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オペラを楽しむ

撮影:堀田正距
飯守ワーグナーは凄い
岩野裕一


えて結論から言おう。
 飯守泰次郎は、日本の音楽界の宝である。
 この類まれな才能と、深く熱い音楽への愛情をあわせもったマエストロの身体のなかには、ワーグナーの音楽とドラマが、さらにはモーツァルトが、ベートーヴェンが、ヴェルディが、プッチーニが、血や肉となってたぎっているのだ。
 もしも日本が、マエストロ飯守の指揮するワーグナーのオペラを毎年必ず一作上演できるような国になったならば、私たちの生きる世界はどれほど豊かなものとなるだろうか─。この私の言葉が戯言でないことは、飯守がここ数年、手兵の東京シティ・フィルと取り組んできた一連の「オーケストラル・オペラ」に触れた人ならば、きっと分かってもらえるだろう。2000年から03年にかけて四年がかりで取り組んだ『ニーベルングの指環』の大成功を受けて、04年の『ローエングリン』、05年の『パルジファル』と続いたこのプロジェクトは、わが国のワーグナー上演史上における金字塔と称えるべき、感動的なものだった。
 何より驚嘆したのは、飯守がワーグナーの長大かつ複雑なスコアをすみずみまで知り尽くし、その内容を完全に把握していたことである。一瞬の迷いも緩みもなくオーケストラと歌手をリードしながら、音楽が瞬間ごとに表出する意味合いを聴衆の前にきわめて鮮やかに提示する飯守の手腕は、並大抵のものではない。リヒャルト・ワーグナーの孫であり、バイロイト音楽祭の総監督であるヴォルフガング・ワーグナーは「飯守泰次郎こそドイツ語でKapellmeister(名指揮者)と呼ぶにふさわしく、そこにはマエストロという言葉以上に大きな尊敬の念が込められている」と賛辞を惜しまないが、若き日にバイロイトで培ったワーグナー体験を、飯守はここで一気に花開かせたといってよいだろう。
 では飯守は、果たしてバイロイトでどのような経験を積んできたのだろうか。
 1940年に、小澤征爾と同じ満洲(現在の中国東北部)に生まれ、斎藤秀雄に指揮を学んだ飯守は、桐朋学園を卒業後、クラシック音楽の本場であるヨーロッパで学ぶことを熱望しながら、最初の留学先にあえてニューヨークを選ぶ。これは、日本人が西洋音楽を学ぶうえで、いきなりドイツやフランスの強烈な文化に身をさらすのではなく、まずは相対的に物事をとらえ、世界全体を幅広く見るパースペクティブを身につけておきたいという、飯守自身の周到な考えに基づいていた。
 そして1966年、ミトロプーロス国際指揮者コンクールに入賞し、ニューヨーク・フィルを指揮した際にフリーデリンド・ワーグナー(ヴォルフガングの姉)に見いだされた飯守は、バイロイト音楽祭のマスタークラスに招待される。ヴォルフガングの兄、ヴィーラント・ワーグナーが活躍した最後の時期に、飯守はカール・ベームが指揮する『ニーベルングの指環』や『トリスタンとイゾルデ』を現場で体験したのみならず、『タンホイザー』のコレペティトゥールにも急遽起用されて重責を果たしたことで、バイロイトに参加する音楽家たちから信頼を得ていく。
 ここでマンハイム歌劇場の音楽監督ハンス・ワラットと出会った飯守は、その翌年にアシスタントに抜擢され、三年間にわたってドイツ語とオペラのレパートリーを身につける。『さまよえるオランダ人』『ローエングリン』『タンホイザー』を初めて指揮したのも、この時代だった。
 1971年には、日本人初のバイロイト音楽祭音楽助手に正式に就任。以来、20年以上にわたって、飯守はほとんどの夏をバイロイトで過ごし、ベーム、ブーレーズなど錚々たる指揮者との共同作業に携わっていく。この間の72年には、二期会の『ワルキューレ』日本人初演を指揮したのをはじめ、『タンホイザー』やモーツァルトのオペラなど二期会のプロダクションも数多く指揮。73年から75年にかけてはハンブルク国立歌劇場の専属としても活躍したほか、ヨーロッパ各地の歌劇場に客演して、ワーグナー作品を次々に手がけていった。
 だが、飯守にとってもっとも強烈な体験となったのは、バイロイト創立100周年の1976年に、ブーレーズ指揮、シェロー演出の『ニーベルングの指環』公演にジェフリー・テイトと共にチーフ・アシスタントとして参加して、心身共にワーグナーの音楽に没頭したときだという。
 「テイトとぼくとでコンビを組んで、できるだけたくさんやったほうが吸収できるからと、三ヵ月間ぶっ通しで、指揮とピアノを交代しながら本当に朝から晩まで練習しました。公演がはじまると今度は副指揮者の仕事がありますから、音楽祭が終わったときにはさすがにフラフラで、四週間も入院したほどです。このとき私は、ワーグナーの音楽が人の心や身体を操る魔力を持っていることを、確かに実感しました」
 バイロイトというワーグナーの聖地で、偉大な指揮者とともに音楽作りに参加し、名歌手の歌唱や演技を目の当たりにするというだけでも、若い指揮者にとっては貴重な体験だが、飯守はそれをなんと20年以上にわたって続けてきたのである。飯守の生き方は、特急列車のようにスター街道を走り抜けるそれとは異なり、こつこつと、ときには回り道をしながら進む各駅停車の人生であったかもしれない。だが、そうした熟成のときを経た飯守だからこそ、21世紀のわが国で、あれほど高水準の『リング』や『パルジファル』を生み出すことができたのではあるまいか。
 かつてのような偉大なワーグナー指揮者が不在のいま、飯守ほどワーグナーを知り尽くした指揮者は、世界的に見ても貴重な存在であることは間違いない。その飯守が、満を持して二期会と『ワルキューレ』に挑む。二期会の半世紀を越える歴史においても、ひとりの指揮者が36年ぶりに同一作品の新プロダクションに取り組むというのは、前代未聞の出来事であろう。
 ザルツブルク音楽祭をはじめ、ヨーロッパの第一線で活躍するジョエル・ローウェルスを演出に迎え、二期会が誇るワーグナー歌手が総出演するこのプロダクションは、必ずや世界に誇り得る水準となるに違いない。
 「いまバイロイトに登場するいかなる指揮者よりも、飯守が創る音楽のほうが凄い」というワグネリアンの声が、決して誇張ではないことを、私たちはこの『ワルキューレ』で確かめることができるはずだ。
 そして、カーテンコールの続く客席で、こうつぶやくことだろう。
 「飯守泰次郎は、日本の音楽界の宝だ」と。(敬称略)
岩野裕一(いわの・ゆういち)◎編集者・ジャーナリスト。1964年、東京生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業。日本のオーケストラ史に深い関心をもつ。著書に『王道楽土の交響楽 満洲─知られざる音楽史』(音楽之友社、第10回出光音楽賞受賞)、『日本のピアノ100年』(前間孝則氏との共著、草思社、第18回ヨゼフ・ロゲンドルフ賞受賞)など。