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オペラを楽しむ

『カルメン』指揮・佐渡裕インタビュー
文・山野雄大 写真・広瀬克昭
華やかで色もあって……
けれど、素足の似合う
軽やかなカルメンに魅せられてほしい。

 オペラの力を、もっと広く強く。佐渡裕芸術監督プロデュース・オペラ2009『カルメン』は、これまで例のない規模の上演となる。佐渡が芸術監督を務める兵庫県立芸術文化センターで続けてきたオペラ上演が、いよいよ兵庫・東京・愛知の3都市を結ぶプロダクションとして全15回公演がおこなわれるのだ(日本オペラ連盟・兵庫県立文化センター・東京二期会・愛知県文化振興事業団の共同制作)。6〜7月の1ヶ月にわたる公演に向けて稽古も進むなか、指揮の佐渡裕に話を聞いた。

 

 「子供の頃、僕が最初に体験したオペラは『カルメン』でした」と、佐渡は懐かしそうに語る。

「森正さんの指揮する二期会の京都公演で、実は僕も少年合唱の一人だったんですけど、背が高すぎて舞台にあげてもらえなかった」と笑いながら「練習だけ観て、出たいなぁと思いながら舞台を観たんですが、そこで僕はオペラというものの凄さと魅力に惹きつけられたんです。……いま指揮者になってチームでオペラを創っている原点は、子供の頃に観た二期会の『カルメン』。そういう意味でも、今回ご一緒できるのはとても光栄で、誇りに思います」

 

 

 海外では長らくパリを拠点にしてきた佐渡裕だが、今回の『カルメン』でコンビを組むのも、かつてパリ・オペラ座総裁をつとめた大物演出家ジャン=ルイ・マルティノーティ。今回の舞台は彼の日本でのオペラ初演出となるが「僕とジャン=ルイで意見が一致したのは、まずカルメンにはドン・ホセの人生を狂わせてしまうほど魅力的な女性であってほしいことと、決して太く重い声で演じるカルメンでないこと」

 今回はダブルキャスト上演で、カルメン役はグルジア生まれのステラ・グリゴリアンと、爽やかに薫りたつ二期会の名花・林美智子。 「ステラさんはジャン=ルイからの強い推薦があって、僕もパリで聴かせていただきましたし、僕からは林美智子さんを指名させていただきました。今回は〈低い太い声のカルメン〉というイメージからは少しはずしてみたかった。性格が悪い=カルメン、ではなくて(笑)、やっぱり観てる方も、この人は素敵な女性だなぁと思えるようでないと。華やかで、色があって……けれど素足の似合う、軽やかなカルメンに魅せられてほしい。風がスカートを揺らすのに僕らがどきどきしてしまうような、ね。この作品の楽譜には、すぐに踊って感情表現をするような動きのあるカルメンが描かれていると思いますし。二人とも素晴らしいオペラ歌手であるのはもちろん、とても美しい人ですし、自分の動きや表情を舞台で表現できる人」

 

 彼女に惚れ抜いて人生を狂わせてゆくドン・ホセ役には、マルセイユ生まれのルカ・ロンバルドと、輝かしい活躍を繰り広げる佐野成宏。
「もしかしたらカルメンは、ドン・ホセが自分の妄想の中で描いていった女性と重ねられているのかも知れない。彼の頭の中にある、自分の人生を捧げても崩壊してもいいと思えるくらいの魅力ある女性。目の前にいる女性はミカエラだけれども、愛に生き、自分に忠実な女性として生きるセクシーなカルメンがそこに重ねられて、どんどん惹きつけられてゆく。カルメンは、いま何のために生きているのかが非常にはっきりしている女性ですけど、習慣とか道徳という点ではミカエラとはまったく正反対」


 ミカエラ役は木下美穂子、安藤赴美子のふたりが歌う。

「たとえば、カルタで自分の運命が決定される、なんてシーンもミカエラではあり得ないことですよね。ドン・ホセにとってミカエラはある種のマリア様であり、母であり。それに対して〈女性〉として見えてくる対象、ドン・ホセが取り憑かれたように妄想してゆく憧れの女性像がカルメンなんです。……ジャン=ルイから訊いてはいてもまだ具体的にお話できないこともあるんですけど、彼からは〈メリメの原作に基づいた上で譜面に向かってほしい〉というアドバイスを貰っていて、僕も何度も読んでいます。ドン・ホセの一方的な妄想と現実の差、あるいはコンプレックス……。そうしたものは現代の僕らの中にもあるものですし、これから僕らが創ってゆく舞台は非常にリアルなものになってゆくと思います」

 

 ところでこの『カルメン』というオペラ、大きくわけて2つの版がある。もともとアリアや重唱などのあいだを台詞で演じてゆく〈オペラ・コミック版〉として創られた作品だったが、初演直後、ビゼーの友人ギローの手によって台詞部分もレチタティーヴォ(叙唱)で歌いつなぐ〈グランド・オペラ版〉に改変された。国外公演ではフランス語の台詞が難しいなどの事情から作られたのだが、この改変版のおかげで『カルメン』は世界的ヒットを飛ばすことになったわけだ。
 とはいえ、台詞であった箇所がレチタティーヴォで歌われるうえに、大幅なカットが加えられるなど、スタイルも印象もオリジナルとは大きく異なる。1964年に独アルコア社からオリジナルに基づく新校訂版が出版されたのをきっかけに、元の〈オペラ・コミック版〉に立ち返る上演・録音が増えた。


「今回の上演でも、いわゆる〈オリジナル版〉であるアルコア版を基本に使いますけれど、ギローが補作したレチタティーヴォも使いますので、両方が入り混じることになりますね。第1・2幕ではほとんどオリジナル版でレチタティーヴォはほとんど入れないつもりです」

 佐渡が台詞入りのオリジナル版にこだわるのは、彼がそこにこそ『カルメン』の強い魅力を見出しているからだ。


「この作品は、今で言う〈ミュージカル〉的なものだろうと思うんです。もともと〈オペラ・コミック〉として成立したこの作品では、お馴染みのナンバーががんがん登場して、会話があってお芝居があってオーケストラが鳴って……。ずっと歌手が朗々と歌っているのとは違いますよね。ミュージカルという言葉は当時まだ無かったでしょうけど、この作品が持っている魅力は、もともと非常にお芝居寄り、ミュージカル的なものだったわけです。もちろん『カルメン』がオペラの代名詞のような作品であることは間違いないし、レチタティーヴォ版が作られて〈歌手たちを聴かせ続け、歌手を歌手として魅せる作品〉として人気が出てきたのも、オペラが成熟してきた歴史の中で当然の方向性ではありますが」


〈芝居〉としての豊かな起伏は『カルメン』の音楽にも強調されている。
「どんなオペラでもそうでしょうけど、『カルメン』では特にコントラストが大事。たとえば、悲劇の冒頭に置かれているあのド派手な前奏曲から、宿命の動機がすぐ後に現れるというコントラストに始まって、最後では闘牛場の群集が牛に向かって歓声をあげているのを背に、ドン・ホセとカルメンが二人きりで殺人事件に至るというコントラスト。そういう対比がいろんなところに絶妙に置かれることによって、この作品を非常に魅力的なものにしている。……この曲にはコントラストによる〈驚き〉が大事なんです。ですから、音楽も次の音へのつながりがあまりにも予測できてしまうレチタティーヴォでつなげられてしまうと、これはとても抵抗を感じる。だから、今回はなるべくオリジナルを使いたかったんです。できるだけ間の台詞を残し、突然次の音が始まる、といったことを大事にしたい。ただ、第3幕ではオリジナルだけでなくレチタティーヴォ版を使うようになります。なにしろ、台詞が多くなればなるほどカルメン役とドン・ホセ役への負担が大きくなってくるんですよ」


 オリジナルを金科玉条とはせず、観客がぐっと魅せられる舞台を目指して柔軟に。

「アルコア版にあるオリジナルすべてが良いとは思わないし、8小節とか細かいカットはさせていただきます。世界中の劇場がいろんな箇所をカットする理由が、今回勉強してみて分かりましたね。なにしろ長い作品なんで」と笑いながら、「ただ、ジャン=ルイから厳しく言われたのは〈ドン・ホセとエスカミーリョの決闘のシーンに関しては、すべてノーカットでやりたい〉と。ここは上演によってかなり省いたりするんですが、今回はここ、たっぷりつくりますよ!」


 佐渡裕は若き日に関西二期会の副指揮者として『カルメン』上演に携わって以来、この作品を本格的に振るのは今回が初めて。積年の熱い思いを昇華させる日に向けて、稽古も佳境だ。

「今回はジャン=ルイという凄く手強い(笑)、作品の本当に深いところを読み込んでいる演出家を相方に、しかも今まで僕が見てきた中でこんなに面白いセットはない、という舞台(装置:ハンス・シャヴェルノホ)です。兵庫、東京、名古屋と舞台の大きさも機構も違いますし、舞台転換が頻繁におこなわれますが、見事に適応できるようになっている。このチームでなければ創れない舞台が生まれます。今まで動いていなかった心のひだを動かしてみたい、と思われるかたは、ぜひ劇場に足を運んでいただきたいですね」


佐渡裕 さど・ゆたか
◎京都市立芸術大学を卒業後、故レナード・バーンスタイン、小澤征爾らに師事。89年新進指揮者の登竜門として権威あるブザンソン指揮者コンクールで優勝。現在、パリ管弦楽団、スイス・ロマンド管弦楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団、イタリア国立放送交響楽団等、世界各地の一流オーケストラへの客演を重ねている。フランス各地の歌劇場でオペラを指揮し、07年オランジュ音楽祭/プッチーニ『蝶々夫人』(スイス・ロマンド管弦楽団)では大成功を収めた。05年にオープンした「兵庫県立芸術文化センター」の芸術監督を務める。08年4月より「題名のない音楽会」(テレビ朝日系列)」の司会を務める。

山野雄大 やまの・たけひろ
◎1971年東京生まれ。ライター。『音楽の友』『レコード芸術』『モーストリー・クラシック』などの雑誌や新聞への寄稿をはじめ、CD企画構成・ライナーノート、コンサート楽曲解説など、クラシック音楽を中心にバレエなど舞台芸術についても執筆。立教大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。