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オペラを楽しむ

「大島ワールドの創り方」


文・室田尚子 写真・広瀬克昭

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007年2月に行なわれたリヒャルト・シュトラウスの『ダフネ』で大絶賛を浴びた大島早紀子が、2010年、再び二期会オペラを演出する。演目は「4部からなる劇的物語」と題されたベルリオーズの『ファウストの劫罰』。ドイツの文豪ゲーテの『ファウスト』をもとにしたベルリオーズの代表作だが、舞台上演を観ることのできる機会は滅多にない。この大作が、二期会の手によって上演されるというだけでも意義は大きいが、コンテンポラリーダンスの第一人者であるH・アール・カオスの大島早紀子の演出というのだから、これは注目作となること間違いない。
 今回は一足早く「二期会通信」誌上で、大島さんに『ファウストの劫罰』について、そしてオペラとダンスという芸術について語ってもらった。繊細で幻想的な「大島ワールド」の秘密に一歩でも近づくことができるだろうか。
 さて、その美しい舞台が観客の心に強い印象を残した『ダフネ』について、大島さん自身はどのような感想を持ったのだろうか。
 「『ダフネ』の舞台を経験した時、もっとも印象的だったのは、歌、音楽を耳だけでなく全身で共振して聞き、皮膚で感じた強い実感です。空間全体の呼吸や、空間的な間のとりかた、空間の陰りや湿度、目に見えないエネルギーのやりとりまで含めて身体で感じるもので、ダンスと深く通じると思いました。」
 ダンスとオペラとの共通点を見出した大島さんに、演出の姿勢について違いはあるか伺うと、「基本的には同じ」という答えがかえってきた。
 「クライマックスの瞬間、歌手が声に全てをゆだねる、自らを燃焼し尽くす声の享楽が意味を覆い尽くしてしまう、これが意味からの飛翔であり、観客に恍惚感を呼ぶのです。ダンスでも、身体がその限界を超えたように感じる瞬間は観客に陶酔感が生まれます。そうしたある種の超越、声の、身体の享楽を各シーンにおいて要求していくという点においては、オペラもダンスも同じです。確かに、意味を伝えることは大切ですが、どこかで意味を封じて、意味に付随した言葉にできないものを引き出していくことがもっとも重要だと思います。なぜならそうすることで、私たちの感覚はより自由に解き放たれるからです。意味を伝えながら、意味を捨てて意味を超えたものを伝えていくことで、観客の皆さんの想像力が鮮やかに、舞台という空間に花開いていくと信じています。」
 何かを表現することと、何かを伝えることはイコールではない。芸術とは、意味を伝えつつ、その意味の背後に広がる「大きな世界」を表現していくことだ。だがやっかいなのは、オペラには「言葉」がある。私たちは字幕を追いかけながら、つい言葉の意味「だけ」を受け取っていると錯覚しがちだ。
 「確かに、オペラでは字幕が歌の意味を伝えていきますが、それとは別に、お客様には声色やイントネーション、音の色合いや仕草や表情、動きのリズムなど多くのものが伝わっています。そしてそれは字幕の意味を豊かにしているのではなく、まったく別の方向から、作品世界をより豊かにしている。お客様は、字幕という網の目を通してその向こう側の世界を観ているんです。だから、網の目があまりに堅固なものになりすぎると、向こう側の豊かな世界が膨らんでいかないのではないかと考えています。」
 ところで『ファウストの劫罰』の世界を、大島さんはどのようにとらえているのだろう。
 「幻想的な物語ですが、それはただの夢物語ではなく、現代にも通じる生命の実感、身体や現実の実感を感じることのできる作品だと思いますし、またそういう作品として描きたいと思っています。」
 そもそも、現代とは「そうした実感が希薄になっている時代」だと大島さんはいう。「飛行機に乗れば自分の足で歩かなくても移動できるし、インターネットがあればすぐ検索できるので記憶装置は必要がなくなっている。隣の人のことはわからないのに世界の裏側はわかってしまう、という私たちの日常は、身体機能の拡張の機会と引き替えに、生きている実感の乏しい、一種の離人症的な感覚に支配されているといえるのではないでしょうか。」
 現代生活のもつそうした実感のなさと、『ファウストの劫罰』のもっている幻想性には接点がある、と大島さんは考える。たとえば、物語の中でファウストは、悪魔メフィストフェレスによってマルグリートの夢を見させられるが、これなどは、雑誌やテレビ、ドラマなどメディアによって繰り返し「理想の女性像」が刷り込まれている現代の状況にそっくり置き換えることができる。「神から与えられた肉体の有限性からの解放というメフィストフェレスの幻想は、現代にも色濃く存在している」という大島さんの演出は、こうした現代との接点が出発点となるようだ。
 「現代的でありながら、美意識や繊細な雰囲気を損なわないようにしたいとも痛切に思います。ファウストの絶望、愛、野心、希望、苦悩、歓喜を、観客の皆さんが一つの夢として体験し、見てくださった方一人ずつの中に、違った世界が結晶していくような作業をしていきたいです。歌手とダンサーの共同作業で、人間が生きていることの喜びを、ダイレクトに感じられる瞬間を創れたら嬉しいです。一回聞いたら忘れられないような感動的な曲が沢山ありますし、エンディングの天上の音楽も、この世のものとは思えない美しさです。その視覚化を成功させて至上の芸術的な恍惚感と陶酔が溢れた舞台を創りたいです。」
 最後に、『ファウストの劫罰』という作品世界について、大島さんはこう締めくくってくれた。
 「歴史の中で微少な断片に過ぎない個々の人間が、歴史を形作ってきました。ファウストが経験する錯綜した時間と空間は、そうした全ての歴史の断片である私たちが体験するであろう過去と未来、全歴史の全時間を凝縮した時空なのです。ゲーテの時空をベルリオーズが永遠化した、この「ファウストの劫罰」は、人類の至宝、人間の創りだした偉大な夢なのだということを肝に銘じて創作にあたりたいと思います。」
大島早紀子(おおしま・さきこ)
◎演出・振付家。H・アール・カオス主宰。独自の美学と哲学に支えられた空間感覚溢れる作品で支持を集める。海外での評価も高く、2000年にはThe New York TimeのDance of The Yearにも選ばれている。北米、欧州での大規模な公演ツアーで成功を収めている他、オーケストラとのコラボレーションなど幅広い活躍をしている。