TOKYO niki kai OPERA FOUNDATION NEW STYLE OPERA MAGAZINE

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オペラを楽しむ

コンヴィチュニーの描く『サロメ』

文・許 光俊

コンヴィチュニー演出を伝える
ネザーランド・オペラ広報誌「ODEON」。
配役予告の下にCoproductie met de Tokyo Nikikai Operaと記載がある。

 主人公の名前が題名となっているオペラは多い。創生期の傑作『オルフェオ』以来、『ドン・ジョヴァンニ』『フィデリオ』『アイーダ』『リゴレット』『ジークフリート』『トスカ』『トゥーランドット』等々。それも不思議ではない。平凡ではない人間が遭遇する平凡ではない事件、それがオペラなのだから…。
 というのが、一般的なオペラ観だった。少なくとも少し前までは。確かにアイーダは王女だし、フィデリオ=レオノーレは勇気凛々の強い女。オルフェオは動物にも語りかけられるという音楽の名手。常人とは違いますなあ。
「でも、それが彼ら、彼女らのドラマの本質かい? 違うんじゃないのかな」 それがペーター・コンヴィチュニーの仕事の出発点だ。そもそもなぜ『アイーダ』の悲劇が起きたか? 戦争があったから。『フィデリオ』は? 悪い権力者がいたから。『オルフェオ』は? 人間は誰であれ死ぬという運命を逃れられないから。なるほど一見特別な人間のお話に見えるけれど、実は違うのだ。誰にでも起こり得る困った状況があって、それがドラマの本当の原因なのだ。そうコンヴィチュニーの演出は語っている。つまり、どんなに例外的に見える主人公も、実は状況に巻き込まれて人生のなりゆきが決まってしまう普通の人間のひとりにすぎないということ。
 これを『サロメ』に当てはめるとどうなる? このオペラの主人公は、男たちを虜にする妖しい魅力を持つ美少女。まさに特別な人間が経験する特別な事件を描いたのが『サロメ』のように思えるのだけれど。
 コンヴィチュニー演出の『サロメ』では、まず設定が想像を絶している(以下、アムステルダムのネザーランド・オペラでの演出の内容が書かれているので、二期会公演での観劇当日の新鮮な驚きを失いたくない人は、読まないほうがいいです)。

写真提供はいずれもネザーランド・オペラ 『サロメ』 
演出:ペーター・コンヴィチュニー 美術:ヨハネス・ライアカー

 原作では、紀元前後、すなわちキリストが登場する頃のユダヤ地方が舞台になっているはずなのだが。何と! 第三次世界大戦後の物語に変えられているのだ。それも、核シェルターの中! 日本でも斬新な演出が少しずつ見られるようになってきたが、こんなのは初めてでは。
 もちろん、単なる思いつきではない。ちゃんと理由はある。原作でのユダヤ地方は、強大なローマ帝国の勢力下にあった。確かに一応は王様がいて、自分たちの国であるかのような外見だが、それはただの見せかけ。ご機嫌を損ねれば、たちまちローマ軍に蹴散らされる。真の独立にはほど遠い。当然、人々は強い倦怠感に襲われている。オレたち、何をすればいいの? 何かやりようがあるの? 出口は見えない。ただ、毎日が過ぎていくだけ。
 こんな息が詰まる宙ぶらりんの状態を、コンヴィチュニーは核シェルター内の閉塞感と置き換えたのである。

シェルターの中にいれば、とりあえず死なずにすむ。でも、外には出られない。とりあえず毎日命をつないでいるだけ。確かに原作とそっくりの状況だ。
 しょうがない、まあ、楽しいことでもやりましょうぞ!と、刹那的な快楽に浸る。酒や薬物に溺れ、異常なセックスに耽る。そうやって、うさを晴らすのだ。もうこうなっては、人間らしさやモラルなどあったものではない。畜生にも近いおぞましさ。
 でも、コンヴィチュニーは、近未来の人類を描きたくて『サロメ』を作ったわけではない。この核シェルター内の状況というのは、現代の私たちの状況でもあるのだ。なるほど、私たちは物質的には豊かな生活を享受している。でも、これがいつまで続くかはわからない。政治やら環境やらの深刻な危険がいっぱいある。不安は消えず、倦怠も覚える。そう、私たちも宙ぶらりんの状態の中で少しずつ生命をすり減らしているのだ。
 『サロメ』の見どころのひとつは、「七枚のヴェールの踊り」と呼ばれる場面だ。サロメが肌も露わな格好で踊り、王様を興奮させるシーンである。当然、普通ならいかにエロティックな誘惑を見せるかに重点が置かれる。だが、コンヴィチュニーの場合は違う。なんと、未来への出口を求めてもがき苦しむ人間のあがきが表現されてしまうのだ。近年、お客が固唾を呑んで見守るこのシーンを、わざとあっさりと色気ゼロで片づけてしまう演出が増えている。そんな「踊り」を見せられると、何だか損をしたような気分になるのは私だけではないと思うが、コンヴィチュニーの場合は、別種の強烈さがあって文句を言わせない。
 で、最後はどうなる? これについてはあえて口をつぐもう。なぜって、この演出では、最後の数秒に持っていくために、そこまでのプロセスがあるのだから。ちょっとだけヒントを記すと、サロメは死なない。ヨカナーンも死なない。『サロメ』はただの官能のドラマではなくなっている。なんと、未来への希望のための物語になっているのだ。
 えっ。
 そうでしょう、信じられないでしょう? それがコンヴィチュニーの『サロメ』なのである。

 
許 光俊(きょ・みつとし)
慶応義塾大学教授。音楽評論家。
著書に『コンヴィチュニー、オペラを超えるオペラ』(青弓社)
『これからを生き抜くために大学時代にすべきこと』(ポプラ社)
『世界最高のクラシック』
『世界最高の日本文学』(光文社新書)などがある。