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オペラを楽しむ

キャストインタビュー[オテロ]福井敬・[イアーゴ]大島幾雄

『オテロ』キャストインタビュー 文・山崎浩太郎 写真・若林良次


才能と表現力が求められるヴェルディ『オテロ』
そのオペラ至上最大の難役に挑む
お二人に心境と意気込みを伺った

人間の弱さを強い部分とのコントラストで表現してみたい
[オテロ]福井敬
   
テロを演じるのはもちろん初めてです。日本ではめったにやらないオペラで、数あるオペラのなかでも、すべてのスタッフにある種の覚悟が必要なものですから、歌い手もそれに応えて、それなりの形を残さなければなりません。今回、二期会からこのオテロという、いちばんドラマチックな役柄で声をかけていただきまして、自分の本来の声に合うかどうかは葛藤もあり、不安もないわけではありませんが、次のステップ、新しいものに挑戦することの重要性を考えて、お引き受けしました。
 ヴェルディのオペラは、亡くなられた若杉弘先生がびわ湖ホールで上演されたとき、七本歌わせていただきました。『ドン・カルロ』(※)以外は、ほとんどが日本初演だったと思います。そのときは、初期から中期にかけての若くて意欲的で挑戦的なヴェルディのもつ熱い部分に、とても共感できました。これだけまとめて歌う機会はめったにもてるものではありません。タイミングに恵まれた点もありますが、若杉先生の将来を見すえたお考えには本当に感謝しています。得がたいものをいただくことができました。
 ではそのあと、自分のものとして表現できるのは何だろうと考えたとき、ベルカント以来のナンバー・オペラを脱して、ヴェルディがより自由な音楽をつくりだした、総仕上げのオペラ『オテロ』に、今だから向き合えるのではないかと。実は、びわ湖ホールで稽古中に若杉先生から「最後にはオテロをやろうよ」と、ちらっと聞かされたことがあるのです。具体化はしませんでしたけれども、何という偶然か、それが二期会でかなう。何か運命的な、特別な思いを感じています。
 オテロは難しい役ですが、いつかはやってみたいものでしたし、今の年齢でないとできないでしょう。あまり年がいっては声が苦しいし、若すぎては表現ができない。
 この役には、お客様それぞれがさまざまなイメージを抱かれていると思います。歌手でいうなら往年のデル・モナコ、ドミンゴ、現代ならホセ・クーラとか。そのなかで私のオテロをつくれたらいいなあと思っています。嫉妬に身を崩していく背景には、人間のさまざまな対立、身分、階級、民族、宗教などが複雑にからんでいる。演出家とマエストロがどこをクローズアップしてくるかにもよりますが、ただ声を張りあげるだけでない、苦しみや悲しさ、境遇、影など、人間の弱さを強い部分とのコントラストで表現してみたいと思います。
 運命的なものを感じさせるドラマチックな役にやりがいを感じます。王子様とか二枚目とかは、うーん、どちらかといえば苦手なんです(笑)。
 劇中の人物の生々しい感情も、舞台では思いっきり出せるのが面白い。歌とドラマが融合しているオペラが好きなんです。ですから、お客様には自分の歌や声がいいというより、あの役がかわいそうとか、素敵でしたとか、役柄のことをいっていただけると嬉しく感じますね。
※編集注:イタリア語5幕版日本初演
嫉妬、愛情のズレなどから生まれるドラマをドライに割り切って見せたい
[イアーゴ]大島幾雄
   
アーゴは、第二幕のオテロとの二重唱をコンサートで歌ったことはありますが、有名な「クレード」(イアーゴのソロ)も歌ったことがないし、この役はまったく初めてみたいなものですね。
 いわゆる悪人の役を歌ったこと自体、とても少ないんです。ドン・ジョヴァンニがまあ、悪人といえば悪人だろうけれど、それくらい。でもイアーゴは、世評では根っからの悪役ということになっていますよね。わたくし自身もそう思っていまして、ですから一生やることはないと思っていました。
 イアーゴも含めて、イタリア・オペラというのは基本的に、きれいな声で歌うものなんです。ところがいまから四、五十年前に、イタリア人自身がドラマチックに、歌のパターンを外れて、プラスアルファの声や歌唱による演劇性、リアリティを前面に出した時代があった。たしかにその方がお客さんにはわかりやすいし、当時の歌い手が優れていたこともあって、イタリア・オペラにはそうしたヴェリズモ的なイメージができてしまった。イアーゴでいえばティート・ゴッビのようなタイプです。そうでないと、ミスキャストみたいにいわれる。
 しかし、世界の音源を広く色々と聴いてみると、けっしてそればかりではない。わたくしもフィレンツェでレナート・ブルゾンがこの役を歌っているのを見たとき、合わないと思ったんですけれども、お客さんは大声援を送っていました。むしろ、あのゴッビやバスティアニーニの時代が特殊だったのであって、それ以前もそれ以後も、イタリアではきれいにベルカントで歌っている。
 それを意識して、いかにもな悪人面ではなく、エリートで魅力的なんだけれども、じつは狡猾でいちばん悪い、そんなイアーゴにしたいと思っています。歌手というのは自分の声をこえることはできませんから、語り口とか、浮かしたような声色とか、そうした繊細な表現も生かしながらイアーゴの複雑さを描いていきたいです。
 悪人をやると、逆にかわいそうだといわれることがあります。いいところがあったのに、運命的に悪いものをつかんだだけで、かわいそうだとか。そんなふうに思われないイアーゴ、哀れさを出さず、といって憎まれて当然でもなく、ただ単にもっとクールな、嫉妬、愛情のズレなどから人間がこうなっていく、そのドラマを、ドライに割り切って見せたいと思っています。情感に訴えると、みじめなものになるだけでしょう。
 それにしても、『オテロ』や『ファルスタッフ』のような最晩年の作品は言葉が難しい。同じ内容をたくさんの別の言葉、別の言い回しで連呼する。辞書をひかないとわからない言葉も多いので、悔しいくらいにひいています。特に「クレード」までが大変ですね。とにかく、立稽古までに覚えないと(笑)。