TOKYO niki kai OPERA FOUNDATION NEW STYLE OPERA MAGAZINE

ENGLISH

オペラを楽しむ

壮大なファンタジーの中で、プッチーニが訴えた
「愛」を伝える!
インタビュー=香原斗志(オペラ評論家) 写真=広瀬克昭

圧倒的なスケールで展開される絢爛豪華な音楽と舞台─。
このプッチーニが最後に遺したこの壮大なお伽噺を、夢あふれる舞台に仕上げるのは、イタリアで育ち、イタリアオペラを知り尽くした粟國淳さんだ。

─2009年、びわ湖ホールと神奈川県民ホールが共催した『トゥーランドット』は、粟國さんのファンタジー溢れる演出が評判になりました。今回はそれを“ヴァージョン・アップ”するのですね。

粟國 はい。 09年と衣裳は一緒、テーマは基本的に同じですが、装置は新しく作ります。このプロダクションを土台に、舞台をより効果的に作り直せる機会は、滅多にないと思いますね。

─そのテーマとは?

粟國 『トゥーランドット』はお伽噺(とぎばなし)で、あの時代の東洋趣味自体にお伽噺的なイメージがあるので、リアルな中国にこだわる必要はないと考えました。中国の音楽なども取り入れられてはいますが、『トスカ』の舞台がナポレオン時代のローマであるようには、現実の歴史と結びついていません。

─たしかに、描かれているのは空想の中国ですよね。

粟國 そこで少しSF的な世界に設定しました。フリッツ・ラングの《メトロポリス》という、プッチーニが亡くなった翌々年の1926年にできた映画もヒントにしています。《メトロポリス》はすでに《スターウォーズ》などと同様の、壮大なスケールで描かれていますが、プッチーニのよさも、そんな変化の時代特有のテンポ感にあるのではないかと。
 プッチーニは映画嫌いを自認していました。自作を安易に映画化されるのを嫌ったのでしょうが、脇役として映画に出演し、演技も達者でした。もしフリッツ・ラングと出会っていたら、その表現に感心したのではないか。映像を前提に違った作曲を模索したのではないか。そんなことも考え、テーマを設定しました。

─同時代に作られたオペラと映画との間の意外な共通点、ですね。

粟國 飛行機が飛ぶ大都会で、エリートたちは贅沢に暮らす一方、市民たちは巨大な工場のような場所で無表情に働いている─。《メトロポリス》のそんな場面は『トゥーランドット』冒頭の、冷酷な姫を怖れる群集の場面と似ているし、平等や愛を教えるヒロインは、リュウを思わせます。リュウのようには死なないものの、彼女が教えた愛によってエリートたちの社会が崩されます。奴隷のリュウは、ただひとり自分に微笑んでくれたカラフを愛し、その微笑みだけに希望を抱いて死んでいく。彼女は人間社会から“愛”が失われることがいかに危険であるかを教えてくれます。リュウの死後、群集が「リュウは詩だ」と歌いますが、素敵ですね。「詩」となって愛を伝える。そんなところもフリッツ・ラングの世界と重なります。

─愛の喪失というのは、現代につながるテーマですね。

粟國 第一次大戦が終わって、第二次大戦がおぼろげに予感された時代。スケール感も、音楽のダイナミズムも、『トゥーランドット』はプッチーニのほかの作品と異なるし、合唱が前面に出るのもプッチーニとしては珍しい。また、トゥーランドット姫が冷酷になったのは、第2幕に告白しますが、祖先が侵略され、殺されたから。“愛”が失われた社会で周囲をシャットアウトしたのです。それが最終的に、欠けている要素をリュウに補ってもらって人間として完結する。愛のつらさを経験してこそ人間は完璧になれる、と奴隷に教わって姫は、やっと変われるのです。

─一方、“愛”を伝えたリュウは自殺しますが、この演出では…。

粟國 自殺しません。蝶々さんは死をもってしか誇りを守れませんでしたが、リュウは誰よりも誇りを持ったまま、この世から消えていく。そんなリュウが、兵隊から剣を奪って自分の胸に突き立てるなんて想像できません。彼女はすべてを、権力や地位を求めて求愛したカラフをも変えてしまう。また、トゥーランドットの父アルトゥムもカラフの父ティムールも、一番権力を知っているはずの王なのに、人間には名誉や権力よりも大事なものがある、と訴えるのも面白い。それが最終的に“愛”につながる。カラフも最後にリュウのおかげで、人間として何が大事なのかを知るのです。
 プッチーニが生前に書けたのはリュウの死までで、あとはアルファーノによる補作ですが、最後のキスはプッチーニ自身が考えていた結末だと思います。姫がカラフを「愛」と呼び、心から愛を感じて女になると、それまで閉ざされていた空間が開放され、やっとハッピーエンドになれるのです。

─そうしたテーマを通じて、何を一番伝えたいですか?

粟國 『トゥーランドット』はプッチーニの作品中で最も巨大かつ難しい上に、未完ですが、テーマは『ラ・ボエーム』や『トスカ』『蝶々夫人』よりもむしろわかりやすい。“愛”という結論も、スペクタクルである点も、子供にも大人にも、オペラを初めて見る人にもわかりやすい。楽譜を広げれば途轍もないものが詰まっているのですが、美術展で巨匠の大作に顔を近づけて観賞できるかのように、手に取りやすく表現できたらいいな、と思います。

─イタリア育ちで、オペラがいつも「手に取りやすい」ところにあった粟國さんならでは、ですね。

粟國 小学生の頃、イタリアの学校で観に行った『ラ・ジョコンダ』のことを、当時の同級生はよく覚えています。本物を見せればわかるんです。日本でも『トスカ』を小学生が観た時、緞帳が開いた瞬間、それまで騒いでいた子たちが引き込まれ、人間の声にすごさに驚きながら、音楽と一緒に動く舞台を真剣に見入っていました。

─20世紀生まれの『トゥーランドット』はなおさら、現代人が今の感覚で楽しめるのでは?

粟國 プッチーニは音楽家の目で見て、劇場照明がどう空間を変えるかにこだわった。現代の私たちに近い感覚です。『修道女アンジェリカ』はラストに聖母マリアが登場しますが、当時はマリアの姿をした女性が頭に飾りを載せて出てくるしかなかったけれど、今なら照明で表現できる。プッチーニは、そういうことを考えていた作曲家だと思います。

粟國 淳(あぐに・じゅん)
東京生まれ。70年に父・粟國安彦のオペラ研修に同行するためイタリアのローマに渡る。聖チェチーリア音楽院入学、指揮法も修める。オペラ演技・演出法をマェッラ・ゴヴォ一二女史に師事。98年文化庁派遣芸術家在外研修員としてヘニング・ブロックハウス氏の助手として研鑽、ローマ歌劇場の演出部に迎えられる。同時期に外来演出家の演出助手として日本での活動を開始。97年藤原歌劇団公演『愛の妙薬』で演出家デビュー。二期会では07年『仮面舞踏会』に初登場。着実にキャリアを重ね、今年3月びわ湖・神奈川県民ホール・東京二期会共同制作『アイーダ』(神奈川県民ホール公演は地震の影響で中止)では我が国イタリアオペラ演出の到達点を示した。



→オペラを楽しむTOP