TOKYO niki kai OPERA FOUNDATION NEW STYLE OPERA MAGAZINE

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オペラを楽しむ

齋藤薫 美女になるオペラ
Vol.2

幕が降りてもしばらく立てない、声も出ない、
その時あなたの中で、浄化が起きている!

 オペラの観客は、非の打ち所なく幸せそうである。華やかに着飾り、穏やかな表情で、ゆっくり流れて行く時間を惜しみなく慈しんでいる。パーティの気負いも、セレモニーの堅苦しさもなく、

『アイーダ』第四幕より
MET ライブビューイング18-19
~東劇ほか全国にて11月2日(金)より公開~
©Marty Sohl / Metropolitan Opera

異次元の総合芸術にただただ体ごと浸ろうとする開演前の人々は、まさしく歓びに満ちている。こんなにも手放しに幸せな人々が集まる場所が、他にあるだろうかと、歌劇場に行くたびそう思う。
 しかし終演後、観客の中に開演前とは全く異なる気配を感じ取ってドキドキすることがある。開演前のあっけらかんとした幸福感とは違う、教会で祈りを捧げた後の如く、心を清められ、満たされた静謐な表情を見せる人が少なくないからなのだ。中にはもちろん、心の置き場なく呆然としている人もいる。ともかくそういう浄化のシャワーを浴びた人々を眺めるのが、私はとても好き。
 例えば『アイーダ』のように、救いがないほど悲劇的なエンディングにもかかわらず、死をも恐れぬ愛の力で結ばれたアイーダとラダメスの二重唱は、自分の中に閉じ込めた苦悩までも湧き上がらせて洗い流してくれる。でもそれ以上の浄化力を持つのが、王女アムネリスの激しくも哀しい嫉妬。罪深い分だけ切ない女心は、自分の中に眠る負の感情をぐいぐい引き出して昇華させてくれる。それこそがカタルシス。何物にも代えがたい素晴らしい力で私たちを浄化してくれるのだ。
 そもそもオペラほど強烈なカタルシスをもたらすものはこの世にない。どんなに幸せな人にも宿る鬱積した感情や心のしこり、ある種の邪念を、幕が降りると同時に怒涛のように溢れ出させるのに、一転、信じられない心の平和で包んでくれる。その反動こそオペラの醍醐味。
 でも幕が降りた後も、しばらく立てないほど、声も出せないほど、現実に戻るのが難しい。その時間が長ければ長いほど、オペラのカタルシスは心の陰りを清らかに洗い流してくれるはず。それこそが美女を作るオペラなのではないだろうか。

齋藤薫(さいとう かおる)

女性誌において多数の連載エッセイを持ち、読者層から絶大な支持を誇るカリスマ美容ジャーナリスト、エッセイスト。
『されど男は愛おしい』『あなたには“躾”があるか?』『ちょっと過激な幸福論』(講談社)、『一生美人学』(朝日新聞出版)、など著書多数。実は、大のオペラ・クラシック音楽ファンでもある。