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「宮本亜門-ドレスの中に深い「いたみ」を抱えた女性を描きます」池田卓夫


 東京二期会が2009年2月、都民芸術フェスティバル助成公演としてヴェルディ作曲の『ラ・トラヴィアータ』を新たに制作、上演する。二期会の『ラ・トラヴィアータ』と言えば、長年にわたり再演されてきた栗山昌良演出の『椿姫』が余りにも有名だが、『椿姫』とは、あくまでデュマ・フィスの原作小説の題名であって、ヴェルディがオペラに授けたのはイタリア語で「道を踏み外した女」を意味する『ラ・トラヴィアータ』だけ。21世紀初頭に創立50周年を祝い、『椿姫』から『ラ・トラヴィアータ』へのヴァージョン・アップを目指す二期会から新演出を託されたのは、こちらも50歳の節目を迎えた宮本亜門さん。二期会ではダ・ポンテ台本によるモーツァルトのイタリア語歌劇三部作『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『コジ・ファン・トゥッテ』をすでに手がけ「四本目の話はもうないだろうと思っていたら、栗山先生が長年演出されてきた『椿姫』と同じ『ラ・トラヴィアータ』と聞き、驚きました」と。世界中を飛びまわり超多忙の亜門さんを追いかけ、『ラ・トラヴィアータ』への抱負を聞いた。

─『ラ・トラヴィアータ』のヒロイン、ヴィオレッタ・ヴァレリーの“職業”はクルティザン。日本語の定訳は「高級娼婦」ですが、現代の世界では表向き絶滅した職種と考えられていて、舞台設定を現代に近づけたとき、演出家がぶち当たる壁にもなっています。
 「確かに高級娼婦を現代のセックスシンボル、セレブリティーに読み替え、ヴィオレッタにマリリン・モンローを思わせるブロンドのかつら、ほくろを着けるような演出は多いですね。設定を現代に置きかえると……という解釈もわかるけど、もうそのやり方は濫用されているし、僕にとって興味が沸くものではありません。それより、ヴェルディは高級娼婦を物語にするのが目的ではなく、ヴィオレッタが内面に抱える《いたみ》を作曲家の世界観に照らして音楽の美に換え、伝えたかったのだと思います」
 「僕自身、視覚の設定より内面の表現を重視した演出に共感します。今回の『ラ・トラヴィアータ』でも内面の語りを手助けするような演出を心がけます。ドレスにしても、観客が《きれい》と感じる部分より、ヴィオレッタ本人が《きれい》と納得してまといつつも、深いいたみを持っている象徴の方向で発想したい。同じ人間として人種を超え、だれもが内側に秘めているいたみを探る路線の演出の方が、『ラ・トラヴィアータ』を元々つくろうとした人々の気持ちにも沿っている気がします」

─私自身は栗山昌良演出の『椿姫』をみるといつも、かつて西洋起源の演劇語法を日本の文化土壌と融合させる上で「新劇」が生まれ、日本人が大げさなかつらやメイクで西洋人に“化ける”「赤毛物」というジャンルが存在した事実を思い出します。澤畑恵美さんの歌い演じるヴィオレッタがときどき、杉村春子さんのブランチ(欲望という名の電車=T・ウィリアムズ)、東山千栄子さんのラネーフスカヤ(桜の園=チェーホフ)に見えるのです。もう一つの栗山オペラ演出のロングラン、『蝶々夫人』と比べても、より徹底した「赤毛物」の傑作が『椿姫』だったのだと考えるのですが、亜門さんはどう対処されますか?
 「ヴィオレッタは西洋人には違いないですが、僕の中にもはや《赤毛物》の意識はありません。かつて歌舞伎の名女形がヴェルサイユ朝の王妃を豪奢なドレスの裁き方に至るまで完璧に演じる姿を拝見した際、僕はそこに、性的にドロドロした西洋の宮廷ではなく、日本の静かな能舞台を感じました。日本人があこがれる西洋は理想の世界なのだと思いました。しかし、実際にはドレスの裾をまくり上げ、大股で駆け回り、愛の戯れにふけっては傷つく人間たちがいた。以前、中嶋朋子さんを主演に渋谷のパルコ劇場で演劇の『椿姫』を手がけたときの台本は、そんなリアルな方向に持ってゆきました。ヴィオレッタは血を吐きながらも果敢に立ち回り、アルマン(オペラではアルフレード)を突き飛ばしても彼を守ろうとする生々しい女。もちろん娼婦だったのだから、肉体関係の存在もはっきりとさせました。当時のキリスト教社会にあって、彼女の抱えた道徳的な罪悪感は並大抵のものではなかったはず。激しいいたみを覚えていればこそ、アルマンにあそこまでのめり込むことになったのでしょう」

─二期会の舞台に向け、具体的な視覚や演技のイメージをお話し下さい。
 「まず特定の時代は設定しません。現代といえば、現代かもしれません。舞台装置の構えは大きいですが、簡素です。衣装やメイクでは《生身の女性》を描きます。二期会の歌手のみなさんはダ・ポンテ三部作の仕事を続ける過程でも、大きく変わりました。世界の様々な舞台芸術、演出に積極的に接し、新しい動きを知りたがっているし、自らを変えたがっている。彼らの先生たちの世代には守旧派もおられるので、一気に変化をしないまでも、過去の良いところも学びながら、新しい二期会オペラの舞台を切り拓いていく気概に満ちているので、稽古場の雰囲気もいいのです。『ラ・トラヴィアータ』の内面世界を彼らとともに、深く探っていく作業を今からとても楽しみにしています。お客様に《芝居よりドラマがある》と言われる舞台にしたいし、オペラと疎遠な一般の人々にも大勢、観て頂きたいです」

─亜門さんや私も訪れた2008年夏のザルツブルク音楽祭では「演出の不作」が話題になりました。台本や作曲の真意より演出家の思いつき、挑発が勝る状態の読み替え演出に明確な拒絶がある半面、往年の“伝統的”な舞台にも戻れず、両者の中間で新しい路線を模索しているという感じです。
 「僕はザルツブルクだけでなく、エジンバラ、ベルリン、パリ……など色々とみて回りましたが、やはり、演出が混迷の時代に入ったとの印象を持ちました。何か新しいものを目指すにしても読み替えに次ぐ読み替えは飽きられ、オーソドックスに多少の色づけをするだけでも済まない。次に何を持ち出したら、オペラは新しい命を得て生き延びられるのか。皆が腕を競う面白い時代になりました。僕はとても、やり甲斐があると思っています」

─先ずは「ラ・トラヴィアータ」での成功、お祈りします。ありがとうございました。
宮本亜門(みやもと・あもん
◎1987年オリジナルミュージカル「アイ・ガット・マーマン」で演出家デビュー。近年は、東京二期会でモーツァルト3部作の演出、07年にはサンタフェ・オペラでタン・ドゥン作曲のオペラ『TEA』の演出を手がける。ミュージカルのみならず、ストレートプレイ、オペラ等、現在最も注目される演出家として活動の場を広げている。09年1月にブロードウェイ・ミュージカル「ドロウジー・シャペロン」、4月に「三文オペラ」を上演予定。最新著書「バタアシ人生」(世界文化社)。
池田卓夫(いけだ・たくお
◎1958年東京・杉並生まれ。81年、早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業と同時に(株)日本経済新聞社へ編集局記者として入社。産業部、広島支局、証券部、国際部の記者を経て88〜92年にフランクフルト支局長。93年に文化部へ移り、95年から編集委員(現在は編集局長付記者)。音楽についての執筆は高校在学中に始め、86年からは「音楽の友」などの雑誌にも出稿。演奏会やCDのプロデュース、解説、オペラのキャスティング、音楽コンクール審査員、各地ホールのアドバイザーなども務める。