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オペラを楽しむ

楽屋落ち歌劇の傑作


文・田辺秀樹

ヒャルト・シュトラウスが詩人ホフマンスタールと組んで作り上げたオペラ『ナクソス島のアリアドネ』は、〈オペラについてのオペラ〉だ。ここでは舞台裏を見せる楽屋落ちの趣向によって、さらに劇中劇という枠作りの趣向によって、総合芸術であるオペラ自体がオペラの題材にされている。
 〈楽屋落ち歌劇〉は十八世紀に数多く作られた。オペラがその誕生からほぼ百五十年を経てひとつの爛熟期を迎えたとき、マンネリに陥りがちな閉塞的状況のなかで、多くのオペラ作曲家たちが〈劇場支配人もの〉を書いた。もはや「まともな」題材では面白くない、ウケない、と考えた台本作家や作曲家は、オペラ上演の舞台裏を自己アイロニーを込めて、というか、かなり自虐的に暴露することにパロディスティックな喜びを見いだしたのだ。ペルゴレージ、チマローザ、パイジェルロ、テレマンといった作曲家たちが、この種の〈劇場支配人もの〉、〈オーディションもの〉、〈音楽教師もの〉、〈練習風景もの〉を残している。モーツァルトには『劇場支配人』(一七八六年)があるし、これと同じ機会に上演されたサリエリ作曲の『初めに音楽、次に言葉』も、楽屋落ち歌劇だった。
 『サロメ』、『エレクトラ』、そして『ばらの騎士』と、次々に輝かしい成功作を世に送り、オペラ作曲家として功成り名を遂げたシュトラウスにとって、楽屋落ちの趣向は魅力的なものに思われたに違いない。というのも、楽屋落ちオペラは遊戯、引用、実験、パロディーといったシュトラウス好みの要素をふんだんに持ち、オペラ作品が出来上がる過程や上演の実態、社会的役割や聴衆の反応といった、オペラをめぐるあらゆることがらについての反省的な考察を可能にするものだからだ。『ばらの騎士』以降、オペラ創作において前衛の旗手としてひたすら「前進」するよりも、むしろ過去、とりわけモーツァルトの十八世紀に目を向けるようになったシュトラウスは、楽屋落ちの『ナクソス島のアリアドネ』でその遊戯好きな本領を遺憾なく発揮し、またあらたなシュトラウスならではの傑作を生み出すことができた。
 『ナクソス島のアリアドネ』は、前半の「前芝居」と後半の「オペラ」という二つの部分から出来ている。「前芝居」では、「オペラ」(『ナクソス島のアリアドネ』)の上演を前にしての舞台裏での混乱した状況が描かれる。登場するのは音楽教師、作曲家、舞踏教師、テノール歌手、プリマ・ドンナといったオペラ関係者たち、ツェルビネッタ、ハルレキンら即興喜劇のコメディアンたち、それにパトロンである富豪の意向を伝えるメッセンジャー役の執事長といった面々。オペラの関係者たちは、気まぐれなパトロンの意向に振り回されて困惑するばかり。そんな状況のなかで、オペラという総合芸術が議論の的となる。悲劇と喜劇、言葉と音楽、歌とダンスといった芸術上の問題にとどまらず、歌手同士のライヴァル意識、削除(カット)の是非、聴衆へのウケ、パトロンとの屈辱的な関係等、実践や受容の側面にまで及ぶ忌憚のないオペラ論議が、登場人物たちの巧みな配置と状況の設定を通じて、機知と皮肉に富んだせりふのやりとりの形で展開されるのだ。
 オペラ関係者たちは、その晩演じられようとしている歌劇『ナクソス島のアリアドネ』についても、さまざまに語る。そのさい、台本作者ホフマンスタール自身が色濃く投影されているのが「作曲家」の役で、メゾ・ソプラノが歌うこの男装役の口を通じて、劇中歌劇のテーマが説き明かされる。貞節と多情、持続と変転、孤独と社交等の対比関係、死と再生の神秘といったホフマンスタール特有のテーマだ。しかしまた、「作曲家」によるそのような真剣な説明も、舞踏教師やツェルビネッタがそれぞれの立場から勝手気ままな解釈や批判をすることによって、ことごとく相対化され、アイロニーで彩られてしまうという次第なのだ。
  後半の「オペラ」においては、パトロンの気まぐれな要望に従って、格調高い悲劇オペラと下世話な即興喜劇という二つの異質な世界が一緒くたにされ、同時進行で展開する。愛するテセウスに見捨てられ、ナクソス島に置き去りにされた運命を嘆くアリアドネに対し、ツェルビネッタをはじめとする陽気な喜劇役者たちが、悲しみに沈む王女様を慰め、茶化し、励ますことで関わり合いを持つ。すべてにおいて対照的なアリアドネとツェルビネッタは、最後まで互いに理解し合うことはないが、ほかならぬその無理解もしくは誤解という関係性のなかでこそ、この重層的構造の楽屋落ちオペラは、死と再生の神秘的合一という大団円を迎えるのだ。
 『ナクソス島のアリアドネ』には聴き所がたくさんある。「前芝居」は言葉のやりとりに重点が置かれているが、そうした中でも「作曲家」がオペラへの熱い思いを歌って高揚する場面は、旋律も美しくたいへん感動的だ。後半の「オペラ」では、アリアドネとツェルビネッタがそれぞれ歌う二つの大アリアがなんといっても最大の聴きどころ。とりわけツェルビネッタのアリア「偉大な王女様」での華々しい高声のコロラトゥーラは最高にスリリング。そのほか、三人のニンフたちの美しい響きの重唱、喜劇役者たちのユーモラスなやりとり、大詰めでのバッカスの朗々たるテノール歌唱なども、このオペラのハイライトだ。
 『ナクソス島のアリアドネ』の三十年後、シュトラウスはふたたび楽屋落ちオペラを作曲した。サリエリ作曲の『はじめに音楽、次に言葉』を下敷きにした『カプリッチョ』だ。シュトラウスの最後のオペラとなったこの素敵にオシャレで美しい作品も、いずれぜひ二期会に取り上げてもらいたいものだ。
掲載写真
新国立劇場:2002/2003シーズンオペラ
『ナクソス島のアリアドネ』
指揮:児玉宏
演出:ハンス=ペーター・レーマン
撮影:三枝近志
提供:新国立劇場
田辺秀樹(たなべ・ひでき)
◎1948年東京生まれ。一橋大学大学院言語社会研究科教授(ドイツ語・音楽文化論担当)。著書に『モーツァルト』(新潮文庫)、『モーツァルト、16の扉』(小学館)、『やさしく歌えるドイツ語のうた』(NHK出版)、訳書に『キャバレーの文化史』[共訳](ありな書房)、『グルダの真実』(洋泉社)、『オペラ対訳《ばらの騎士》』(音楽之友社)ほか。