『パルジファル』を終えて…
撮影:三枝近志
アンケートにお答えいただいたお客様
9月13日(木)の初日には、皇太子殿下が行啓されました。5時間の作品を最後までご鑑賞の後、出演者としばらくご歓談されました。 |
公演批評より
積み重ねてきた確かさ実証
創立60周年を迎えた二期会がワーグナーの舞台神聖祭典劇《パルジファル》を45年ぶりに上演。1967年の日本初演に列席した者としてはまさに隔世の感を抱く充実ぶりで、同会が積み重ねてきたものの確かさを実証した。(中略)説得力がとりわけ大きかったのは、飯守が《パルジファル》のワーグナーと等しい年齢に達し、最後期の思想への共感を深めたためであろうと推測する。(中略)堕罪の苦悩を強烈に、格調高く歌い出した黒田博(アムフォルタス)、悟りへの歩みを大柄に表現した福井敬(パルジファル)、明晰な語りで場を支えた小鉄和広(グルネマンツ)、対決場面に力を見せた橋爪ゆか(クンドリ)らが難役を堂々とこなし(宗教的感情と日常的喜怒哀楽の峻別が今後の課題となろうか)、二期会合唱団も内容をよく歌い込んでいた。(中略)クラウス・グートの演出には、種々の新機軸があった。それが公演の感動を深めたと私は必ずしも思わないが、音楽に対して一定のバランスが保たれ、回り舞台の活用が空間に生動性をもたらしたことは評価できる。 礒山雅
「毎日新聞・夕刊」2012年9月24日号より
健闘の日本勢キャスト
(冒頭省略)世の欲望と罪の連関を突然に悟る、無垢なる自然児――この難しい題名役を、福井敬(A)がいつもの朗々たる歌唱を御して多角的に描けば、悟りを口づけで引き起こすクンドリ役が、光のごとき声で「パルジファル!」とまっすぐに放つ。新人、田崎尚美(B)だ。言葉に難を残すも、型破りな音域のこのパートで、息遣いのなんと柔軟なこと。あるいは悩める聖杯騎士王、アムフォルタスの黒田博(A)。狂乱の場でなお一言一句が際だっていた。
だが、今回の立役者といえば、指揮の飯守泰次郎であろう。管弦楽は読売日響。
たしかに、超スローな第1幕など一種異様だが、底しれぬ憂愁が支配しており弛まない。「悲哀の動機」のバス音を深くえぐり、橋爪ゆか(クンドリA)の体当たり演技に真実味を与える。灼熱の不協和音が、片寄純也(パルジファルB)の清涼な叫びに苦悶の色を加える。転調の瞬間にはこちらも体ごと連れ去られるようで、幕切れは二期会合唱団ともども本当に沁みた。
いっぽう、クラウス・グートの演出は、題名役が騎士団を救うと独裁者になるという読み替えもの。ドイツ人らしい歴史反省路線だが、呆れたクンドリが荷物をまとめて去るというオチには苦笑した。第3幕の悔恨の音楽は何だったのか? 舩木篤也
「読売新聞・夕刊」2012年10月2日号より
*掲載された文書を一部抜粋・編集しております。また著者の意向により一部加筆修正を加えております。各新聞社、著者の許諾を得て掲載しております。
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