TOKYO niki kai OPERA FOUNDATION NEW STYLE OPERA MAGAZINE

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オペラを楽しむ

こころのオペラ 染織家・随筆家 志村洋子

ザラストロと夜の女王

 モーツアルトのオペラ『魔笛』は神秘主義的な要素(演出にもよるのでしょうが)が至る所に見られるので、ドキドキしながら体験しています。中でも夜の女王のザラストロへの怒りの感情は、ソプラノの超絶音と重なって彼岸の境域に触れていくような高揚感を与えてくれました。

 私は昔、中東の国イラン(ペルシャ)を数年に渡って旅をしたことがありました。イラン旅行の楽しみは古代遺跡を訪ねることですが、そこ深く知るとある人物が浮かび上がって来ました。紀元前6世紀頃に中東に現れた、偉大な哲学者ゾロアスター教の創始者、ゾロアスター(ザラトゥシュトゥラ)という人です。ゾロアスター教は拝火教とも言われ、古代イランの王朝、ササン朝ペルシャ(AD3~AD7)の時代には国教にもなっています。

 そもそも、私が何故イランを訪れることになったかと言うと、ササン朝ペルシャ時代に作られた織物に出合うためでした。当時の世界最高峰の織物で、その高度な技術と完璧なデザイン力は今日でも並ぶべきものがないほどです。その頃の私は、体力も気力もあったのでトルコ、イラン、シリア、ヨルダンの国々を毎年訪ねていました。広大な地域はゾロアスター教の神殿跡や図書館、石像などが未だに残り、当時の隆盛が偲ばれました。

 ある時、ゾロアスター教信者の村があるというので、トルコの地中海に近い村を訪ねて行きました。村の女性たちは老いも若きも爪を赤く染めていて、路傍で摘んだ花を頭に挿していました。なんて可愛い人たちだろうと、一遍に好きになってしまいました。親しくなったところで、庭のアーモンドの枝で一緒に染色をしました。持って行った糸は鮮やかな黄色に染まって大喜び、それ以来ゾロアスターという名前は忘れ難くなりました。

 『魔笛』の不思議な魅力のひとつは、ゾロアスター教の善悪二元論にならい通じるものではないかと思っています。夜の女王の最高難度のコロラトゥーラ・ソプラノに魅せられていますが、なかでもスロバキアの歌手、ルチア・ポップの端正で気品のある顔立ちが、恐ろしい魔女に変身する凄みは、人間の表現力に限界は無いと感じ入りました。

能『鬼阿闍梨』のために制作した「阿闍梨」の衣裳。鬼退治に出掛けた阿闍梨が最後には自らが鬼と一体化して滝壺に身を投げる。何年もかけて集めた小布を繋ぎマント風の衣裳に。ザラストロが阿闍梨の衣裳を身につけたら、と思いを馳せて。
作品集『志村洋子 染と織の意匠 オペラ』求龍堂刊より、『阿闍梨』(2002年、藍・玉葱・蘇芳) 撮影:高山 宏 © Shimura Yoko

pfofile

しむら ようこ・東京都生まれ。「藍建て」に強く心を引かれ、30代から母で重要無形文化財保持者(人間国宝)である志村ふくみと同じ染織の世界に入る。1989年に、宗教、芸術、教育など文化の全体像を織物を通して総合的に学ぶ場として「都機工房(つきこうぼう)」を創設。著書に『色という奇跡』、ふくみとの共著『たまゆらの道』。作品集に『しむらのいろ』『オペラ』がある。2013年に芸術学校アルスシムラをふくみ、息子・昌司とともに開校。