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オペラを楽しむ

20世紀に作られたファンタジー・オペラの決定版 リヒャルト・シュトラウス『影のない女』2022年2月9日(水曜日)から13日(日曜日) 東京文化会館 大ホール 2022年初の舞台を飾るのは、東京二期会にとって初演目となるリヒャルト・シュトラウス『影のない女』(新制作)です。ボン歌劇場との共同制作でワールドプレミエとなり、演出のコンヴィチュニーもこの作品を手掛けるのは初めて。「初めて尽くし」となる新鮮な舞台に注目です。

文:広瀬大介

巨匠・コンヴィチュニー演出による東京発ワールド・プレミエ公演

<あらすじ>
東南の島々に棲む皇帝は、影を持たぬ霊界の王カイコバートの娘と恋に落ち、皇后とした。皇帝は3日間、狩りに出かけると宮殿を発つ。皇后のもとへ一羽の鷹が舞い降り、「影を宿さぬ皇后のため/皇帝は石と化すさだめ」と告げる。期限まであと3日。乳母は、人間をだまして影を買い取ることができると皇后に教え、二人は人間の世界へと降りていく。染物屋バラクとその妻も子供に恵まれていない。乳母は、自分たちが3日間召使として仕え、妻の影を買い取る契約を交わすが、妻の耳には生まれざる子供たちの恨みの声が聞こえ、夫を拒否してひとり眠りにつく。︎
 妻は若い男との不貞をでっち上げ、乳母と皇后の二人に影を売り払い、母親になることを諦めたと告げる。温厚なバラクも激怒し、妻を殺すと宣言すると、天から裁きの刀が降り、地が裂け、バラクと妻を飲み込み、家は崩れ去る。
 染物屋夫妻を救うため、裁きの場へ出ることを決意する皇后。そこに石となった皇帝の姿が浮かぶ。湧き出る「生命の水」を飲めば、影を得られるという試練に、「飲まぬ」と宣言する皇后。すると皇后の体に影が宿り、皇帝はもとの姿へ。染物屋夫婦は互いの無事を喜び合う。

『影のない女』に見る
めくるめくファンタジーの世界

身分の異なる2組の夫婦が、試練を乗り越えてゆくという『影のない女』のストーリーは、『魔笛』のオマージュによって生まれたものと言われています。
“もうひとつの『魔笛』”とも呼ばれる本作について、音楽評論家の広瀬大介さんに解説していただきます。

ベルリン分離派創立者のひとりであるドイツの画家、マックス・リーバーマンによるリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)の肖像画。

オペラ界に新風を吹き込んだ野心作

 戯曲『エレクトラ』に曲をつけたことからオーストリアの文学者フーゴ・フォン・ホフマンスタールと、ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスによる、オペラ史でも稀な、史上最高の組み合わせによる協力関係は、始まりました。ホフマンスタールが初めてオペラ用に書き下ろした『ばらの騎士』は、ドイツオペラにとって、ワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』以来ひさびさの、堂々たる正統派の喜劇であり、あっという間に各地へと広まり、二人の名声を不動のものへと押し上げたのです。
 常に新しい試みでオペラの世界に新風を吹き込もうというこころざしを掲げ、ふたりが取り組んだのは、オペラと戯曲を高い次元で融合しようと試みた『ナクソス島のアリアドネ』でした。この作品に続いたのが、当代きっての知識人ホフマンスタールが、ゲーテやシラー、あるいはモーツァルト『魔笛』やグリム童話、果ては『千夜一夜物語』や中国・インドの伝説までを視野に入れた上で、どのような世界にも通用する物語の世界を作り上げようと試みた野心作、『影のない女』でした。
 『ばらの騎士』初演のわずか1ヶ月後、1911年2月と、かなり早い段階から構想は練られていましたが、実際に台本が執筆されるのは15年以降のことでした。16年7月28日にシュトラウスがホフマンスタールに書き送った手紙には、「皇帝や皇后、乳母といった人物は、元帥夫人、オクタヴィアン、オックスのように、赤い血潮で満たすことができません。頭だけで仕事の大半をやり遂げねばならぬとなると、アカデミックな冷たい風がそこへ吹き込み、この風ではいかなるふいごでも、本当の炎を起こすことはできません」と述べ、作曲に難儀していた様子が窺えます。
 ただ、この手紙は「『影のない女』は『アリアドネ』や『ばらの騎士』のようなスタイルで作曲することはできない」という文脈の中で書かれたものです。自身の音楽については謙遜を交えながら報告するのが常であったシュトラウスですので、多少は割り引いて考えたほうが良さそうです。作曲は17年6月に完了。シュトラウスがウィーン国立歌劇場の共同監督に就任する19年シーズンの開幕に合わせ、同年10月10日に賑々しく初演されました。

1919年にウィーン国立歌劇場で初演された舞台装置のスケッチ3幕1場の「霊界の神殿の中」。担当したのは『ばらの騎士』の初演などシュトラウス作品を多く手掛けている舞台装置家、アルフレート・ロラー。
©Fürstner

1939年、バイエルン国立歌劇場で上演された新演出より。
©Deutsches Theatermuseum München, Archiv Hanns Holdt

“影”の存在と、深遠なるメッセージ性

 おとぎ話的、ファンタジー的要素を持ちあわせ、モーツァルト『魔笛』に多くを負ったと言われる本作ですが、その内容、筋書きは象徴にあふれ、すぐに理解するのが難しい、とも言われます。おそらくもっとも難解とされるのが、本作における「影」の役割ではないでしょうか。ただ、これはホフマンスタールが作り上げたこの世界の約束事、すなわち「影が、子供を産む能力、母親となることのできる能力の象徴として扱われる」であることをおさえていれば、そこまで難しいものではないでしょう。
 シュトラウスにとって、この作品は二つの意味で創作活動の大きな転機となりました。まず、本作の初演から15年間、シュトラウスはこの作品に呪縛されたかのように、結婚生活を営むカップルに関わる作品を生み出していくようになります。ホフマンスタールはこの作品に登場する染物屋の妻を、「風変わりで、根はとても優しい心の持ち主だが、理解しがたく、気まぐれで、居丈高で、にもかかわらず感じの良い女性(11年3月20日の手紙)」と表現しています。この登場人物が、同じような性格を持つシュトラウスの妻パウリーネをモデルにしているのは、疑いのないところです。
 『影のない女』に引き続いて生み出された二つのオペラ『インテルメッツォ』と『エジプトのヘレナ』は、いずれも倦怠期にあり、結婚生活の危機を迎えた夫婦が、万難を排してそれを乗り越えるという『影のない女』と同じ主題を共有しています。音楽的に見ても、同じような音型のモティーフが、それぞれの作品をつないでいるのです。
 そして、本作は、人類がそれまで経験したことのないほどの大量殺戮を伴う第一次世界大戦期に生み出されました。その構想こそ大戦前から生まれてはいましたが、人間らしく生きることの大切さ、子供を産み育てることへの眼差しは、終戦後に大きなメッセージとして聴き手に訴えかけるであろう、と、台本作家と作曲家は考えていたようです。そして、現世の苦しみを乗り越えて、新たなユートピアを築こうという壮大なメッセージ性を強く打ち出すため、この作品は、シュトラウスの15作のオペラの中で、もっとも長い上演時間を要し、もっとも大規模なオーケストラを擁することとなりました。
 シュトラウスは、作曲家として持てる力のすべてを注ぎ込み、自身の集大成的な作品として仕上げたのです。思わぬ疫病に苦しめられ、先行きの見えぬ現代社会においても、そのメッセージ性はなお力を失っていません。

広瀬大介
Daisuke Hirose

音楽学者、音楽評論家。青山学院大学教授。日本リヒャルト・シュトラウス協会常務理事・事務局長。著書に『リヒャルト・シュトラウス 自画像としてのオペラ』(アルテスパブリッシング、2009)、『帝国のオペラ』(河出書房新社、2016)など。各種音楽媒体での評論活動のほか、NHKラジオへの出演、演奏会曲目解説・CDライナーノーツ、オペラ公演・映像の字幕・対訳などへの寄稿多数。

R.シュトラウス『影のない女』

オペラ全3幕 日本語字幕付原語(ドイツ語)上演
指揮:アレホ・ペレス
演出:ペーター・コンヴィチュニー
合唱:二期会合唱団
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
東京文化会館 大ホール

2022年2月 9日(水)18:00
11日(金・祝)14:00
12日(土)14:00
13日(日)13:00