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オペラを楽しむ

閉ざされていたドレスデンとゼンパー・オーパー
~ドイツ統一20周年に寄せて~

写真/文・大島 洋

廻廊の修復工事

 土塊が波うつ殺風景なその中央に、さしずめ孤島のように建っているのがドレスデン国立歌劇場(現ザクセン州立歌劇場)=ゼンパー・オーパーだった。まだ社会主義政権下、1980年代初めのことである。たしかに私からの強い要望ではあったが、工事中の撮影許可は極めて例外的なことだという少し押しつけがましい説明を、東ドイツ滞在中ずっと私と行動を共にしている政府の職員が繰り返した。
 戦争が終わって35年も過ぎたのに、まだ瓦礫のままの聖母教会や、修復工事の足場に覆われた建造物も多く、半分崩れたままの石の建物がそのまま使われているような時代だった。尤も修復工事は戦禍のためだけではなく、中世の建造物などはどこの国でも、気が遠くなるほどの長い手間と時間をかけ、足場を組むなどして修復をしている。

上記写真の数日後、
右手前の工事時の飾りが屋根に設置されている

ゼンパー・オーパー沿いを流れるエルベ川を望む美術館には、18世紀半ばのドレスデンのパノラマ風景を描いた大作があって、その中央の教会の塔の足場が省略せずに克明に描かれていた。私の撮る写真と200年前とのあまりの相似に気づいて、一人含み笑いし、極めて私的な共感をしたのだった。これを描いたベルナルド・ベロットは、カメラ・オブスキュラという現在のカメラの基となる道具を使って、精密で写実的な風景を多く描いたヴェネツィアの画家カナレットの甥である。ベルナルド・カナレットとも呼ばれ、いわば写真発明以前の写真家のような人だったから、当然といえば当然のことだった。

 工事現場の担当者からは安全上の注意を受け、ヘルメットを着用して歌劇場の中に入った。ファサードも広い階段も工事の最中であり、果してどんな写真が撮れるものか私はちょっと不安だった。しかしその内部は思いのほか静かで、あちらこちら高い天井まで足場が組まれている中に小さな明かりが照らされ、廻廊の天井や壁面の修復や彩色作業をしているのだった。見た目は工事現場なのだが、その独特の空気には創作の現場といった観があった。

廻廊の天井

 すでに修復の済んだ廻廊の天井は差し込む外光で美しかったが、舞台も客席も写真を撮るには絶望的に暗かった。工事中なのだから諦めるよりないが、せっかく与えられた撮影のチャンスでもある。しかし、ウェーバー、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウス、カール・ベーム……、身震いするほどの歴史が重ねられてきた闇の空間に、神秘的な気配を感じながら立つことができただけでも幸せというものだとの思いも重なった。闇の空間でも構わないから念力を注いで撮るぞとカメラをセッティングしていたとき、舞台そして観客席と、照明がつぎつぎと魔法のように点灯していったのである。まさに奇跡だった。「いまはこれで全部だ」大きな声が二階席から響いた。修復工事の総責任者の心遣いだった。彼が記念にと手渡してくれた廻廊天井の修復で切り落とされた木片は、ただの木切れであるが、今でも大切に書棚に置かれている。
 撮影に十分な明るさとはいえなかったが、その時の心境としては夢のように美しく、そして華麗だった。よく知られているように、ワーグナーの『さまよえるオランダ人』『タンホイザー』、そしてリヒャルト・シュトラウスの『フォイヤースノート』『薔薇の騎士』や来年二期会が上演する『サロメ』など9つのオペラ作品が初演されたのもここである。写真家はファインダーの中で、それまでに見たことや、無意識が呼び覚ます整合性のない記憶や歴史の断片を、一瞬のうちに重ねてシャッターを切る。ドレスデンのグロースグラウパ渓谷、ヴァルトブルク城のタンホイザー歌合戦の大広間、ノイシュヴァンシュタイン城の書斎壁画、シュトラウスが音楽監督を務めたウィーン国立歌劇場、彼らをめぐる夥しい都市、ビアズリーのサロメ、ナポレオン・サロニーが撮ったオスカー・ワイルドの肖像……。そのときどんなことが脳と眼とを奔(はし)ったものか私にもわからないが、歴史ある空間の再生が歴史の記憶を引き寄せることは確かなことのように思われる。

歌劇場と向かい合うレジデンツ城の一角にある壁画「君主の行列」

 数年して、思いがけずゼンパー・オーパー開幕のカタログと招待状が届いた。たしか、ウェーバーの『魔弾の射手』、シュトラウスの『薔薇の騎士』であったが、日程の調整がつかず行くことは叶わなかった。完成後、やっとドレスデンを再訪できたのは、東西ドイツ統一がなって少ししてからのことである。
大島 洋(おおしま・ひろし)
写真家。
87年「幸運の町」で第一回写真の会賞。
03年「千の顔、千の国―エチオピア」で第28回伊奈信男賞他受賞歴多数。
著書に「モーツァルトとの旅」「リヒャルト・ワーグナー」など。
九州産業大学芸術学部、大学院芸術研究科教授


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