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オペラを楽しむ

ウィリアム・シェイクスピア
William Shakespeare 
1564-1616

オペラ『オテロ』のこと

文・松岡和子



まさら言うまでもないことだけれど、ヴェルディのオペラ『オテロ』は、シェイクスピアの戯曲『オセロー』がもとになっている。
 オセローはムーア人(アフリカ系ともアラブ系とも言われるが、いずれにしろイスラム教徒)の元傭兵だが、芝居が始まる時点ではキリスト教徒に改宗しており、ヴェニス公国〔オペラではヴェネツィア共和国〕の将軍の地位まで上り詰めている。そのオセローがキャシオー〔同:カッシオ〕というフィレンツェ人を彼の副官に任命し、しかもヴェニスの貴族の娘デズデモーナ〔同:デズデモナ〕と密かに結婚したことから、状況は悲劇に向かって動き始める。オセローの旗手イアゴー〔同:イアーゴ〕が、功績ある自分を差し置いてキャシオーを昇進させたことを恨み、オセロー夫妻とキャシオーを破滅させようと企むからだ。
 折りしもトルコ艦隊が、当時ヴェニスの植民地だったキプロス島に攻めてくるという情報が入り、ヴェニス公国の公爵〔同:総督ドージェ〕は、トルコ軍討伐の指揮をオセローに任せる。一方、デズデモーナの秘密結婚に怒り心頭に発した父親は、オセローを厳罰に処してくれと公爵に訴える。
 というようなことは、つまり原戯曲の第一幕は、オペラ『オテロ』ではばっさり割愛され、嵐の中でオセローの船がキプロス島に到着するところから幕を開ける。ヴェニスでのあれこれは、その後の展開の中で巧みに語られる。

彩の国シェイクスピア・シリーズ
第18弾『オセロー』
演出:蜷川幸雄 撮影:高梨光司
 

 芝居とオペラの関係、と言うか両者の比較を考えるとき、必ず私の頭に浮かんでくる場面と言葉がある。イギリスの劇作家ピーター・シェファーが、モーツァルトとサリエリを主人公にして書いた『アマデウス』の一場面(第一幕第四場)、その中のモーツァルトの台詞である。
 「芝居だったら、四人の登場人物を一度にわめかせて巧くいきますか? 一人がしゃべり終わったら、次がしゃべるといった具合に、ちゃんと順番にしゃべらなきゃならないでしょう。ところがオペラだったらそれができるんだ! みんなが同時に口を開き、歌いあげることができるし、しかも観客はちゃんとそれを聞き分けることができるんだ! 驚くべき技巧じゃないですか!(中略)(サリエリに)これがぼくたちの仕事じゃありませんか、ぼくたち作曲家の? この男、あの男、この女、あの女の心を結び合わせることがぼくたちの仕事じゃありませんか!」(江守徹訳)
 この「技巧」こそが、芝居を向こうに回したときのオペラの強みだと思う。引用した台詞にあるように、オペラでは何人もの登場人物の思いをいちどきに、それどころか、ときには芝居の数場面分を一つの曲で表現できるのだ。
 この強みが鮮やかに生かされているのが『オテロ』の第二幕終わり近く、例のハンカチをデズデモナが落とし、それがイアーゴの手に渡るくだりだ(『オセロー』では第三幕第三場)。デズデモナが「もしも知らずにあなたに逆らい、あなたに罪を犯したなら……」と歌い始める、デズデモナ、オテロ、イアーゴ、そしてイアーゴの妻エミリアの四重唱である。

ジュゼッペ・ヴェルディ
Giuseppe Verdi
1813-1901
 

 愛と嫉妬の悲劇を急展開させるハンカチの、手から手への「早回し」の移動と共に、四人それぞれの心理が重なり、それと同時に、二組の夫婦の在り方と意識の対照も際立つという効果を生み出す。
 聞くところによるとヴェルディは、若いころからイタリア語訳でシェイクスピアに親しみ、その作品への敬愛は生涯にわたって途切れることがなかったという。それだけに彼は、シェイクスピアをオペラ化するに当たっても、今言ったオペラの強みを生かすことを「ぼくの仕事」だと考えたに違いない。それを念頭に置いてヴェルディのシェイクスピアものを思い返してみると、そういう例は枚挙に暇がない。
 と言うわけで、芝居で表現したら手間も暇もかかってしまう場面や台詞が、かくも見事に密度の高い「一曲」に込められているのだが、もうひとつ言っておきたいのは、シェイクスピアの「独白」の生かし方。芝居の上演でも独白は比喩的な意味でアリアだと言えるのだが、オペラでは文字通りそれがアリアになっている。特に原作戯曲をほぼ忠実に踏まえた『マクベス』の場合は、マクベス夫人が夫からの手紙を読む場面をはじめとして、ほとんどの独白がアリアとして歌われている。
 ヴェルディは『リア王』のオペラ化も構想していたと聞く。玉座を降りたリアが、二人の姉娘ゴネリルとリーガンに不当な仕打ちを受ける(家来を減らす、など)場は、三者三様の思いがぶつかり合い、どれほど重層的な三重唱になったことか、「風よ吹け!」で始まる嵐の場のリアの独白がどのように力強くスケールの大きなアリアになったことか、想像するだけで血がたぎってくる。
松岡和子(まつおか・かずこ)
翻訳家・演劇評論家。1942年、旧満州新京(長春)生まれ、東京女子大学卒業、東京大学大学院修士課程修了。著書に『シェイクスピア「もの」語り』、『快読シェイクスピア』(河合隼雄氏との対談)など。1996年に着手したシェイクスピア劇翻訳刊行はこの10月に19巻目(22作目)『ヘンリー六世』全三部が出版され、来年3月の蜷川幸雄演出によるさいたま芸術劇場での公演が決まっている。