』を上演する運びとなった。そしてなんと本公演はイタリアの名門、パルマ王立歌劇場との提携公演だという。『ナブッコ』→ヴェルディ→ヴェルディゆかりの地パルマ、と連想ゲームのごとく提携先を決めたのかしら、などと勝手な妄想を膨らませるとちょっと楽しい。

Teartro Farnese  2011年ヴェルディ・フェスティヴァルではここで 『ファルスタッフ』が上演された。

 イタリア各地の名門歌劇場が次々と来日公演を行っているなか、パルマ王立歌劇場は未だ我が国での公演を行っていない。記念すべき日本との初コラボレーションが二期会の記念公演とは、「記念づくし」でなんだかめでたい。

マリア・ルイーザ・ダウストリア(Maria Luisa d'Austria1791-1847)オーストリア皇帝フランツ1 世の娘。ナポレオンの皇后として嫁ぐが夫の没落後、パルマ公国女公(在位1814-1847)となる。

 パルマ王立歌劇場のイタリア語名はテアトロ・レージョ・ディ・パルマ Teatro Regio di Parma である。しかし最初から現在の名称であったわけではない。劇場はもともとパルマ女公マリア・ルイーザ・ダウストリアの命により建設された。マリア・ルイーザは言わずと知れたフランス皇帝ナポレオン1世の皇后であるが、1814年にパルマ公国の統治権を得ている。

夜のピロッタ宮殿エントランス

 劇場は1829年のオープン当初「新ドゥカーレ劇場」と呼ばれていた。ちなみに「ドゥカーレ」とは「公爵の」という意味である。1847年にマリア・ルイーザが亡くなると、ブルボン=パルマ家の統治に伴い、劇場の名前は「レアーレ劇場」となる。「レアーレ」は「王の」という意味を持つ形容詞である。つまりこの時点で劇場は「王立劇場」という名前になっているわけだが、最終的には現在の「レージョ劇場」(「レージョ」も「王の」という意味)という名に落ち着いた。
 テアトロ・レージョの裏手、というか隣接する場所に、実は世界的に重要な劇場が存在する。18世紀初期までこの地を治めた公爵家の名を冠する「ファルネーゼ劇場」である。この劇場は1619年に完成した木造の劇場で、パルマの歴史的中心街の見どころのひとつであるピロッタ宮の中にある。筆者はここで何度か演奏会に出演したことがあるが、建築史的にも貴重なバロックの木造劇場で演奏することは、古楽歌手にとってある意味、テアトロ・レージョの舞台に立つよりも名誉なことであるかもしれない。

パルミジャニーノ「トルコの女奴隷」
所蔵:パルマ国立美術館

 そんなファルネーゼ劇場も1944年の連合軍によるピロッタ宮への爆撃によって一度焼けている。パルマの見どころは1956年から1960年にかけて再建されたこのピロッタ宮(国立美術館、考古学博物館など)の他にも、パルマ大聖堂と隣の洗礼堂、洗礼者ヨハネ教会などが挙げられる。
 ちなみにスタンダールの『パルムの僧院』はフィクションであるが、街の郊外東に一応モデルと思われるカルトゥジオ会の修道院は実在する。街のみどころとしてもうひとつつけ加えるならば20世紀前半を代表する指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニ博物館であろうか。ドゥカーレ公園に向かってパルマ川にかかる橋を渡ると、その近くにトスカニーニの生家が現在博物館となってオープンしている。
 パルマでは彼の名を冠したアルトゥーロ・トスカニーニ国際指揮者コンクールが行われている。この国際的指揮者への登竜門のひとつとされるコンクールで2010年、三ツ橋敬子氏が準優勝したことは、まだ記憶に新しい。

プレミエでは劇場内部でTVクルーの取材が行われる



ロータリー交差点内噴水に掲げられたヴィルディ・フェスティヴァルの大看板

 トスカニーニと言えば、今回の『ナブッコ』公演指揮者は、チェリストから指揮者に転向するなどのキャリアが共通することもあり“ニュー・トスカニーニ”と呼ばれているらしい。なんと弱冠24歳(!?)の首席客演指揮者の名はアンドレア・バッティストーニ。彼の手がけた公演をならべてみるだけでもその超新星ぶりがうかがえるというものだ。今年のヴェルディ・フェスティヴァルでは『ファルスタッフ』を指揮する。
 ヴェルディ・フェスティヴァルはパルマを中心にブッセート、モデナなどのエミリア・ロマーニャ州の歌劇場で開催されている。ヴェルディの出生地は現在パルマ県に所属するブッセートの小さな村ロンコレである。そしてそこから車で10分ほど行ったところに『リゴレット』成功後の移住地、サンタ・アガタの農園とヴィッラ(館)があり、現在予約制で見学も可能だ。
 パルマを中心に開催されているヴェルディ・フェスティヴァルであるが、彼の生涯を鑑みると“パルマのパルマ”(千葉県千葉市みたいなものか)にはそれほど縁があったようには思えない。実際彼の活動はミラノとブッセートが中心であった。
 さてパルマと言えば美食の街である。生ハム、チーズでもその名がブランドとなっていることを考えれば当然のことである……と「三度の歌よりメシが好き」な筆者お得意の分野について書き始めたところで紙幅が尽きた。こんなことなら最初から食の話をしておけばよかった。無理矢理まとめにかかろう。
 イタリア語で「味」のことをグスト gusto という。そしてこの言葉はなんと音楽などにおける良い「センス」の意味にも使われるのだ。舌も耳も目も肥えたパルマの観客を唸らせてきたテアトロ・レージョ。その提携公演が、音楽用語でいうところの「コン・グランデ・グスト」 con grande gusto =味わい豊かな舞台になることを期待しましょう!……お後がよろしいようで。
彌勒忠史(ミロク タダシ カウンターテナー)
千葉大学卒業。同学大学院修了。東京芸術大学声楽科卒業。1999年よりイタリアを中心に歌手およびオペラ演出家として活動。ソロCDに「音楽装飾されたマドリガーレ」「B.ストロッツィのアリエッタ」(Tactus)、「イタリア古典歌曲集」(キングインターナショナル)などが、著書に『イタリア貴族養成講座』(集英社新書)などがある。NHKテレビ・イタリア語テキスト、音楽之友社「教育音楽」に記事を連載中。放送大学、学習院生涯学習センター講師。公式「在日本フェッラーラ・ルネサンス文化大使」。二期会会員


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