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オペラを楽しむ

私とオペラ
田嶋陽子

 私が生まれて初めてオペラに触れたのは、高校時代、学校にソプラノ歌手の砂原美智子さんがいらした時なんです。「人間の声ってなんて素晴らしいんだろう」と感動して、オペラ作品を色々探し始めて出会ったのが『蝶々夫人』でした。特にアリア〈ある晴れた日に〉が好きになりました。その後、津田塾大学に進んで寮生活を送ることになったんですが、寮が面していた運動場の端に津田梅子さんのお墓があって、講義が終わって夕方になると、いつもそのお墓の前で〈ある晴れた日に〉を歌っていましたね。大学院生の時、マリオ・デル・モナコとレナータ・ティバルディの来日した公演に行ったのが初オペラ鑑賞です。もうすごく感動して…人生、最初で最後の追っかけになりました(笑)まさに「人間の声の素晴らしさにはまった時期」です。
 『蝶々夫人』に関してはもう一つ思い出があって、1980年代にイギリスに留学していた時、イギリス人のボーイフレンドに連れられてコヴェントガーデンに『蝶々夫人』を観に行ったんです。そこで他のお客さんが休憩時間に、からかうような視線でこっちを見たり、休憩時間にはヒソヒソ話をしたりする。初めは、日本人が珍しいのかな、ぐらいに思っていたのですが、ボーイフレンドまで一緒になってからかうので、終演後に「失礼だ!」って怒ったんです。そうしたら彼が、「君はいつも女性の人権だとか、自立だとか言っているけれど、今のオペラを見れば、日本での女性の地位がいかに低いのかがよくわかる」と言う。当時、ロンドンでは日本車買わない運動のステッカーを貼った車が走っていたし、日本人の観光客が団体でやってきて、今で言う“爆買い”をしていたり…。そんな時代ですから、日本人に対する反感が強かったんですね。そう言われて私は、内心では忸怩たる思いでした。フェミニズムの立場からすれば、日本の女性が家庭に閉じ込められて搾取されているお陰で男性が働けている、ということはよくわかっていたので。『蝶々夫人』を観ると感動して泣いちゃうんですが、やはり、男にすべてを奪われても女は操が大事、というお話は不愉快でした。だからそれ以来『蝶々夫人』は封印しました。
 定年退職後に機会があって、シャンソンを歌い始めました。今年で10年めですが、私が好きなのは色恋の歌よりも反戦歌や革命の歌です。歌う、ということは、その歌の「意味」が非常に大事。高校生の時に魅せられて以来、『蝶々夫人』から学んだことですね。(談)

田嶋陽子(たじま ようこ)

 元法政大学教授。元参議院議員。英文学、女性学研究者。
女性学の第一人者として、またオピニオンリーダーとしてマスコミでも活躍。津田塾大学大学院博士課程修了。2度のイギリス留学。
65歳を過ぎてから歌と書を始め、現在、歌手活動とともに、書でも自分の世界をつくるべく格闘中。
今年3月初個展「こもれる日々」開催(東京・表参道)。著書に『愛という名の支配』『ヒロインはなぜ殺されるのか』など多数。