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オペラを楽しむ

エーゲ海の明るみへ
ヘンツェ版『ウリッセの帰還』に寄せて
舩木篤也



 

『ユリシーズの帰郷』
Bunkamuraオーチャードホール
〈東京の夏音楽祭’92〉
提供:アリオン音楽財団 撮影:堀田正實


 バロック音楽を、そしてオペラというジャンルを確立したイタリアの巨匠、クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643)。その彼が晩年にものした『ウリッセの帰還』を、このたび二期会ニューウェーブオペラが、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(1926-)の作成した版で上演するという。ヘンツェといえば、ドイツ現代音楽の重鎮。どんな編曲が飛び出してくるのだろうと興味の尽きないところだが、最初に確認しておけば、このオペラにはそもそも、これと定まった原曲がない。
 たしかに、「オリジナル・スコア」は存在する。この作品がヴェネツィアで初演されたのと同じ頃、すなわち1640年頃に、ウィーンでの上演にあたって用意されたと推定される筆写譜がそれだ。しかしこれは、冒頭の「シンフォニア」など器楽部分でさえ五声で書かれているに留まり、ほかはもっぱらヴォーカル・パートとバス声部が記されているだけという非常に簡素なもの。どの楽器を用いよという指示もないのだ。
 これ以上くわしい楽譜が─マントヴァ時代に書かれた『オルフェオ』(1607年)の場合と異なり─残されなかった理由については、さまざまに推測されている。けれども、当時は通奏低音譜をもとに器楽奏者が即興で歌に伴奏をつけるのが普通だったわけで、これはべつだん驚くに値しない事ともいえよう。
 いずれにせよ、『ウリッセの帰還』を実際に演奏しようと思えば、具体的なオーケストレーションを各自で起こすほかない。ニコラウス・アーノンクールやルネ・ヤーコプスといった著名な指揮者たちもそうだった。ザルツブルク音楽祭の委嘱を受け、1985年に独自の版を世に問うたヘンツェの場合もそう。つまり、求められたのは編曲というより、実演譜の作成だったのである。
 もっともヘンツェ版は、アーノンクールやヤーコプスが試みた「古楽」の再生とは、まるで別ものである。ヘンツェ自身のことばを引こう。
「私にとって重要なのは、ありうべきモンテヴェルディの音楽を、想像し、空想することだけでした。オーケストラと声の響きでもって、また全体の雰囲気を通じて、(中略)この作品が初演された晩の文化的空気というものを、私のファンタジーを介し報告する。あたかも、その場に居合わせたかのように。いわば、そこで聴いたもの、体験したものを、私たちの空間と楽器によって規定された今日的音響状況に(そして今日の聴習慣に)移し置くわけです」
 なるほど、楽器編成をみると、フルオーケストラが用いられるのはもちろんのこと、多種多様な打楽器に加え、アコーディオンやエレキ・ギターまでが入っており、音色の「現代化」は一目瞭然。しかし、劇の進行に関してみれば、三幕仕立てから二幕仕立てへの変更、若干のカットなどがあるとはいえ、ヘンツェは「オリジナル・スコア」を極力尊重している。しかも、モンテヴェルディが「あまりにメランコリックなので」といって作曲しなかった場面にも付曲するという念の入れようだ。台本を提供したジャコーモ・バドアーロ(1602-1654)が「砂漠にて」と題した場面(ヘンツェ版の第二十二景)がそれで、ヘンツェはここに、モンテヴェルディ作の合唱マドリガルにもとづいて情感豊かな弦楽合奏曲をあてがった。ここは、ペネロペに言い寄る求婚者たちがウリッセの弓矢にことごとく倒れた後のシーンである。求婚者たちをたんなる悪役としてではなく、「弱さ」をもった人間として見るヘンツェのことだ。哀悼の気分を、どうしても表現したかったのかもしれない。
 こうしてみると、きわめて自由でありながら、ドラマに深いところで共感したヘンツェ版の姿が見えてこよう。楽器法にしても、モンテヴェルディが人物の立場や心理によって書き分けた音楽に対し、その都度敏感に反応している。たとえば、侍女メラントと廷臣エウリマコが登場する第二景。この快活な場面にいたって世俗的な舞踊アリアが支配的になるのだが、ヘンツェはここで初めてエレキ・ギターを前景に用いている。そして次に神々による名人芸的歌唱シーンがやってくると、ここぞとばかりに各種管楽器を華々しく鳴らすのだ。
 さて、このような細やかなスコアを音にする肝心かなめの指揮者として、このたび高関健が登場する。まさに適材と筆者も大いに期待しているところである。2007年の二期会との『魔笛』が好い例だが、高関はオペラといえども交響作品を手がけるときと同様、一点一画をおろそかにしない人。いわばアポロ的な姿勢を貫くわけだが、これには、自らが率いる楽団でラヴェルなどの20世紀オペラを好んでとり上げてきた経験も大いに役立っているに違いない。彼の演奏に接してヘンツェがこんなふうに言うことも、あるいは想像できるのではないか?
「私は、指揮者によって引き出されたオーケストラの響きの、そのアポロ的な美しさにとても打たれた。それはモンテヴェルディのウリッセの音楽を、ウィーン国立図書館のひきだしに仕舞われた筆写譜という存在から救い出し、エーゲ海の明るみへと引き上げたかのようであった」(ヘンツェ版世界初演に際してのリハーサル所見から)


高関健 たかせき・けん
桐朋学園大学卒業、ベルリン・フィル・オーケストラ・アカデミーに留学後、カラヤンのアシスタントを務め、タングルウッド音楽祭で故レナード・バーンスタイン、小澤征爾らに指導を受けた。83年ニコライ・マルコ記念国際指揮者コンクール第2位、84年ハンス・スワロフスキー国際指揮者コンクール優勝。翌年1月日本フィル定期演奏会でデビュー。ウィーン響、ベルゲン・フィル、ベルリン・ドイツ響、クラングフォーラム・ウィーン等に客演。99年プラハ放響、2000年ケルン放響公演では現地批評家からも絶賛を博した。96年渡邊暁雄音楽基金音楽賞受賞。現在、札幌交響楽団正指揮者。桐朋学園大学と東京芸術大学で後進の指導にもあたっている。

舩木篤也 ふなき・あつや
1967年生まれ。音楽評論家。「読売新聞」で音楽評・CD評を担当するほか、「ぶらあぼ」「レコード芸術」など音楽誌に寄稿。公演プログラムやディスクの 解説も多数。東京芸術大学ほかでドイツ語講師。共著書に、『地球音楽ライブラリー:ヘルベルト・フォン・カラヤン』(FM TOKYO)、『魅惑のオペラ特別版:ニーベルングの指環』(全4巻、小学館)、共訳書に『アドルノ 音楽・メディア論集』(平凡社)がある。