TOKYO niki kai OPERA FOUNDATION NEW STYLE OPERA MAGAZINE

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オペラを楽しむ

すばらしい!
共同制作の輪
江川紹子


嗚呼、もったいない!
オペラを見終わった後、そうつぶやきながら溜息をつくことがあります。公演が素晴らしいものであればあるほど、その溜息は深く、長くなります。
 なぜかというと、日本で制作されるオペラ公演の多くは、1回か2回の上演で終わってしまうからです。二期会主催のオペラ公演も、ダブルキャストで(たった)2回ずつ。よく出来た公演なのだから他の地域でも上演すればいいのに、と思っても、そういう機会はほとんどなさそう。同じ歌手での再演も、極めて稀。歌い手の方々は長い時間をかけて準備をするのでしょうし、セットや衣装にもお金がかかっているのに、それっきりなんて、本当にもったいない!
 ならば、各地のホールや団体が協力し合って共同制作し、全国各地で上演するようにすればいいのに……と、ずっと思っていました。そうすれば、旬の歌手が所属団体の違いを超えて共演する最高の舞台を、全国のファンは地元で楽しむことができます。特定の歌手の“追っかけ”にとっては、上演の機会が増えるのはうれしい話。公演回数が多くなれば、経費の面で各主催者の負担が減り、チケット代が安くなるかも……という期待もあります。
 だから、びわ湖ホール、神奈川県民ホール、東京二期会が、今年2月に共同で『ばらの騎士』を上演した時には、小躍りして喜びました。こういう機会が増えるといいなと期待していたら、なんと来年は『トゥーランドット』をやると聞いて、万歳三唱。福井敬さんのカラフをもう一度聞くことができるなんて、なんてうれしい知らせでしょう。
 フィギュア・スケートの荒川静香さんが金メダルをとったトリノ五輪の演技以来、『トゥーランドット』は海外からの引っ越し公演で取り上げられる機会が増えたようですが、日本人キャストでの公演がなかなか行われないのがとても残念でした。せっかく最高のカラフ歌いが日本にいるというのに……。これまた「なんと、もったいないことよ」と嘆いていたのでした。
 もったいない!─この思いは演奏する側もお持ちのよう。指揮者でびわ湖ホール芸術監督の沼尻竜典さんが、おっしゃっています。 〈上演の回数を重ねて、年齢も重ねて、「深める」ということが大事なんです。(中略)日本の歌手がかわいそうなのは、たとえばウィーンやベルリンなら、絶対に翌年、場合によっては翌々年も再演があるわけですよ。日本は再演がほとんどないでしょう。ひとつの作品にじっくりと、ある意味人生をかけて取り組むということがなくなる。もったいないと思います〉(同ホール機関紙「湖響」2007年12月より)
 さすがマエストロ。同じ「もったいない」でも、私のようなミーハーファンと違って、話の中身に深みがあります。
 ただ、「かわいそう」なのは歌手だけではありません。オペラファンだって、「かわいそう」なんです。大好きな歌手の当たり役は、何度でも生の舞台で見聞きしたいのに、それがなかなか叶わないんですから……。
 例えば、福井さんのカラフは、まさにそういう繰り返し見たい聞きたい役。なのに、私はまだ3回しか見てません(涙)。アリア「誰も寝てはならぬ」は、福井さんのリサイタルなどで何度も聞いて、そのたびに興奮したり感動したりするけれど、やはりドラマの流れの中で聞きたいもの。他に、「泣くな、リュー」もあるし、トゥーランドット姫との二重唱、リューの感動的なアリアなど、聞きどころ満載の作品ですから、「誰も…」を聴けば聴くほど、オペラ公演を見たい思いは募るばかりです。
 今回の公演で、積年の願いが叶うばかりか、福井カラフには高橋薫子さんのリューという絶妙の組み合わせ。リューといえば、もう一組の木下美穂子さんも聞き逃したくありません。リュー最期の場面なんて、想像するだけで涙が出てきそうです。
 演出も楽しみです。粟國淳さんと言えば、新国立劇場『ラ・ボエーム』のしみじみと美しい舞台が印象深いのですが、最近の《三部作》の上演でも、音楽が聞き手にじっくり染み渡るような演出をされていました。プッチーニ作品では、とりわけその手腕を発揮されているような気がします。
 時間の都合と財布の事情が許せば、両ホールの公演に行きたいくらいですが、たとえそれが実現しても、見終わった時には、きっとこうつぶやくのでしょう。
 「これで終わり? ああ、もったいない」
 本番の何ヶ月も前にこんなことをお願いするのは恐縮ですが、主催者は今から再演の計画を立てて下さいませんか。そして、こういう共同制作共同公演の輪が、北海道や九州などにも広がっていったら素晴らしいと思うのですが、いかがかしら。
江川紹子(えがわ しょうこ)
◎ジャーナリスト。1958年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、神奈川新聞社入社。87年同社を退社し、以後フリーで活動。95年菊地寛賞受賞。主な著書に『学校を変えよう!』(NHK出版)『父と娘の肖像』(小学館)など多数。熊本日日新聞でコラム『江川紹子の視界良好』等を連載。