──愛の喪失というのは、現代につながるテーマですね。
粟國 第一次大戦が終わって、第二次大戦がおぼろげに予感された時代。スケール感も、音楽のダイナミズムも、『トゥーランドット』はプッチーニのほかの作品と異なるし、合唱が前面に出るのもプッチーニとしては珍しい。また、トゥーランドット姫が冷酷になったのは、第2幕に告白しますが、祖先が侵略され、殺されたから。愛が失われた社会で周囲をシャットアウトしたのです。それが最終的に、欠けている要素をリュウに補ってもらって人間として完結する。愛のつらさを経験してこそ人間は完璧になれる、と奴隷に教わって姫は、やっと変われるのです。
──一方、愛を伝えたリュウは自殺しますが、この演出では…。
粟國 自殺しません。蝶々さんは死をもってしか誇りを守れませんでしたが、リュウは誰よりも誇りを持ったまま、この世から消えていく。そんなリュウが、兵隊から剣を奪って自分の胸に突き立てるなんて想像できません。彼女はすべてを、権力や地位を求めて求愛したカラフをも変えてしまう。また、トゥーランドットの父アルトゥムもカラフの父ティムールも、一番権力を知っているはずの王なのに、人間には名誉や権力よりも大事なものがある、と訴えるのも面白い。それが最終的に愛につながる。カラフも最後にリュウのおかげで、人間として何が大事なのかを知るのです。
プッチーニが生前に書けたのはリュウの死までで、あとはアルファーノによる補作ですが、最後のキスはプッチーニ自身が考えていた結末だと思います。姫がカラフを「愛」と呼び、心から愛を感じて女になると、それまで閉ざされていた空間が開放され、やっとハッピーエンドになれるのです。
──そうしたテーマを通じて、何を一番伝えたいですか?
粟國 『トゥーランドット』はプッチーニの作品中で最も巨大かつ難しい上に、未完ですが、テーマは『ラ・ボエーム』や『トスカ』『蝶々夫人』よりもむしろわかりやすい。愛という結論も、スペクタクルである点も、子供にも大人にも、オペラを初めて見る人にもわかりやすい。楽譜を広げれば途轍もないものが詰まっているのですが、美術展で巨匠の大作に顔を近づけて観賞できるかのように、手に取りやすく表現できたらいいな、と思います。
──イタリア育ちで、オペラがいつも「手に取りやすい」ところにあった粟國さんならでは、ですね。
粟國 小学生の頃、イタリアの学校で観に行った『ラ・ジョコンダ』のことを、当時の同級生はよく覚えています。本物を見せればわかるんです。日本でも『トスカ』を小学生が観た時、緞帳が開いた瞬間、それまで騒いでいた子たちが引き込まれ、人間の声にすごさに驚きながら、音楽と一緒に動く舞台を真剣に見入っていました。
粟國 プッチーニは音楽家の目で見て、劇場照明がどう空間を変えるかにこだわった。現代の私たちに近い感覚です。『修道女アンジェリカ』はラストに聖母マリアが登場しますが、当時はマリアの姿をした女性が頭に飾りを載せて出てくるしかなかったけれど、今なら照明で表現できる。プッチーニは、そういうことを考えていた作曲家だと思います。
粟國 淳(あぐに・じゅん)
東京生まれ。70年に父・粟國安彦のオペラ研修に同行するためイタリアのローマに渡る。聖チェチーリア音楽院入学、指揮法も修める。オペラ演技・演出法をマェッラ・ゴヴォ一二女史に師事。98年文化庁派遣芸術家在外研修員としてヘニング・ブロックハウス氏の助手として研鑽、ローマ歌劇場の演出部に迎えられる。同時期に外来演出家の演出助手として日本での活動を開始。97年藤原歌劇団公演『愛の妙薬』で演出家デビュー。二期会では07年『仮面舞踏会』に初登場。着実にキャリアを重ね、今年3月びわ湖・神奈川県民ホール・東京二期会共同制作『アイーダ』(神奈川県民ホール公演は地震の影響で中止)では我が国イタリアオペラ演出の到達点を示した。
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