取材・文:石戸谷結子
宮本亞門
Amon Miyamoto
2004年東洋人初の演出家としてNYのオン・ブロードウェイにてミュージカル『太平洋序曲』でトニー賞4部門ノミネート。ミュージカル、ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎などジャンルを越える演出家として国内外で活躍。東京二期会では、モーツァルトの「ダ・ポンテ三部作」のほか、13年オーストリア・リンツ州立劇場にて欧州での自身のオペラ初となる『魔笛』を演出。18年フランス国立ラン歌劇場にて『金閣寺』を、20年1月同劇場にて『パルジファル』を新制作初演。また22年4月にはゼンパーオーパー・ドレスデンで『蝶々夫人』を演出。
「人間の根源」をテーマにした美術館の展示に惹かれて入場する観客たちに、何を見せてくれるのか―。宮本亞門さんが考える「パルジファルに救われ、浄められる全人類の姿から、一筋の光を感じてほしい」の意図することとは。
『パルジファル』は2020年1月26日にストラスブールのフランス国立ラン歌劇場で初演され、大成功を収めたプロダクション。宮本亞門さんにとって、初めてのワーグナー演出となりました。
「ワーグナー作品は、私のようなタイプの演出家には誰からもオファーがないだろうと信じ切っていたんです。特に『パルジファル』は、門外不出の神聖祝典劇。まして『魔笛』と同様、作曲家においての人生最後の作品で重みがあり、そのメッセージも生半可ではありませんからね」。しかし亞門さんは、18年にこの劇場で『金閣寺』を手掛けた時、総裁のエヴァ・クライニッツ(19年癌で死去)氏から、声を掛けられました。「どうしてもと頼まれました。最初は躊躇していましたが、癌で苦悩しながら総裁を務める彼女の姿とクンドリの姿がなぜか重なってきて、自分はいつもメメント・モリ(死を想え)が作品創りの鍵になっているので、お引き受けすることにしました。それからですね、『パルジファル』に込められた“救済・共苦”について、色々と調べ始めたのは」
クライニッツ氏には、西洋的ではない視点で演出して欲しいと頼まれたそうです。彼女は、この作品にはアジアの思想が入っており、キリスト教の根源はインドにあったと考えていました。
「知っていくと、僕はこの作品がキリスト教のことを伝えたいのではなくパルジファルに救われ、浄められる全人類がテーマにあると考えるようになりました。インド思想まで含めた広い世界観をもっている作品だと。それもあって設定を美術館にしました。「人間とは」という根源をテーマにして展示された美術館です。そこに本来のオペラにはない、戦争で父を亡くした母子を登場させました。母は離別への愛や孤独からの性欲も含め、もだえ苦しみます。そして純粋な息子はそんな母を見て、戸惑いつつも、自問自答する。この2人が美術館に入っていくところから物語は始まるのです。そこには厳格なキリスト教的芸術品、絵画などを修復する部屋があり、修復師である母親は、パンドラの箱を開けてしまうのです」
2020年1月フランス国立ラン歌劇場での公演より。舞台は美術館。そしてその展示テーマは「ヒューマニティ」。背後にはオランウータンと思しき姿も。ⓒKlala Beck
展示テーマは「ヒューマニティ」
「この『パルジファル』は『金閣寺』にも共通する、我々は何者であるのか、人類はどうあるべきで、人はどう変わっていくのかという、心の旅を軸にしました。美術館の宗教画などへ救いを求め、あらゆる宗教戦争で命を失くした亡霊たちが、成仏できずに彷徨(さまよ)う。この争いを繰り返してきた壮大な歴史のなかで、今の私たちは、何を受け継ぎ、何を断つべきか、そんなことをキャスト、スタッフらと話し合いながら創りました。上演の1年ほど前にストラスブールのクリスマス市で、悲惨なテロ事件が起こりました。その時、人が分断し、格差を生み出した時代に突入するという予感がしました。この作品では人間の消すことができない誤解と分断が今も継続されていて、その苦しみから抜け出すために、彼らはキリストの血を受けた聖杯から血を飲むことを欲しています。成仏できなくて苦しむ人たちは、現世を生きている人と同じようにもがき苦しむのです。唯一の女性であるクンドリも同じです、死んだように眠りたい、しかし眠ることは許されない。だから苦しみながら生き続けなくてはならないのです。エヴァも癌が早く進行していったこともあって、日々痛々しいほど痩せていきました。しかし彼女は、絶対笑顔を絶やさなかった。そんな彼女のためにこの作品を創り、ラン歌劇場のプログラムには“エヴァに捧げる”と書かせていただきました」
2人の女性、エヴァとクンドリ
「エヴァはなぜこの作品を愛していたか。それはワーグナー作品の中で、特に女性に重きが置かれていたからです。偏見に遭い、穢れあるもののように扱われてきた女性たち。クリングゾルに精神的、肉体的に縛り付けられるのですが、最後にはパルジファルによって浄められ、彼女は昇天していきます……。この俗世で生きる苦しみから解放されて、次の段階へ導かれるのです」
『パルジファル』の舞台より。原作には登場しない子どもが本演出では登場。どんな役割を担っているのだろうか。ⓒKlala Beck
亞門さんがワーグナーのオペラで感銘を受けた『トリスタンとイゾルデ』(2016年東京二期会オペラ劇場 指揮:ヘスス・ロペス=コボス、演出:ヴィリー・デッカー) ⓒ三枝近志
今の時代に上演する意味
「コロナ禍によって、多くの人が、自分が生きる意味や役目を再認識したと思います。テロがあったり、分断があったり。辛い時こそ、それらを客観的に相対的に見る、まさに今の時代に合った作品だと思います」
亞門さんが考える、オペラの演出とは?「あえて傲慢な言い方をさせていただくと、作曲家が気付かなかったものを、新しい解釈、新しい視点で、観客にあるべき未来に向けて届ける仕事だと思っています。はじめは新鮮だった作品も長い年月と共に、まるで美術館に入ったように埃をかぶってしまうこともあります。ですから指揮者も演奏家も演出家も共に、その埃を取り払い、まるで初めて音楽が奏でられ聴いたような感覚や感動を、今の観客に伝えたいと思っているのです。ですから今回は重厚なワーグナーの世界観より、やや軽やかな、現代でも起こり得る状況に変えています。僕なりに『パルジファル』を、今までにない新たな発見や輝きで満たせたらと願っての演出だとご理解いただけたら幸いです」
石戸谷結子
Yuiko Ishitoya
音楽評論。早稲田大学卒業。音楽出版社を経て、1985年からフリーランスとして活動。『音楽の友』『モーストリー・クラシック』誌などに執筆。NHK 文化センターなどでオペラ講座。著書に『マエストロに乾杯』『オペラ入門』『石戸谷結子のおしゃべりオペラ』『ひとりでも行けるオペラ極楽ツアー』ほか。
ワーグナー 『パルジファル』
オペラ全3幕
日本語及び英語字幕付原語(ドイツ語)上演
指揮:セバスティアン・ヴァイグレ
演出:宮本亞門
合唱:二期会合唱団
管弦楽:読売日本交響楽団
東京文化会館 大ホール
2022年7月 | 13日(水)17:00、14日(木)14:00 16日(土)14:00、17日(日)14:00 |