話
を伺ったのは、3年ぶりにゾフィーを歌う『ばらの騎士』の稽古のあとだった。「今は、元帥夫人にシンパシーを感じるんです。元帥夫人の大きな愛情が伝わるといいな、と」 3年前と違って、若い恋人から潔く身を引く大人の女に共感するようになった、というのだ。 「こうした視点の持って行き方次第で、歌い手もお客さまも、ひとつの役で一生楽しめるんですよ」 自分に合う役だけを大切に歌っている幸田さんならではの言葉だ。しかも、涼やかな美声でコロラトゥーラの超絶技巧をさりげなく披露する彼女に合うのは、超難役ばかり。 きっかけは、20歳のときにレッスンに行ったイタリアだった。 「教わった先生が私と同じような声だったんです。あなたの声はこれだから、とレパートリーをたくさんいただいて。オランピア、ラクメ、ジュリエット、夜の女王……。そこからハイ・ソプラノのレパートリーを始めることになったのです」 それらは、今も幸田さんのレパートリーの中心にある。 「モーツァルトが大好きで、自分に合っていて歌う機会も多いし、あえてレパートリーを広げなくてもいいかな、と。それに、年齢とともに成長して、同じ役を何年か経って歌ったときに表現が深まっている、というほうが興味があるんです。08年の『ナクソス島のアリアドネ』はどう? その2年後はどう? というのが大切だと思います」 モーツァルトは、プラハで録音された初のソロ・アルバムで楽しむとして、今回のツェルビネッタ。02年に新国立劇場で歌ったときから、どんなふうに成長しているか、いきおい期待が膨らむ。 「大好きな役で、歌えるようになる前から、楽譜を買ってずっと見ていました。グルベローヴァやドゥセ、など好きな歌い手はみなさんツェルビネッタ歌い。私はこんなに陽気に見えるけど、それはそう見えるだけ、人は私の表面しか見ないの、みたいなところにとても共感します」 とはいえ、有名なアリア「偉大なる王女様」など、超高音と超絶技巧が満載の屈指の難曲だが、 「歌詞に書かれている心情が自然なうねりになっているから、そんなに難しいと思ったことはないんですよね。私には、ミミとかサロメを歌うほうがよほど難しいですよ」 ところで、一昨年、幸田さんのもとにパリのエージェントから電話がかかってきたという。 「ミドルイーストで上演する(モーツァルトの)『劇場支配人』のオーディションがあるというので、パリで受けたんです。私はフランスの中東部だとばかり思っていたら、中東のヨルダンで。治安が悪いときいて悩んだし、泊まったホテルで8カ月前に自爆テロがあったとか。でも、フランスからきたオーケストラの人たちに地元の奏者が混ざって、一緒に音楽を作り上げる素晴らしい経験ができました。現地の人もみんなモーツァルトが好きで、こんなにも普遍的なのかと改めて思いました」 こうした経験こそ、幸田さんの歌をいっそう深くする糧なのだろう。 |
一
番勉強して、どうしてもやりたかった役で、気合も十分です!」と、ツェルビネッタにただならぬ意欲をみせる安井さん。文化庁在外研修員になって、昨年10月までウィーンで勉強した。 「留学当初は週に4日か5日、後半はさすがに勉強があるので減りましたが、それでも週に一度くらいは国立歌劇場でオペラを観ました」 うらやましい!意外にも、まめに歌劇場に足を運ぶ歌い手は少ないが、本物の舞台に触れるのが、最高のイメージトレーニングであるのは疑いない。 「文化庁の研修テーマがR・シュトラウスとモーツァルトでしたが、決定的だったのは、05年末にグルベローヴァのツェルビネッタを観たことですね。将来やってみたい役でしたから、いつもは2ユーロの立見席なのに、その日は157ユーロの最高席を買って、それがたまたま正面のロイヤルボックス一列目センターでした。私だけのために歌ってくれているという気分で、最高に感激して」 以来、安井さんのツェルビネッタへの思いは募るばかりで、そこに、この役のオーディションの知らせが舞い込んできたのだ。 「周りからも〝陽子ちゃん、受けないの?〞と言われたんですが、留学中だし諦めていました。そうしたら先生が、チャンスを逃してはいけない、と。オーディションの少し前に、ディアナ・ダムラウがツェルビネッタを歌う『ナクソス』を観ることができました。そして1週間前のグルベローヴァの『清教徒』では、出待ちして『ナクソス』のスコアにサインをもらい、憧れの歌手から励まされて、やる気も出て」 気持ちも、役へのイメージも最高の状態で受けられた昨年6月24日のオーディションで、見事に憧れの役を射止めた。さらに、その前日には、夜の女王(08年11月日生劇場『魔笛』)のオーディションにも合格してしまった。 「シュトラウスの音楽は、川の水のように変幻自在ですよね。その中で水面にキラキラッと映えるきらめきがツェルビネッタかな。そんな輝きを表現できたらいいと思います」 ヨーロッパでのオペラデビューは05年10月、オーストリアのクラーゲンフルト市立劇場、ヘンツェ『若き貴族』のイーダ役だった。 「運よくオーディションを受けるきっかけを作っていただきました。劇場は3点F音を伸ばせる(!)人をウィーン中探していたんです」 見事に合格し、稽古初日のこと、 「現代曲だから音楽稽古があるのかと思ったら、すぐに立ち稽古だったんです。私は準備をたくさんしていったので、何とか対応できましたけど」 ツェルビネッタについても、 「テキストをよく読んで表現していきたいです。作曲家が悩んでいるときは楽観的に、アリアドネが悲しみを歌うとき、明るく楽しく歌いますよね。作曲家とアリアドネが理想主義とするなら、ツェルビネッタは現実主義といえるかも知れません。ひとつの色がいろいろに感じられるように、いろんな音色にこだわり、稽古そして本番に向け、準備万端で臨みたいです。今から楽しみです!」 こんなに情熱的に語られたら、聴き手はもっと楽しみになります!」 |