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オペラを楽しむ

第一次世界大戦前後のシノワズリー瞥見

文・稲賀 繁美

舞台写真提供:09年3月びわ湖ホール・神奈川県民ホール共同制作
『トゥーランドット』粟國淳演出
(写真提供:神奈川県民ホール 撮影:竹原信治)

 ジャコモ・プッチーニが『トゥーランドット』の作曲に着手したのは、1919年頃といわれる。ようやく第一次大戦が終わり、世界はあらたな局面を迎えていた。戦火に見舞われた欧州、とりわけドイツではシノワズリー、いわゆる中国趣味が再来していた。たとえば小説の世界では、表現主義の作家で「アルグザンダー広場」の著者、アルフレート・デーブリーン(1)に「ワンルンの三跳躍」(1915年)という小説が知られる。ワンルンは王倫Wang-lun とでも綴られるのだろうが、彼は老荘の〈無為〉のなかに理想社会実現のための鍵を探す。乾隆帝治世末期を舞台として〈真弱教団〉による一揆と、自滅に走るその分派を描くのだが、思想的な下敷きは列子(1ノ2)にあるのだという。

「王倫の三跳躍」
アルフレート・デーブリーン
小島基 訳 白水社

美術の世界に目を転じると、パウル・クレー(2)が同時代に、中国への憧れを作品に投入している。漢の武帝(3)の「秋風辞」や、王僧孺(4)が女性に成り代わって歌った「秋閨怨」といった漢詩のドイツ語訳に感応したクレーは、その字句をアルファベットで画面に刻み、そこに独特の色彩を添えて、モザイクのような幻想的画面を創っている。デーブリーンは出征を志願したが健康上の理由で果たせない。兵役に服したクレーは、大戦で僚友のフランツ・マルク(5)とアウグスト・マッケ(6)を失っている。これらふたりの創作の背景には、あきらかに、長引く大戦による抑鬱や厭戦気分が漂っていると見てよいだろう。折から、儒教が欧州を災厄から救うと述べた清朝遺臣、辜鴻銘(7)の著作が流行を見せもした。

Gustav Mahler
(Das Lied von der Erde):
グスタフ・マーラー(大地の歌)
2006 oil on linen
油彩/リネン 82×65cm
Copyright Setsuko Aihara,
コピーライト(著作権)画家:相原節子

 音楽の世界に戻って、時代を第一次世界大戦の前まで遡ると、グスタフ・マーラー(8)の「大地の歌」(1907-08年)が思いだされる。マーラーがウィーンの宮廷歌劇場を去ってニューヨークのメトロポリタン・オペラに移籍する直前の仕事だが、そこには娘を失った傷心を創作へと昇華し、亡き娘の魂の平安を祈る作曲家の思いも込められている。終曲には〈永遠に蒼き天蓋〉と歌われ、繰り返される〈永遠〉ewig の強烈な連らなりも印象的だ。そこで下敷きとされたのは、盛唐の詩人、王維(9)の「送別」らしいが、マーラーはそこに独自の解釈を加えている。実際、原典の漢詩にあった「白雲無尽時」は、マーラーが参照したベートゲ(10)の訳詩にはまだそのまま残っていたのだが、それがマーラーの詩句では「源なす光」Urlicht へと変貌を遂げている。ベートゲは1907年にライプツィヒで「シナの笛」Die chinesischeFlöte を発刊したが、これは実のところ中国語原典からの直接の訳ではなく、ハンス・ハイルマン(11)による「中国抒情詩」Chinesische Lyrik(1905年)を下敷きにしていた。因みにクレーの中国趣味の源泉となったのも、このハイルマンの詩集だった。
 そのハイルマンの詩集は、これまたエルヴェ・ド・サンドニ伯(12)の「唐代詩歌」Poésie de l’époque Thang(1862年)と、そうは断りがないものの、ジュディット・ゴーティエ(13)による「玉の書」Le Livre des Jades(1867年)とから取られた、中国詩の重訳だった。読者もご存じのとおり、マーラーの《大地の歌》第三楽章には「陶磁の亭」が登場する。だがこれは、李白の「宴陶家亭子」(陶という名の人の家での宴会)をゴーティエが「陶磁器製の亭」と(あるいは意図的に?)「誤訳」した結果出現した、空想の産物だった。ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿の陶磁器の間をご覧になった方も多いことだろう。そうした欧州でのロココ時代以来の陶磁趣味が、ここにはなかば無意識に投影されている。

ギルバート&サリヴァン:喜歌劇「ミカド」(1950年ロンドン)8.110176-77 ©Naxos Rights International Ltd.

 『トゥーランドット』は元来、アラビアからペルシアに流布する〈謎かけ姫物語〉の類型に属す。ニザーミー(14)の叙事詩「七王妃物語」(1197年)に遡るといわれるが、ほかならぬ本朝の『竹取物語』も、類型としては同様の謎かけ求婚譚の一変種である。フランス古典悲劇にはラシーヌ(15)の「バジャゼ」(1672年)のように、トルコの後宮を舞台として陰謀と悲恋を綴った傑作が知られ、異郷の豪奢と残虐とは東方趣味(オリエンタリズム)の通層低音をなす。この両者が合流した地点に成立したフランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワ(16)の「千一日物語」(1710-12年)をヴェネツィアのカルロ・ゴッツィ(17)が1762年に戯曲に仕立てたのが、いうまでもなく『トゥーランドット』の原形。数あるオペラ仕立ての中でも人気を誇るのがプッチーニによる作曲。そのプッチーニの長崎物といえば『蝶々夫人』だが、それに先立つ日本趣味のオペラには、画家エドゥアール・マネ(18)の「オランピア」に詩を献じてスキャンダルを煽ったザッカリ・アストリュック(19)の『蜻蛉洲』や『イェッダ』(江戸と北欧の『エッダ』の混淆?)といった1870年代の〈駄作〉も存在する。こうした荒唐無稽な〈江戸趣味〉の延長上に、かの“ギルバート&サリヴァン”による、英国での興業成績(だけ?)は抜群の『ミカド』(1885年)がある、などと指摘すると、正統オペラ・ファンの顰蹙を買うかもしれない。新井潤美・倉田喜弘解説・小谷野敦訳による〈本邦初訳〉も、是非ご参照を。またこの際、余勢をかって、1960年代の日本に滞在して〈女ピンカートン〉となる運命を実体験したアンジェラ・カーター(20)の「花火」(榎本義子訳)にも手を伸ばして頂くと、これまた一興・一驚といったところだろう。
【脚注】編集部N.Y
  • (1)Alfred Döblin 1878-1957 ドイツの作家 「王倫の三跳躍(おうりんのさんちょうやく)」は白水社から、「アルグザンダー広場」は河出書房新社から出版されている。
  • (1ノ2)列子(れつし)紀元前4-3世紀頃 老子 荘子(本文中 老荘)と並び中国の道家思想を唱えた。不実在説もある。「王倫の三跳躍」は列子に献呈されている。
  • (2)Paul Klee 1870-1940 スイス出身の画家、ドイツで活躍。
  • (3)武帝 BC156-(在位BC141-)BC87 漢の皇帝「秋風辞」は武帝44歳のときの作とされる。
  • (4)王 僧儒(おう そうじゅ) 465-522 南朝時代の官僚で学者。
  • (5)Franz Marc 1880-1916 ドイツの画家、動物に心を写して描いた。第一次世界大戦の兵士として命を失う。
  • (6)August Macke 1887-1914 ドイツの画家。「青の騎手」派。
  • (7)辜 鴻銘(こ こうめい) 1857-1928 清朝末期の東西の文化に精通した高学者。日本に滞在し講演活動も行ったことがある。
  • (8)Gustav Mahler 1860-1911 主にウィーンで活躍した作曲家、指揮者。今年は死後百周年で特に多く演奏される。
  • (9)王維(おう い) 669(又は701)-759(または761) 唐の自然を謳った大詩人。
  • (10)Hans Bethege 1876-1946 ドイツの詩人、翻訳家。
  • (11)Hans Heilmann 1859-1930 ドイツの詩人、文学者。
  • (12)Hervey de Saint-Denys 1822-92 フランスの文学者。
  • (13)Judith Gautier 1845-1917 フランスの女性詩人でワーグナーとも交友があった。
  • (14)Nizāmī Ganjavī 1141-1209 ペルシャの詩人。
  • (15)Jean Baptiste Racine 1639-1699 フランスの劇作家、フランス古典悲劇の完成者。
  • (16)François Pétis de la Croix 1653-1713 フランスの東洋研究家。
  • (17)Carlo Gozzi 1720-1806 イタリアのコンメディア・デッラルテの劇作家。ブゾーニの『トゥーランドット』もゴッツィの作を原作とする。
  • (18)Édouard Manet 1832-1883 フランスの画家。
  • (19)Zacharie Astruc 1835-1907 フランスの詩人、劇作家。
  • (20)Angela Carter 1940-1992 イギリスのジャーナリスト、小説家
稲賀繁美(いなが・しげみ)
国際日本文化研究センター・総合研究大学院大学教授
文化交渉史著書に『絵画の黄昏:エドゥアール・マネ没後の闘争』『絵画の東方:オリエンタリズムからジャポニスムへ』(ともに名古屋大学出版会)、
編著に『伝統工藝再考:京のうちそと』(思文閣出版)、『ものけいろ』(美学出版)ほかがある。
  • 《お詫びと訂正》
  • 現在、配布中の二期会通信第286号におきまして、誤りがございました。
  • 次の通り訂正いたしますと共に、お詫び申し上げます。
  • ◆7ページ下段左【脚注】の下から2行目は、
  • 「(19) Zacharie Astruc 1835-1907 フランスの詩人、劇作家。」が正当。


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