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マエストロ デニス・ラッセル・デイヴィスが語る
エスプリあふれる『フィガロの結婚』
文=伊藤制子 写真=広瀬克昭 インタビュー協力:ヒルトン東京

 ここに一枚のディスクがある。現代のオペラ作曲家としても知られるフィリップ・グラスのピアノと弦楽オーケストラのための《チロル協奏曲》。ピアノ・ソロと指揮を担当し、アンサンブルを見事にまとめているのが、アメリカ出身の指揮者デニス・ラッセル・デイヴィス氏。1944年生まれの氏は、指揮者として若くしてバイロイト音楽祭に登場し、現在リンツ・ブルックナー・オーケストラ、バーゼル交響楽団の首席指揮者、そしてリンツ・オペラの音楽監督をつとめている他、数多くのオーケストラや歌劇場に客演。ピアニストとしてはソロ活動に加えて、日本人の奥様(ピアニスト滑川真希氏)とのデュオでも活躍中だ。同氏が、4月に行われる二期会『フィガロの結婚』で指揮をつとめる。来日経験は豊富ながら、日本での公演は意外にも初めてだという。氏が打ち合わせをかねて来日していた2010年8月、今回のインタビューのためにお目にかかった。
 オペラ指揮者として、古典的なオペラのレパートリーから現代の最新作まで造詣の深い氏だが、モーツァルトは中でももっとも魅力的なレパートリーのひとつだという。

「モーツァルトは無二の天才です。そのスケールの大きさは、たとえばダ・ヴィンチやシェイクスピアにも比肩しうるものだと思っています。彼こそ、オペラ史上もっとも重要な作曲家なのは間違いありません。古典派の作曲家の中では、たとえばハイドンはオラトリオの名手、ベートーヴェンは交響曲の大家でしたが、モーツァルトこそ、まさにオペラ、そしてピアノ協奏曲の大家と言えるでしょう。オペラにおけるモーツァルトの非凡さは、アリアとしてソロで歌われるこの上なく美しいメロディーにおいて十全に現れていると思います。加えてモーツァルトらしさが感じられるのは、きわめてすぐれた対話の技法にあるのではないでしょうか。たとえばダ・ポンテの台本によるいわゆる三大オペラでも、歌手同士の対話が非常に巧みに描かれていますね。『フィガロの結婚』においても、6人の歌手が参加するフィナーレでは、それぞれの歌手の歌詞がくっきりと浮かび上がってくるように書かれています。これは本当に驚くべきことだと思いますし、そのあたりをどう聴かせていくか、アンサンブルをどのようにまとめていくかに、指揮者の手腕が問われると思います」

 ピアニストとしての腕も冴えているマエストロは、指揮に加えてフォルテ・ピアノも担当するから、楽しみである。また今回の演出は2002年初演の宮本亜門演出の再演である。毎回独特の亜門ワールドを展開して、楽界でつねに大きな話題をさらう宮本氏。独創的な視点から人物像を描いており、初演当時から反響を呼んだ。「演出いかんでオペラは様々な異なる表情を見せてくれます。とりわけ古典的な作品において、演出の役割はこれまでになく大きいと思っています。今回ご一緒する演出家の宮本亜門氏の舞台はこれから拝見する予定なのですが、現代日本の才能豊かな演出家の方と仕事ができるのは、私にとっても大きな喜びです。そして二期会の実力のある日本人歌手のみなさんにも大いに期待していますよ」
 公演はダブルキャストで、アルマヴィーヴァ伯爵に鹿又透、与那城敬、伯爵夫人に澤畑恵美、増田のり子、フィガロに久保和範、山下浩司、スザンナに菊地美奈、嘉目真木子などベテラン、若手ともに層の厚い二期会ならではの充実した顔ぶれである。
 数多くの現代音楽に、指揮、ピアノ両面でかかわってきた氏いわく、古典と現代作品の指揮とでは、少々取り組みに違いがあるという。

「スタンダードなレパートリーを振る場合と、現代作品を振る場合とは少し違いますね。たとえば私はこれまでフィリップ・グラス、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ、ルイス・アンドリーセンをはじめ多くの現代作曲家の作品を演奏してきました。ただ存命中の作曲家の場合はどのような音楽づくりをすればいいか、また何か疑問点があるなどという場合は、本人に尋ねることができます。この点が一番の違いですね。ベートーヴェンやブラームス、モーツァルトの場合、そうしたことができず、楽譜で判断するしかありません。ただ偉大な作曲家といえども、少々の過ちを犯すことがありますから、難しいのです。だからこそ、私たち指揮者の役割が大切になり、作品の内部に分け入って正しい判断をしていく手腕がいっそう重要になるとも言えるのですがね」

 休日には体力づくりと気分転換をかねて、自転車に乗ったり、ウォーキングをしたりするとのこと。また大の野球好きで、初めて来日した際は、東京ドームで野球観戦も楽しんだというマエストロ。筆者が「少し話題を変えたいのですが」と言うと、「それじゃあ、野球の話でもしましょうか?」など茶目っ気もたっぷり。インタビューでは言葉を慎重に選ぶ知的な語り口の中に、気遣いのあるとても温かい人柄が垣間見えた。日本の作曲家の中では、湯浅譲二、佐藤聡明、そして武満徹などに強い関心を寄せているという氏は、日本人、日本の印象として、「カオスと集中力とが同居している」と表現してくれた。
「東京を始めとする都会では人が多くてとても賑やかなので驚きました。でもその賑わいの中に、何か秩序、規律のようなものが感じられるからとても不思議ですね」
 二期会で初めて弾き振りをする『フィガロの結婚』は、氏の人柄と同様、暖かく楽しく、そして作曲家的な視点を備えたエスプリあふれるものになるに違いない。

Dennis Russell Davies(デニス・ラッセル・デイヴィス)
米国オハイオ州トレド出身。ジュリアード音楽院でピアノと指揮を学んだ。州立シュトゥットガルト歌劇場の音楽監督などを歴任し世界トップの音楽祭や劇場で活躍。現在リンツ・ブルックナー管弦楽団の首席指揮者とリンツ州立劇場の音楽監督を務める。
レパートリーは現代音楽からバロックまで幅広く、その優れた音楽性は高く評価されている。



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