TOKYO niki kai OPERA FOUNDATION NEW STYLE OPERA MAGAZINE

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オペラを楽しむ

こころのオペラ 染織家・随筆家 志村洋子

(写真上)二期会の第一回公演であるプッチーニ作曲『ラ・ボエーム』(1952年)の様子
(左)出演者の顔写真(同プログラムより) (右)当時のプログラムの表紙

  「現在最も活躍する中堅の声楽家たちが、これまでを一期と考え、これからを二期として互いに励み合っていこうという意図のもとに結成した二期会が、最初の公演として、パリの屋根裏生活をする善良で仲のいい若い芸術家たちを描いたプッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』を取りあげたことは、何かうなずけるものがある。出演者が友人同士という和気あいあいとした気持ちのいい熱の入れ方で、四幕ともよくまとまって、最後まですきを与えなかった」(1952年2月27日 朝日新聞より一部抜粋)

 当時の新聞評からも、二期会の旗揚げ公演に対する評価は、好意的に捉えられていたことが伺い知れます。

 現在の東京二期会のルーツとなる「二期会」は1952(昭和27)年に誕生しました。創立当時はまだ戦後の混沌とした時代。さらに、戦前戦中から日本のオペラ界のリーダー格だった藤原歌劇団と、松竹の協力を得た長門美保歌劇団がライバル関係を築き、日本を代表するオペラ団として鎬を削る中での旗揚げとなりました。

 創立メンバーには当時、四天王として注目されていた三宅春惠、川崎靜子、柴田睦陸、中山悌一をはじめ、16名の声楽家が名を連ねました。唯一、声楽家以外のメンバーだった河内正三が事務局長を務め、以来30年、河内は二期会の発展を支え続けます。

 初演ということもあり、『ラ・ボエーム』の公演プログラムには二期会発足の趣旨なども掲載されました。その中で二期会は声楽家が相互協力しながら芸術家としての真実の道を歩み、向上しようという同士的結合体であることが強調されています。新聞評にもあった名称の由来にも触れられ、意欲に燃えた純粋な若者たちの気概にあふれる名文だったと言います。

 設立に当たり自らを「青二才たち」と謙遜したものの、声楽界の第二期を担うとの自負のもと立ち上げられた「二期会」。創立メンバー皆の情熱が注がれた第一回公演は、まだ貧しい暮らしを強いられてきた人々の胸を打ち、心に豊かさをもたらしました。

あらすじ……冬のパリを舞台に、詩人ロドルフォと薄幸のお針子ミミ、画家のマルチェロと恋仲でミミの友人のムゼッタの二組の恋人たちが繰り広げる出会いと別れ。哲学者コリーネ、音楽家ショナールなど芸術家を目指す若者たちも加わって、貧しくとも未来に対する夢を持った青春の日々が詩情豊かに描かれています。愛、友情、忘れかけていた想い。